暗黒
【運命の改竄】
――生存:███ 結█(24)
因果が、猛烈な速度で逆流する。
世界にむしり取られていた氷室の一部が、強制的に収束していく。
凍りついていた肉体が、芯から熱く沸き立った。
静かに、立ち上がる。
巻き戻った左眼が、再び、世界の光景を映し出した。
足元に絡みつこうとしていた数百もの光る糸は、いまや全て切断され、塵となって消えていく。
その先。
暗闇の奥。
怪異は、恐怖に怯え、ガタガタと震えていた。
――くるくる。
指先で弄んでいた、冷たい鋼の感触。
「はい」
運命を改竄する冷たい声とともに、カッターナイフを怪異の方へ投げ付けた。
カラン、カラン、カツッ。
「ヒッ、」
橋本が両手で顔を覆うとする、その指の隙間。
丁寧に滑り込む。
橋本は右手でしっかりと、カッターナイフを握り締めてしまった。
「ヒッ、あッ、あッ、ユイッ、やめてね、お願い、やめて。ぼく、本当に遊びたかっただけ、だから、ね? ね? だから――ッ」
カチッ。
叫んだ拍子に、脂汗の浮いた橋本の親指が力強く、スライダーを押し上げた。
「あッ」
焦り、左手でそれを止めようと、逆に真っすぐにスライダーを上へと押し上げてしまう。
カチ、カチ、カチッ。
「あッ、あッ、ダメッ、止まらな、いッ」
氷室の左眼も、白鳥の両眼も。
ただ無言で、その破滅を冷酷に見下ろしていた。
部屋を包むのは、精密機械の駆動音だけ。
無駄。
「お願いッ、ごめんねッ! ごめんなさいッ、許してよおおおッ! ユイ、お願いだ、いやだあ、いやだあああああ――」
――ドスッ。
鉄が、肉を裂き、骨にぶつかる鈍い音。
「痛だぁあああッ!?、痛ッ!、やだああ、これ痛だあ――」
――ドスッ、ドスッ、ドスッ。
「カ、……ッ、ガハッ、ぁ、あ、……ッ、ガ、……!」
――ドスッ、ドスッ。
「……っ、……、……。」
やがて、肉を刻む音だけが暗闇に響き、声は消えた。
氷室の瞳が、暗黒の視界の奥で、因果の真実を捉える。
【運命の改竄】
――死亡:座敷童(1679) 死因:自殺
「……自殺が確定した因果から、そのカッターナイフを届けに来た。お前の幸運程度で、人間の執念が曲げられると思うな」
氷室の声が、死に絶えた部屋に響き渡る。
空間に漂うのは、無数の光る糸。
1679年もの間、この街から不当に搾取され続けた、奇跡の残滓。
それらがパチパチと音を立てて千切れ、闇の中へ溶けていく。
氷室は、静かに踵を返した。
「次は静子だ。社長室に連れて行ってくれ。――もう、何も見えなくなった」
「はい、お供します」
冷たくなった白鳥の手が、氷室の手を優しく、だが確実に握った。
視界は完全な暗黒。
二人の足取りに躊躇はない。
静かに、血の匂いが充満する部屋を後にした。




