21.真実はいつもひとつ、とは限らない
ラストです。
歴代【聖女】は、魅了属性持ちが多い。
生来の属性持ちもいれば、後天的に精神操作系の魔術を身につけた者もいるという。
意図的かそうでないかはさて置いて、歴代の聖女はその魅了の力を存分に発揮していた、という記述が神殿に保管されている資料の中にあった。
前聖女もそうであったように、ショウコもまた天性の魅了属性持ちである。
最初にそのことに気づいたのは他でもない、シオン・レウァールだった。
知った上で、彼は自らそれに囚われたのだ。
「退屈だったんだ、何もかも。賢明なる王太子殿下の側近でいることも、聡明なる婚約者様をいずれ主と仰ぐだろうことも、宮廷魔術師として既に用意された道を歩くことも。だから、魅了されてやってもいいやってそう思った」
召喚された聖女は、小さくて、臆病で、愚かだった。
それを可愛いと思ったのは本当だ。
今まで自分の周囲にいなかったタイプだと、興味を惹かれたのもまた事実。
しかしそこに、恋情はなかった。
彼は進んで魅了の力に囚われ、聖女ショウコの愚かなる取り巻きとして尊大に振る舞い、周囲を散々傷つけた。
そこに後悔などないはずだった。
なのに……学生時代に気まぐれで付き合い、だがすぐに放り出した同級生の母親に殴られた時、彼女が妊娠していたのだと知らされた時、酷い後悔が彼を襲った。
彼女を愛していたわけじゃない、ただの気まぐれだった。
魔術師は子供が出来にくいとよく言われているから、対策をしなくてもいいやと高を括っていたのに。
「……僕は、許されないことをした。そこでやっと気づいたんだ、後悔してももう遅い。僕一人が死んだところで事態は何も変わらない。だったら……始めた自分の手で終わらせてやる、ってね」
「シオンは、わたくしに全てを打ち明けてくれました。そこな聖女が魅了の力を持っていること、自分が最初にその力に囚われたことで、次々とその周囲の者達も囚われていったこと。防ごうと思えば防げた事態をあえて防がず、悪化させてしまったこと。ですからわたくしは、彼に命じました。このままラインハルトの手足として愚かなフリをし続けながら、最悪の事態を引き起こさないように見張りなさい、と」
「僕はまず、魅了を防ぐ装身具を作って身近な者達にそれを渡した。でも外ではぼんやりと、やる気のない顔をするようにと言ってね。それから両陛下に状態異常をある程度防ぐ魔術具を造ってお渡しした。……そこから先は……予想したとおり、だと思うよ」
この国の騎士達が、使用人達が、誰も彼もぼんやりとしていたのは、王妃となったことでその力を増した聖女の魅了の力に冒されたから。
その力は麻薬のようなもので、一度囚われてしまうと抜け出すまでに相当の精神力と時間を必要とする。
シオンのように魔力が多い者は総じてそこまで強く囚われないため、彼は己の愚かさに気づいた段階でどうにか引き返すことが出来たのだ。
彼は相変わらず王太子の傍で側近を務めながら、我侭放題に振舞っては周囲の眉をひそめさせ、そうして王太子の絶対的な信頼を勝ち取った。
『とある計画』について相談を持ちかけられた時、これはチャンスだと彼はすぐに状況を整えるために動き始め、同時にそれを王妃へと話して聞かせた。
王妃はさすがに、まさか息子がとショックを受けた様子だったが、最終的には信じてくれたらしい。
「っ、この、裏切り者がっ!!」
剣を振りかざし、駆けてくるエディ。
バカだなぁと呟きながら障壁を張ったシオンの前に、その剣はあっさりと弾かれてしまう。
「その言葉だけで、王妃様の証言が正しいんだと……この生意気な女の説明が真実なんだと、証明してしまったんだよ?エディ」
「煩いっ!!聖女様を貶める発言、許しがたい!それに殿下には……っ、陛下には国王になっていただかなくてはならないんだ!!」
「そうだね。そうしないと、キミは騎士団から追放の上騎士すら辞めさせられてしまうから。サイラスだって宰相閣下から見放されていたし、僕もそうだ。全員揃って城から追放なんて目に合うのはわかってたことだから、協力し合うしかなかったんだ。そうだろ?」
騎士は、主に忠誠を誓うもの。
エディの剣はラインハルトに捧げられたはずだったのに、いつの間にかその対象を聖女へと変えてしまった。
そしてその聖女への想いに溺れるあまり、本来の主をないがしろにする発言すらしてしまったことに、彼はようやくここで思い当たって青ざめた。
「さて。真実が明らかになったところで、そろそろいいだろうか?」
カツン、とジェイルが一歩踏み出したところで、マドカは恭しげに頭を垂れて一歩退いた。
