鉄のパイプ椅子
言得洲企画本社。
社長室。
月次の定例会議。
「ぁ、……っ、――申し訳ございませんッ」
あり得ない失態。
珈琲カップは卓上で跳ねた。
ぶちまけられた黒い液体。
慌てて床に膝をつく、制服の秘書。
「あ、やっちゃいましたね、大丈夫ですよ」
紳士的な笑み。
鉄のパイプ椅子を握り締めている巨躯、
言得洲企画社長、言得洲悠玄が、ゆっくりと珈琲を拭く手伝いを始める。
秘書は怯えたように頭を下げた。
その視線の先。
地に伏せる、無抵抗の女。
女はピクリとも動かない。
その様子を眺めると、福止屋の社長は静かに紅茶を啜った。
言得洲がドサっと席に座る。
「話を戻します、静子社長。納品の件ですが」
福止静子は目を細める。
「――悠玄。邪魔立てする何かが、この街に現れた」
「邪魔立て、ですか?」
「そうだ。最初は福止め死の人数が合わないだけだった。でもね、今は福止め死が失敗させられる」
「静子社長、事情は理解しますが、こちらとしてはお金を支払っていますから、納品はお願いします」
「悠玄、よく聞きなさい。目先の金はどうでもいい、この300年間、こんなことは一度も無かった」
秘書は逃げるように退室した。
室内に、ミシ、とデスクの木材がきしむ音が響く。
「静子社長、少しお待ち頂けますか」
言得洲の行先を失った腕が、足元の女に叩き付けられた。
ドガッ! ドガアッ! ガンッ!
振り落とされる、鉄のパイプ椅子。
「いい加減にしないか、悠玄」
パイプ椅子から手を離し、言得洲は大きく肩を上下させた。
「――あッ? ……あっ、静子社長。失礼しました。もう少々、お待ち下さい」
福止静子は、室内に響く金属の残響を無視して、静かにカップをソーサーに戻した。
磁器の硬い音が小さく鳴る。
「悠玄。お前の代になってから、随分と、部屋が騒がしくなったね」
歪に捻じ曲がったパイプ椅子。
「……あ? うるせえんだよッ!!!」
巨躯が爆発するように跳ねた。
猛烈な風圧とともに、歪んだ鉄のパイプ椅子が静子の顔面へ向けて投げ飛ばそうとした。
手元を離れた、その瞬間。
パイプ椅子を固定していたすべてのボルトとナットが、意志を持ったように一斉に逆回転して弾け飛んだ。
バラバラの鉄パイプと化した破片。
静子の衣服に触れることすらない。
その足元へカラカラと力なく転がっていく。
静子は、睫毛すら揺らさない。
濁った瞳で足元の鉄クズを一瞥すると、静かに立ち上がった。
「扱い方を間違えるな。やり過ぎだ」
長髪の女へ、冷淡な視線を向ける。
「昔は大人しい、いい子だった。ほら、もう、喋らないじゃないか」
「……チッ、分かってますよ」
言得洲は荒い呼吸のまま、頭を乱暴に掻きむしった。
静子は重い吸音ドアへと歩を進め、去り際、乾いた呟きを室内に落とす。
「……ついに現れるとはね」
「何の話ですか、静子社長」
「家訓だよ。『日の無い牢に怪異を結ぶ者』が、この街に来ている。――お前も油断するな、その首を取られる」
重いドアが閉まる。
残された社長室に、言得洲の激しい舌打ちだけが虚しく響いた。




