私がやる
翌日。
氷室は無断で仕事を休んだ。
カーテンを閉め切った、暗い自室。
ノートPCの側面。
あの4本のUSBメモリの1本が突き刺さっている。
画面に映し出されたのは、会社の極秘情報。
役員すらアクセスを拒まれる、社長個人の領域。
創業から現在に至るまでの、すべてのログ。
最初のフォルダに並ぶ、古い写真データ。
一号店の佇まい。
色褪せたセピアの風景。
ただの、無価値なゴミ。
そう吐き捨てようとした、その時。
データの最下層に、異質な漢字の羅列が滑り込む。
『福止氏門外不出之誓』
「……福止氏?」
乾いた声が、部屋の静寂に落ちる。
掠れた目で画面を凝視するが、文字の細部が滲んで読めない。
氷室はスマートフォンを起動し、画面にかざした。
解析AIのレンズ越し。
その冷徹な文字列が、不穏に歪んで浮かび上がる。
カメラが自動でピントを合わせ、黄ばんだ古文書の文字を、現代の言葉へと書き換えていく。
それは、この街の富を独占し続けるための、呪われた盟約だった。
『我が福止一族が、この街の支配者として莫大な富を得続けるための最重要機密。子孫は絶対にこのルールを破ってはならない』
指先を滑らせ、次の画像へ進む。
アプリの緑色のスキャン線が、文字の上を走った。
『一つ、「死ず子」という生贄。一族に長女が生まれたら、その子は自動的に『福止め死ず子』となる。死ず子の唯一の仕事は、家に居座る『座敷童』の遊び相手になること』
(……座敷童?)
突飛な単語に、氷室の思考が微かに揺れる。
『怪異の機嫌を損ねぬよう、幼少期から監禁する。光も、名前も、人間としての尊厳も、すべてを剥ぎ取る』
喉の奥が、急速に干からびていく。
氷室は血走った目をカチカチと動かし、次のファイルを開いた。
液晶の冷たい光が、氷室の顔を白く照らす。
『一つ、「お菓子」と「死ず子」を絶やすな。座敷童の正体は、機嫌一つで因果を操る最悪の怪異である。座敷童が求めるだけお菓子と遊び相手の死ず子を絶対に切らしてはならない』
マウスを握る氷室の指先が、冷えていく。
『一つ。搾取の執行――「福止め死」。対価として、街にバラ撒かれる呪い。確率ゼロの「あり得ない不運」が連鎖し、標的を確実に仕留める』
――あの、警察車両の正面衝突事故。
氷室の脳内で、バラバラだったパズルが、血の音を立ててガチリと噛み合った。
『一つ。代替わりの義務。「死ず子」の期限。肉体に「老い」が混じった瞬間、玩具としての価値は失われる。怪異は、大人の女を好まない』
スクロール。
『死ず子は速やかに自分の命を次の女子に捧げて退場し、次の代の「死ず子」に座敷を譲らなければならない』
氷室の喉から、掠れた音が漏れた。
「――ああ、そう」
乾いた笑い声が、閉め切った暗い部屋に虚しく反響する。
(社長、あんたの家系は、一族丸ごと狂っていた。そして、殺ったんだな……、その一族ごと、アハハハハッ!)
『一つ。土地の怨嗟。長年、怪異の「遊び」で殺され続けた者たちの呪念。積み重なった泥のような恨みは、いつか必ず一族を屠る刃として現れる。』
氷室の瞳から、完全に感情の光が消え失せた。
『万が一「福止め死」が起きない事態が生じたなら、それは破滅の予兆。絶対に他人に悟られるな。即座に怪異をけしかけ、その脅威を『福止め死』の因果で跡形もなく圧殺せよ』
最後のファイルを、無機質にスクロールする。
『一つ、両家の「しきたり」。福止家と言得洲家の前に『日の無い牢に怪異を結ぶ者』――が現れた時、「福止め死」と「言えず死」で抑え込め』
「ああ、福止屋と言得洲企画か」
氷室は静かにスマートフォンを机に置いた。
「潰す。『日の無い牢に怪異を結ぶ者』なんて奴は知らないが。――その役、私がやる」
氷室の頭脳を占拠したのは、圧倒的な殺意。
意識はすでに、怪異そのものの「始末」へと跳んでいた。




