第5回
「私、AYB32になる!」と宣言したものの、両親の反応は半分応援、半分反対というものだった。それでも私の意志は固く、結局は両親に内緒で応募することにした。その頃、大学での授業も忙しくオーディションの開催中も教科書や論文を手にとにかくずっと勉強していた。また、子供の頃からの人前で話すことが苦手な性格から面接や配信審査に不安と一抹の恐怖を覚えていた。とにかく出来ることは全てやろうと決心し、準備を入念に面接へ挑んだ。
書類選考を通過し、ついに面接の日を迎えた。書類選考を通過した候補者が数人ずつのグループとなり面接を受けた。
「数あるうちのアイドルグループの中でなぜAYB32でなければならないのですか?」
私はスピーチで泣いてしまったことを咄嗟に思い出し、震える声でこう答えた。
「私はAYB32の楽曲も衣装も振り付けもすべて子供の頃から大好きでした。アイドルになる夢は諦めそうになっていましたが、今回のオーディション動画をライブ会場で見て、一緒の衣装でステージに立ちたいと思うようになりました。」
震えた声でも力強く答えることが出来、一気に緊張が緩んでいくのが分かった。
「今、一番頑張っていることは?」
「私は今、大学の理学部に通い、日々勉強や実験を行っています。学業とオーディションを両立するために電車でも教科書や論文を読んで頑張っています。」
他にも2、3問答え、面接は終了した。
家に帰ると母が訪ねてきた。
「ひな、面接はどうだった?」
私は答えた。
「うん、すごく緊張したけど伝えたいことは伝えられたかな…。」
母には面接の自信がないことが伝わったのかもしれない。それ以上、オーディションの話はなかった。
数日後、ネットで合否を知らせる日がやってきた。私は全く期待していなかった。今日でAYB32を目指すのも終わりか…。これからは頑張って学業に専念しよう。と思っていたが、画面を開くと出てきたのは、「合格」の文字だった。
第三次審査はダンス・歌唱審査だった。私は歌唱には自信があったが、ダンスは全くの未経験だった。この時ばかりは勉強量を少し減らし、ダンスの練習に励んだ。受験シーズンに猛勉強した日々を思い出すように練習した。その甲斐あって、ダンス・歌唱審査はそつなくこなすことが出来、見事「合格」出来た。
第四次審査はライブ配信サービスを使った公開選考だった。2日間限定で実施され、実際に顔を出すか声だけでファンの方と話すことが出来る機会だ。初日、私は大学生ということもあり、「顔出しなし」での配信を選んだ。不利かもしれないが声だけで勝負すると決めた。面接選考の時と同様、100の質問など事前にノートに書き準備を怠らなかった。するとたちまち、丁寧な言葉遣いや真面目な受け答えがファンの間で話題になった。2日目は顔出しで実施することを決めた。
「『好きな元素記号はあるの?』……あ、私はチタンが好きです。強くて軽いそんなアイドルになりたいです。」
「『もし合格出来たら何がしたい?』……えっと、私はAYB32の衣装が着てみたいです!」
「『今日の晩御飯は何食べた?』……うーん…栄養バランスを考えてー………」
この質問の答えにはファンからの「真面目か!」というコメントで溢れた。
「キャッチフレ―ズはどうするの?みんなの心を化学反応させたい!にしようかなって考えています!」
ライブ配信での選考は始め、すごく不安で怖かったが、そんな気持ちは最終日にはなかった。何度もコメントをしてくれるファンや投げ銭をしてくれるファンとの別れが寂しくて配信終了後には一人、部屋で泣いた。その時、絶対にAYB32になりたいと思った。
最終審査は、運営のプロデューサーから番組の偉い人までが勢揃いする面接だった。その子の持つ独特なオーラを確認するかのような、踏み込んだ質問が飛ぶ。
「大学はどうするのか?」という問いに、私は必死で両立の覚悟を答えた。
審査を終えて帰宅した夜、私は張り詰めていた糸が切れたように呟いていた。
「お母さん、私、このオーディションが不合格だったら、もうアイドルになるのは諦める。」
「そうね…まだ結果出てないけど、また大学生活頑張ればいいじゃない。」
これまでそんなことを親に言ったこともなかったが、そこまでメンタルはギリギリになっていたのかもしれない。
数日後、一通の封筒が届いた。差出人はAYB32の運営会社からだった。私は封筒を開けて中身を見るのが怖かったが、決心して開けてみた。書かれていたのは、
(…よってダンス、歌唱レッスンが下記の日程で行われます。集合場所は…)
「え?」
更に開いた。
「合格」の文字。
「お母さん、お父さん合格だったよ!」
その日から私のAYB32人生は始まった。