堂々と立つその姿に、ショウコの視線が再び彼に吸い寄せられる。
素敵、と零れた場違いな呟きなど誰も気に留める者はいない、ただただ隣国にありながら王者の風格を宿したその姿にある者は呆然と、ある者は惚けたように見つめるだけだ。
「事情があって侍女の姿に身をやつしていただいたが、こちらにられるのが正真正銘この国の王妃陛下であることは間違いない。ならば、分不相応にその席に座している国王陛下と王妃陛下には席をお譲りいただくのが筋ではないか?」
平たく言えば『いい加減にそこを退きやがれ』ということだ。
さすがにこの意味は通じたのだろう、ラインハルトは怒りで顔を真っ赤に染め、ショウコは反対に顔を青ざめさせて震えだした。
だがジェイルは、決して追及の手を緩めない。
彼はそのままつかつかと玉座の前まで歩を進め、そこで横にずれると膝を折って王妃が進み出るために道を譲った。
王妃は堂々と、すっかり変わり果ててしまった息子の前に立って胸を張る。
「退きなさい。そこは陛下の玉座です。王籍を抜かれたお前がいていい場所ではありません」
「母上、っ」
「控えなさい、愚か者っ!!」
凛、と響くその声にショウコはついにその場から転げ落ちるようにしりもちをつき、ラインハルトはそれを庇うようにしながら玉座のある壇上から下りた。
ゆったりと王妃の席に腰を下ろした王妃の前に、ジェイルが膝をつき恭しげに一礼する。
「真なる王妃陛下のお戻りを、我がアルファード帝国を代表して皇太子ジェイルがお祝い申し上げます」
「顔をお上げください、ジェイル殿。貴方には無理な頼みをきいてもらい、感謝しております。このわたくしに何か返せるものがあれば良いのですが……望みはありますか?」
「感謝など、とんでもない。こちらは我が妻の母国であり、妻も常々両陛下のことを案じておりました故」
「そうですか。……ではせめて、あなた方の婚姻を国の代表として祝福させてください。皇太子ジェイル殿、そして皇太子妃ジュリアーナ殿、このたびのご成婚誠におめでとうございます」
ひっ、と息を呑んだのは果たして誰だったか。
ぎょっと目を剥いたのは誰だったか。
それは、彼らが罪人として扱ったジュリアーナが隣国の皇太子妃となったことへの驚きか、それとも隣国の皇太子がよりにもよってこの国の元公爵令嬢を妻に娶ったことに対するショックの表れか。
なんにせよ、そこには王妃が『国の代表』として彼らの婚姻を祝福したことの意図について、理解できたという意味は含まれていないだろう。
彼らはかつて、何の罪もない公爵令嬢に冤罪を着せて結果的に国から出奔させてしまった。
それに対して謝罪するでもなく、彼らは追い討ちをかけるように使者を送ったり刺客を放ったり、果ては自分たちが直々にその国に出向いて好き放題に振舞ったり。
そんな無礼を繰り返した相手に対し、国の代表として王妃が婚姻の祝いの言葉を述べた。
それはつまり、ジュリアーナに対する数々の無礼千万な冤罪を取り下げ、彼女を元公爵令嬢として、そして隣国の皇太子妃として尊重しますよと宣言したということ。
「ジュリアーナ」
「はい、王妃様」
「…………貴方には本当に辛い思いをさせてしまいましたね。結局わたくしは、貴方がこの国を追い出されるようにして出奔するのを、ただ見ているしかできませんでした。息子を諌めることも、正しい道に戻してやることも。ですからわたくしは、その罪を償わねばなりません」
王妃を退くのは簡単だ、だがそれでは後に何も残らない。
混沌としてしまったこの国を立て直すのには時間と労力がかかる、それを放り出してしまうのは無責任としか言えないのだから。
「約束しましょう。わたくしは、陛下と共にこの国をきっと立て直してみせます。正しき者を重用し、愚かなる者には罰を下す。そうして国が正しき道を歩み始めたと、誰もがそう認められるようになった時、その時は改めて貴方にこの罪を詫びましょう。それまでどうか、待っていてもらえますか?」
「もったいないお言葉、ありがたく頂戴いたします」
こうして、謁見は無事終了した。
「……これでよかったのか?」
「なにがでしょう?」
「確かに、妃殿下の罪を問うた者らは正当に裁かれた。王妃陛下もその責任を負うと仰った。だがまだ……正当なる罪に問われていない者がいるだろう?」
「【聖女】様、のことですね」
両陛下の暗殺を目論んだとして、ラインハルトは死を賜った。
魅了封じの枷をつけられたにも関わらず、彼は結局最後までショウコを案じていたというから、もしかすると本気で愛していたのかもしれない。
