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21/28

00時00分

唇から、血が滲む。


倉持は、身体で理解していた。


肉体を侵食する、不可避の殺意。


ハンドルから離れようとする両手。


赤城の首を絞めるために、勝手に動こうとする。


その度に倉持はハンドルを握り直し、己の舌を噛み切るほどに噛み締めた。


溢れる鉄の味。


後部座席。


井上は両手を自らの口内へ突っ込み、脂汗を滴らせながら、必死に噛み締めていた。


歯型から血が滲み、滴る。


システムの強制執行に、人間の執念だけで抗う。


(ようやく理解したか。それでいい)


氷室は一瞬、眼鏡を外した。




倉持 剛 (48) 余命:48年     幸福:中

井上 陽向(32) 余命:44年 倫理:高

赤城 晴馬(24) 余命:0日 倫理:高 幸福:高




すぐに眼鏡を戻す。


(お前たちの無知すら、私は許さない)


倉持は確認するように、ハンドルを握り直す。


理解した。


氷室の冷徹な刃が、喉元に突き付けられている。


本気で信じて動かなければ、容赦なく内側から喰い破られる。


――警察署に赤城を無事に届けろ


その命令だけが、狭い車内を支配している。


やがて、ついに福止警察署が見えてきた。




倉持は駐車場に滑り込み、車を止めた。


豪雨に打たれたように、汗を滴らせる井上。


氷室がドアを開けると、全員が機械的に続いた。


倉持と井上に挟まれ、赤城が署の重い扉へ向かう。


その背後を、氷室の刺すような視線が追う。


倉持が口を開くより、先だった。


青ざめた赤城の口を開く。


「説明してください! これは……、これは何が起きてるのですか!?」


脂汗を拭い、倉持が首を横に振った。


「見ての通りだ、分からねえよ。だが今日一日だけ耐えたら、終わりらしい」


氷室が間に割り込む。


眼鏡を外すと、真っすぐに赤城と視線を合わせる。


「赤城、お前を救いたい。信じろ、一日だけ留置場で過ごせ」


「……っ」


氷室の剥き出しの瞳。


「……はぁ、わかりました。不思議です、真実だと思えて、仕方がない……」


倉持は井上へ、無言の視線を送る。


頷く井上。


「公務執行妨害で、今日は通します」


「ああ」


倉持が振り返る。


「氷室、少しだけ待っててくれ。後は俺が持つ」


無骨な刑事が、一瞬だけ、一礼した。


倉持、井上、赤城の三人が、警察署の奥へと消えていく。


ロビーの冷たい椅子に、深く腰を下ろす。


(はは、社長。福止め死は、何回、不発した?)


氷室の乾いた笑い声が、ロビーに響いた。




13時02分。


倉持が戻ってきた。


「……こりゃ降参だ。参ったよ」


倉持が、自身の左手をじっと凝視する。


未だに、殺意の残滓が指先に痺れを残している。


「あんたに叩かれなきゃ、俺の手が、あいつを殺していた」


氷室の視線が、プライドを圧し折られた刑事を射抜く。


「もういいか? 真剣に話をしたい」


倉持が、苦々しく頭を掻いた。


「……ああ。事情聴取だな、奥へ来な」




取調室。


冷たい鉄の椅子。


氷室は腰を下ろすなり、本質に喰らい付く。


「もう一度聞く。本当にここが安全だと思うか?」


氷室は畳みかける。


逃げ道を完全に塞ぐ。


「留置係が、次の殺人犯になる可能性は?」


「分かった。氷室、もう上っ面の話はやめだ」


倉持が前傾姿勢になる。


「留置係は非武装だ、脅威はない。だが、全部賭ける。俺と、俺の班も監視につける。これでも不足か?」


「私を、その留置場へ入れろ」


氷室の冷徹な要求。


「異常があれば私がその場で知らせる。すぐに動け」


「なッ……、ハッ、参ったな、おい」


倉持が、重い溜息を吐き出した。


「プライバシーなんて言葉はないぞ。トイレの壁すら存在しない」


「早くしろ」


倉持は短く頷くと、氷室の身柄を奥へ連行した。




留置場。


三畳ほどの閉塞空間に押し込められる。


強烈な消毒液の臭気。


それでもなお漂う、澱んだ男の体臭。


ガラス張りの壁。


死角を計算された構造。


他人の姿は一切、視界に入らない。


氷室は、外の監視を始める。


眼鏡を外した。


時間が、静かに摩耗していく。


氷室は、己の肉体に刻まれた呪いを整理していた。


左手を見る。


結果を、わずかに改竄できる受動的な力。


――行使するほど、寿命が死ぬ。


右手を見る。


隠された事実を、目で暴く能動的な力。


――行使するほど、視界が死ぬ。


歪み、ぼやけた視界。


(私の前を通り抜けられるかな? 社長)


氷室は、額を、壁へ打ち付けた。


ガン。


ガン。


鈍い衝撃が、脳内へと響き渡る。


睡魔すら、許さない。




時間の感覚はなくなっていた


氷室の視界を抜ける異常は、何一つとしてない。


だが、行き場を失った因果の濁流。


23時59分。


それは、最悪の形で一斉に炸裂した。


壁に頭を激しく打ち付け始める、他の被疑者たち。


外に出ようと最後まで足掻き続けた。


因果に捻じ曲げられて銃身から吐き出された弾丸。


強化ガラスに撃ち込まれるが、破れない。


執拗に突き立てられる、因果の引っかき傷。




――すべて、無駄。




00時00分。


因果の強制執行、その時間切れ。


氷室は、渇いた高笑いを上げた。


眼鏡を、静かに掛け直す。


(改竄すら必要なかった。覆せたぞ……、はは……)


直後。


糸が切れたように床へ崩れ落ち、意識が暗転する。


泥のような深い闇へと、ただ沈んでいった。




【運命】


――生存:赤城 晴馬(24)

――生存:沢渡 澪 (24)



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