第4回
先日、面接のために訪問した会社の社長から言われた言葉が脳で反芻していた。
(資格は簿記3級か。簿記3級だけでは男性の経理や総務の仕事は厳しいよ。君の年なら簿記2級いや、会計士くらい目指さないと。)
僕は高校1年生の時、独学で簿記3級を受験し合格した。商業高校の生徒なら取得して当たり前の時期なのかもしれないが、普通科高校での勉強に加えて半分義務化されていた部活動、それにまだ高校生活にも慣れていない中での独学での簿記試験を通過したことは自らの人生でも一抹の自信を持つ出来事の一つだった。それを一言で片付けられたことが悔しくて、無念でならなかった。
僕は中学、高校では成績は悪い方ではなかった。いや、これは謙遜だ。正直言えばトップクラスに入っていた。その反面、運動神経はトップクラスに悪い。かけっこは当然のようにいつも最下位、マラソンも途中でリタイヤする始末、水泳の授業は地獄だ。なんせ泳げないどころか恐怖で足を床から離すことさえ出来なかったのだから。だからこそ幼稚園に通っていた時から自らの運動神経のなさを認めて、勉強に打ち込んだ。塾へ行かずともトップクラスに食い込む成績を打ち出せた。
高校に入ってからは政治や行政に興味があったこと、簿記をはじめ、事務の仕事に興味があったこともあり、公務員を志望した。地元の市役所や学校職員等、高卒で受けられることの出来る事務系公務員を志願したが、筆記試験は通過するものの面接で不採用になることは今と変わらない。大学へ行くという道もあったが、早く自立したい気持ちもあり、自らアルバイトではあったが、地元の物流会社へ就職を決め、卒業した。いつも近道を選択してしまっていた僕に今となってはこう言葉をかけたい。「急がば回れ」。
物流会社では3PLという形態の業種だったらしい。因みに3PLとは荷主企業に代わり、物流機能を一括または組み合わせて請け負うということらしい。難しい専門用語を並べてみたけれど、僕の実際の仕事は一番苦手とする肉体労働だった。平均年齢は50代くらい。定年を迎えた方や僕のようにフリーターの人まで幅広くいた。ある日、肉体労働のストレスもあり、先輩アルバイトと衝突した。それが退職の決め手となった。新しい職を探すのに不安がなかったと言えば噓になるが、この会社も自分で見つけ、応募し、採用されたからこそ自信があった。
退職してから月日は2年半過ぎ、その後、農業関係のアルバイトに入職した。志望動機は自然が好き、農業に興味があると御託を並べたが、現実は貯金の枯渇だ。友達も少ない僕は物流会社で働いていた時に長く続かないことを悟り、収入のほとんどを貯金していたがそれが枯渇した。親の脛を齧るにも限界があるのだ。農業関係のアルバイトは軽作業と言いつつ、真夏に外で段ボールに農産品を詰め込み、梱包するということを延々と一日中繰り返す。毎日、塩分タブレットをいくつ食べてもきりがないような大汗をかく仕事だ。なぜこんな目に遭うのかと境遇に涙しながら働く日々だった。そして、僕は慢性的な疲労感と「自分には肉体労働は無理だ」という挫折感で身体を壊して退職した。
「自分には肉体労働は無理だ」と悟ったものの舞都市という小さな市では事務職の就職先はごくわずかで就職活動と言っていい日よりもはるかに求人が出るのを待つ日が多かった。毎日、ハローワークのホームページを確認し、新規の求人を確認し、落胆する日を何日も続けた。そんなこんなで3年が経っていた




