第1話 看板を見た人
「水なら、こっちです」
そう言いながら歩く私の背中を、知らない男の人が二人ついてくる。……怖くないと言えば嘘になる。アルドさんもガランさんもいない。今日は完全に私一人だ。腰には金属ナイフがあるし、石斧も家の近くに置いてある。もし相手が変な人だったら逃げる。たぶん。
「大丈夫、大丈夫」
自分にしか聞こえない声で呟きながら、二人を湧水へ案内した。
「ここです」
「本当にある……」
一人がしゃがみ込み、両手で水をすくった。
「飲んでも?」
「どうぞ」
「助かる」
喉を鳴らして水を飲む。その様子を見ていると、少しだけ警戒心が薄れた。もう一人は腰の水袋を外した。
「これにも入れていい?」
「はい」
答えてから、少し考える。以前、ガランさんには「水にも価値がある」と言われた。確かに、荒野の途中で飲める水は貴重だ。でも、
「飲む分なら、お金はいらないです」
「本当に?」
「はい。大量なら困りますけど」
「ありがたい」
二人が素直に頭を下げた。少なくとも、今のところ変な人ではなさそう。
「ここ、いつからあるんだ?」
「えっと……しばらく前からです」
正確な日数は分からない。そもそも、この世界の暦すらまだまともに知らない。
「一人で住んでる?」
「はい」
「他の人は?」
「商人が時々来ます。住んでるのは私だけです」
二人が周囲を見回した。
「家も自分で?」
「はい」
「畑も?」
「はい」
「この水路も?」
「はい」
「……一人で?」
「さっきから何回聞くんですか」
一人が吹き出した。
「いや、悪い。変わった人だなと思って」
「最近よく言われます」
何となく、少しだけ会話がしやすくなった。
◇
水袋を満たした二人の視線が、今度は畑へ向かった。
「食べ物って売れる?」
「食べ物?」
「水飲んだら腹減ってきた」
「ああ」
そういうことか。前にガランさんへ食事を出して、お金をもらったことがある。
「土芋と野豆の煮込みなら作れます。今日は肉ないですけど」
「それでいい。いくら?」
ここで問題が発生した。値段。
「……銅貨一枚で、どうです?」
自分で言っておいて不安になる。高い?安い?分からない。
「一人一枚?」
「はい」
「いいよ」
あっさり成立した。
「……やった」
「何?」
「なんでもないです」
◇
鍋へ水を入れ、切った土芋と野豆を煮る。塩は少しだけ。二人は来客小屋の前へ腰を下ろし、周囲を眺めていた。
「これ、泊まれる?」
「一応は」
「宿代は?」
「……まだ決めてません」
「じゃあ、今日泊まっていい?」
「え」
今日。もう泊まる人まで来た。看板を立てた効果、早すぎない?
「大丈夫です。でも、かなり簡単な小屋ですよ」
「外で寝るより百倍いい」
「そこまで?」
「荒野の夜を舐めるな」
私は一度、家を作る前に何度も外で眠ったことを思い出した。
「……それはそうですね」
食事だけじゃない。宿。水。人が来るようになれば、決めないといけないことが増えるらしい。
◇
夜。二人は来客小屋。私は自分の家。扉を閉めても、外から小さな話し声が聞こえる。以前、アルドさんとガランさんが泊まった時も同じだった。でも今回は違う。完全に知らない人。
「怖くない?」
自分へ聞いてみる。
「少し」
正直。でも、看板を出したのは私だ。人が来るかもしれないと分かっていて、出した。それどころか、来てほしいとさえ思った。人が来るのは嬉しい。でも、警戒は必要。この二つは同時なんだ。その夜、私は念のため金属ナイフを寝台のすぐ手が届くところへ置いた。
◇
翌朝。何事もなかった。
「おはよう」
「おはようございます」
二人は普通に来客小屋から出てきた。
「よく寝れた」
「ほんとですか?」
「外よりずっといい」
その言葉が少し嬉しい。
「これ」
手のひらへ銅貨一枚を乗せられた。
「え?」
「小屋代」
「決めてないです」
「じゃあ昨日世話になった分。受け取っとけ」
「でも」
「水まで無料だったんだ。それくらい払わせてくれ」
結局、受け取った。食事で二枚。宿で一枚。合計三枚。
「じゃあな」
「水ありがとう。また通る時寄るよ」
「はい。気をつけて」
二人が道標の方向へ歩いていく。姿が見えなくなってから、私は手の中の銅貨を眺めた。知らない人が来た。水を飲んだ。食事をした。泊まった。そして、お金を置いていった。
「看板って、本当に人を連れてくるんだ」
たった一枚の板。それを街道へ立てただけ。でも、その向こうから人が来た。泉の開拓地は、少しずつ。私だけの場所ではなくなり始めていた。




