第9話 器がひとつ
# 第9話 器がひとつ
地面から覗く、四角い石。
私はその前にしゃがみ込んだまま、しばらく動けなかった。
「地下に……何かある」
もう一度、表面の土を払う。やっぱり自然にできた形には見えない。角があり、表面も妙に平らだ。
石の端を探すように、掘削用の尖った石で周囲の土を削ってみる。
ザッ、ザッ。
少しずつ石の範囲が広がっていく。
「まだ続いてる……」
手のひら二つ分ほど掘っても、端が見つからない。さらに掘ろうとして、私は手を止めた。
「……いや」
周囲を見る。
水場。簡素な屋根。焚き火。それから、煙に当てている角ウサギの肉。
地下に何があるのかは、ものすごく気になる。でも、今掘り進めるべきなのかと言われると違う気がした。
「今、掘ることじゃないか」
これが宝物だったとしても、昔の建物だったとしても、私のお腹を満たしてくれるとは限らない。それよりも、毎日必要になるものがまだ足りていない。
「こっちは逃げないよね」
人工物らしき石へ言ってみる。当然、返事はない。
私は目印代わりに周囲へ小石を並べて立ち上がった。
「よし。地下の謎は後回し」
今は、生活だ。
◇
拠点へ戻ると、煙の匂いが強くなっていた。
「そうだ、お肉」
枝に掛けていた角ウサギの肉を見る。昨日より表面が乾き、触ると少し硬くなっている。煙の匂いもしっかりついていた。
ただ、これが本当に燻製として完成しているのかは分からない。
「食べられる……よね?」
腐ったような匂いはしないし、変な色にもなっていない。でも、私は保存食の作り方をちゃんと知っているわけではない。
「長く置くのは怖いなあ」
せっかく保存しようとしたけれど、今回は数日以内に食べきった方がよさそうだ。
私は肉を少し切り取り、焚き火でしっかり炙る。
「いただきます」
噛んでみる。
「ん……煙の味する」
昨日より硬い。でも、ただ焼いただけの肉とは少し違う。調味料も塩もないのに、煙の風味があるだけでちょっとおいしく感じた。
「これ、ちゃんと作れたら結構おいしそう」
保存できるかどうかは別として、新しい発見だった。
肉を食べ終え、水を飲もうとして立ち上がる。
そこで、ふと足が止まった。
「……毎回これなんだよね」
喉が渇けば水場へ行く。しゃがんで手ですくい、飲む。それからまた寝床へ戻る。
水場はすぐ近くだ。それでも夜中に喉が渇いた時や、焚き火の近くで水を使いたい時まで毎回往復するのは面倒だった。
何より、両手ではほとんど水を運べない。
私は岩の上を見る。
「……あれ」
そこには数日前に作った粘土の器が置いてあった。
丸い――つもりで作ったもの。
左右で高さが違うし、口も歪んでいる。お世辞にも綺麗とは言えない。
「結構乾いてる」
触ってみる。最初の柔らかさはもうなく、持ち上げても形が崩れない。
「これ……焼いてみようかな」
火もある。粘土もある。このために作った器だ。
「確か、陶器って焼くんだよね」
そこまでは知っている。
問題は、その先だ。
「どうやって?」
窯なんてない。何度で焼くのかも、どれくらいの時間が必要なのかも知らない。
「焚き火に入れる……?」
自分で言っておいて、見るからに危険な気がした。
でも、他の方法も知らない。
「やってみよう。失敗したら、また作ればいいし」
◇
私は焚き火の横に、乾いた粘土の器を置いた。
「いきなり火の中は……さすがに駄目かな」
なんとなくだけど、急に熱くしたら割れそうな気がする。
まずは火から少し離れた場所に置く。しばらく待ってから器を回し、反対側も温めた。
「……変化なし」
もう少し近づける。また待つ。
「これ、合ってるのかな」
分からない。
分からないけど、とにかく少しずつ器を火へ近づけていく。
やがて、焚き火のすぐ横まで来た。
「そろそろ……」
木の枝を使って、器の周囲へ燃えている炭を寄せる。
一つ。二つ。三つ。
熱が強くなった。
「お願いします」
何にお願いしているのか、自分でも分からない。
しばらくじっと見守る。薪がパチパチと弾け、器の表面も少しずつ色を変えていく。
「おお……」
本当に陶器っぽくなるのかもしれない。
そう思った瞬間だった。
ピシッ。
「え?」
嫌な音がした。
器を見ると、側面に一本、細い線が入っている。
「待って」
ピシッ。
「待って待って!」
線が伸びる。
そして。
パキン。
「…………」
器の側面が割れた。
「嘘……」
私は呆然とした。
せっかく作った器。何日も乾かして、ようやく使えると思ったのに、綺麗に二つに割れている。
「……駄目だった」
