第9話 家を離れる
出発の朝。
私はいつもよりずっと早く起きた。
「……よし」
何度目か分からない確認。
畑。
《表土水分:中》
《植物生育状態:良》
《水流入量:少》
水路。
詰まりなし。
貯水槽。
農業用の水。
十分。
家。
扉。
閉める。
「……これ、外からどう固定しよう」
完全な鍵はない。
枝を扉の前へ渡す。
動物なら少し防げる。
人が来たら無理。
「まあ」
ここ。
今まで誰も来なかった。
火。
焚き火。
いつもなら、できるだけ火種を残す。
今回は消す。
水をかける。
灰を混ぜる。
手を近づける。
熱。
なし。
「消えた」
戻ったら、また摩擦。
「……大変」
「嫌そうだな」
「大変なんですよ」
「知ってる」
◇
持ち物。
革の水袋。
借り物。
焼いた土芋。
野豆。
金属ナイフ。
石斧。
小さな籠。
「重い」
「減らすか?」
「食料減らすの怖い」
「なら持て」
「はい」
家の前。
立つ。
見る。
屋根。
壁。
畑。
水路。
水瓶。
貯水槽。
「……」
初めて。
何日も離れる。
「行きましょう」
歩く。
数歩。
振り返る。
「……行ってきます」
「誰に言ってる?」
「家」
「家に?」
「いいじゃないですか」
「まあな」
◇
南東。
今まで本格的に探索していない方向。
景色は似ている。
でも植生が微妙に違う。
「《土地鑑定》」
《乾燥地》
《地盤:安定》
《周辺植生:低》
「何か見てるのか?」
「地面」
「便利だな」
「あ」
「今のは?」
「……秘密です」
「分かった」
アルドさんは追及しない。
本当に助かる。
◇
昼。
地面。
足跡。
「これ」
止まる。
「何です?」
四足。
犬みたい。
「灰牙犬」
「犬?」
「犬に似た魔獣」
「危険?」
「一匹なら、そこまで。群れだと面倒」
「……」
周囲を見回す。
「今はいない」
「本当に?」
「足跡古い」
「分かるんです?」
「これくらいは」
旅慣れ。
商人。
外。
知ってる。
私は家を作れた。
畑も作れた。
でも、外の世界は全然知らない。
改めて思う。
◇
夕方。
大きな岩。
「今日はここ」
「ここ?」
「風避けられる」
「宿は?」
言ってから。
気づく。
アルドさんを見る。
「荒野にあると思うか?」
「ですよね」
寝床。
草。
集める。
岩際。
敷く。
「懐かしい……」
「何が?」
「最初、こうやって寝てました」
「ここで?」
「家できる前」
「……本当に一からだったんだな」
「はい」
火。
摩擦。
久しぶり。
「つかない」
「手伝うか?」
「やります」
何度も。
擦る。
煙。
出る。
「来た」
乾いた草。
息。
炎。
「ついた!」
「そんな嬉しいか」
「火起こし、未だに大変なので」
火。
食事。
夜。
空。
星。
◇
寝る。
草。
硬い。
風。
冷たい。
「……家ってすごい」
「今さら?」
「今さらです」
屋根。
壁。
寝台。
全部。
自分で作った。
今。
ない。
それだけで、こんなに違う。
「帰ったら」
「ん?」
「屋根、もう少し直そう」
「町行く前にもう帰った後の話か」
「だって」
帰る場所。
ある。
そのことが。
少し。
嬉しかった。
◇
野営の夜。
食事を終えたあとも、私はなかなか眠れなかった。
風が岩へ当たる音。
遠くで何かが鳴く声。
家なら聞こえない音が多い。
「……灰牙犬じゃないですよね」
「違う」
「分かる?」
「たぶん」
「たぶん?」
「遠い」
安心していいのか分からない。
石斧を手元へ置く。
「家にいると、壁って偉いですね」
「壁を褒める奴初めて見た」
「屋根も偉いです」
「分かった」
私は火を見る。
炎が小さくなったので、細い枝を一本足す。
「最初は、毎日これだったんですよね」
「何が?」
「外で寝るの」
今なら。
家がない生活へ戻れと言われたら。
かなり嫌。
「慣れると贅沢になる」
「家は贅沢じゃないだろ」
「私には贅沢でした」
自分で作ったから、余計にそう思う。
町へ行けば。
もっと立派な家があるはず。
それを見たら。
また自分の家が粗末に見えるかもしれない。
それでも。
「帰りたい場所なのは変わらない」
小さく言う。
「何か言ったか?」
「なんでもないです」
私は外套代わりの布もない身体を丸め、火の近くで目を閉じた。