彼は離宮にてひっそりと即効性の毒を飲まされ、その命を散らしたという。
彼の力によって宰相にまで上り詰めたサイラス、そして近衛騎士団長エディ、この二人は魅了封じの枷をつけられたことで緩々と魅了の効果が抜けてきているらしく、どうしてこんなことをしてしまったのかと悔いながらも、ラインハルトの後を追った。
シオン・レウァールについては、途中から王妃の下で動いていたこともあって恩赦という案も出たのだが、彼は自ら極刑を望み……命こそ散らさなかったものの、魔力封じの枷を嵌めた上で不毛なる辺境の地へと旅立っていった。
【聖女】ショウコ・ヒイラギについては、暗殺計画を全く知らなかったこと、彼女はただ盲目に愛を求めるだけの愚かな少女であったことがわかっており、そもそも国のエゴによって無理やりこちらの世界に喚ばれてしまったのだから、極刑に処するのは不当だということで生涯神殿にて幽閉という処分を課せられた。
その神殿にいるのは年老いた神官か、もしくは女性のみ。
外との接触を完全に絶たれたその神殿において、【聖女】様は来る日も来る日も祈りを捧げ続けなければならない。
勿論これまでやってもらっていた身の回りのことは自分でやらねばならないし、お勤めと証して神殿内の掃除であったり雑用であったりをこなす必要もある。
「愛され、守られて育ってきた彼女にとっては、これが【正当な】罰ではないでしょうか」
「…………そうか」
ショウコは、最後に顔を合わせたあの日、マドカに向かってこう叫んだ。
『悪役のくせに!パパとママを不幸にした、悪役のくせに!悪役が物語から退場しないから、こんなことになったの!!貴方が全部悪いのよ!!私は聖女よ!聖女はヒロインなの!ヒロインは大事にされなきゃいけないんだから!!』
(だから私はああ書いたんですよ。聖女やるならお好きにどうぞ、って)
あの時マドカは、聖女ショウコの物語から退場したつもりだった。
なのにそれを放っておいてくれなかったのはショウコの方だ。
マドカの大事なものに牙を剥こうとした、だからマドカもこうして立ち戻ってきたのだ。
「……君は、いいのか?」
ぽつり、とカインがそう問いかける。
「妃殿下の名誉は回復した、だが君は……この国に無理やり召喚させられ、不当なる扱いを受けた君は何を補償された?望むならば正当なる権利を主張し、賠償を望むこともこの国での地位を確立することだってできるだろうに」
「……我が主ジュリアーナ様の汚名が正式に返上され、名誉挽回が成りました。なら私は、それだけで構いません」
「…………マドカ」
「私は聖女の妹です。今更そのことを突かれたくもありませんし」
それにね、と彼女は傍らで心配そうな眼差しを向けてくる男を振り仰いだ。
「今置かれた現状を、私は結構気に入っているんですよ」
「……そ、うか……」
「ええ。『やられたらやり返せ、ただし等価交換で』というのは、シュヴァルツ家の家訓のひとつでしょう?等価交換はこれで充分です」
マドカはカインの実家に滞在している間に、徹底的にシュヴァルツ家の家訓を叩き込まれていた。
彼女は仮であってもカインの婚約者だ、ならば将来の嫁としての扱いをするからと。
『君はいいのか?』
この問いかけにはもうひとつ……いつまでも仮の契約関係のままでいていいのか、という意味も含まれている。
だが彼女はそれもわかった上で、『現状を気に入っている』と返した。
何より、主第一主義である彼女がいつまでも契約解除を申し出ないことが……カインの婚約者としてすっかり軍内部に周知され、カイン狙いのお嬢様方に絡まれたり、部下達にやっかまれたりしても、それを否定しないでいることが、何よりの答えだった。
愛していると、今はまだ互いにそう口にはできないけれど。
「では行こうか。即位の儀が始まってしまう」
「はい」
この日は、アルファード帝国の皇帝が交代する。
ジェイルが皇帝に、ジュリアーナが皇妃に。
まるで最初から一対であったかのような二人が今後この帝国を治めることになり、カインとマドカはそれを支えていくと改めて誓いを立てる。
手を差し出すでもなく、腕を絡めるでもなく、二人は揃って競い合うように駆け出した。
これにて「聖女やるならお好きにどうぞ」は無事完結致しました。
途中書き直しや仕切り直しなどありましたし、最後は駆け足な上に『上から目線のざまぁ』になりましたがどうにか完結させられることができました。
ここまで厳しくも優しく見守ってくださった皆様、本当にありがとうございました。
2015.12.27 久遠萬姫