枝を使って破片を火から離す。十分に冷えてから拾い上げ、眺めた。
「なんで?」
火が強すぎたのか。まだ中に水分が残っていたのか。それとも、作り方そのものが悪かったのか。
よく見ると、器の底はかなり厚い。一方で側面は場所によって薄かったり厚かったりする。
「……これかな」
正解かどうかは分からない。でも、少なくとも均一ではなかった。
最初に作った時は、器の形にするだけで精一杯だった。
「もっと丁寧に作った方がいい……?」
失敗したなら、次は変えてみる。
「もう一個作ろう」
◇
水場の粘土を掘る。
小石を取り除き、水を少し加えてこねる。
「前よりちゃんとやろう」
丸めて、中心を押す。ゆっくり広げながら形を作っていく。
今回は大きくしない。手のひらより少し大きい程度。
「ここ厚い」
指で押す。
「こっちは薄いな」
粘土を少し足す。
手の中で少しずつ回しながら、なるべく同じ厚さになるよう整えていく。
「……やっぱり歪んでる」
綺麗な器にはならなかった。
それでも、最初のものよりはずっとマシだ。
「もう一個作ろう」
せっかくだから、同じくらいの大きさでもう一つ。
二つあれば、一つ失敗してももう一つ残る。
「学んだ」
少しだけ得意げに言って、二つの器を岩の上へ並べた。
「今度はちゃんと乾かそう」
すぐには焼かない。
焦らない。
その日は薪を集めたり、水場を整えたり、植えた芋の場所を確認したりしながら過ごした。時々器の位置を変え、片側だけに日が当たり続けないようにする。
夜は雨が怖かったので屋根の下へ移し、翌朝になったらまた外へ出す。
「器一個作るのに、こんなに時間かかるんだ……」
元の世界なら、百円でも買えただろう。
それを今は、粘土を掘るところからやっている。
「百円ショップってすごかったんだなあ」
本気でそう思った。
◇
二つの器が十分乾いたと思えるまで待った。
今度は前より慎重に焼く。
最初は火から離れた場所。しばらくしたら少し近づける。さらに待って、もう少し近くへ。
「急がない」
自分に言い聞かせながら、ときどき器を回す。
十分に温まったと思ってから、ようやく周囲へ炭を置いた。
パチッ。
心臓が跳ねる。
「今の薪だよね?」
器を見る。
割れていない。
「大丈夫……」
さらに待つ。
どれくらい経ったのかは分からない。
薪を足して、火を見て、器を見る。また薪を足す。ただそれを繰り返した。
一つ目。
無事。
二つ目も。
「……割れてない」
嬉しくなる。
でも、まだ触らない。
火を弱め、そのまま冷えるのを待つ。
「触りたい……」
我慢。
少し待ってから手を伸ばし――。
「あつっ!」
「まだだった!」
慌てて手を引っ込める。
さらに待つ。
ようやく手で持てるようになった頃、私は一つを持ち上げた。
「……硬い」
乾いただけの時とは違う。
表面を指で叩く。
コン。
「器っぽい」
もちろん元の世界で使っていた陶器とは全然違う。
色もまだら。形も歪んでいる。表面だってざらざらだ。
それでも。
私はそれを水場へ持っていった。
「お願い……」
水を入れる。
器の中に、水が溜まった。
「……!」
持ち上げる。
こぼれない。
「入った!」
思わず声が大きくなる。
底を見る。
一滴。
水が滲んだ。
「あ」
完全ではない。少しずつ水が染み出している。
「漏れてる……」
でも、すぐに全部なくなるほどではない。
私は両手で器を持ち、寝床まで歩いた。
一歩。二歩。三歩。
今までは、この距離すら水を運べなかった。
それが。
「運べた……」
屋根の下まで。
水を持ってこられた。
器を地面へ置く。半分以上は、ちゃんと水が残っている。
「……すごい」
たった一つの小さな器。
しかも歪んでいて、少し水も漏れる。
それでも、これがあるだけで水場と寝床を何度も往復しなくていい。夜に喉が渇いても、すぐそばに水を置いておける。
「便利……!」
思っていた以上に嬉しい。
私はもう一つの器にも水を入れて運んだ。
二つの器が屋根の下に並ぶ。
ただの器なのに、妙に立派に見えた。
水場。
寝床。
屋根。
火。
食べ物。
そして、器。
少しずつ、本当に少しずつ。
ここでできることが増えている。
「次は……」
私は器を見る。
もっと大きなもの。水をたくさん運べるものが欲しい。
それから、もし火にかけられる器が作れたら、お湯を沸かせる。煮ることだってできる。
「鍋……」
また新しい目標ができた。
欲しいものは、作れば作るほど増えていく。
でも、それでいい。
何もなかった場所に、今日は器が二つ増えた。
それだけで。
昨日より少しだけ、ここは暮らしやすい場所になった。




