第4話 アルドが帰る日
アルドさんが。
「そろそろ戻る」
と言ったのは。
普通に歩き回れるようになってから三日目だった。
「もう?」
思わず聞き返す。
「もう、って。十分世話になった」
「身体、本当に大丈夫ですか?」
「ああ。少なくとも、一人で歩くくらいなら」
外へ出て。
何度か身体を伸ばす。
顔色も。
最初に見つけた時とは全然違う。
「商人がいつまでも帰らなかったら、死人扱いされる」
「あ……」
それは困る。
「家族とか?」
「仕事仲間とか、取引先だな」
「心配してるでしょうね」
「たぶん」
そこはもう少し自信を持ってほしい。
◇
問題。
食料。
水。
ここからベルクまで。
徒歩二日半くらい。
途中。
水場はほとんどない。
「持っていけるだけ持っていってください」
「悪いな」
「また倒れられた方が困ります」
土芋。
煮た野豆。
焼いた土芋も少し。
問題は水。
アルドさんの水袋は。
遭難中に空になったあと、どこかで傷んだらしい。
「これじゃ駄目ですね」
「ああ」
水を入れると。
じわっと漏れる。
縫える道具もない。
「……これ」
私は小型の粘土器を見る。
二つ作った。
ずっと使っている。
水を運ぶ。
飲む。
調理の下準備。
何かと便利。
「一つ、持っていきます?」
「いいのか?」
「また作れます」
本当は。
ちょっと惜しい。
かなり。
でも。
命より大事ではない。
「ただ」
粘土器。
蓋がない。
「これ、そのままだと歩いてる時こぼれますね」
「そうだな」
大きめの葉。
乾いた草。
草紐。
口へ葉をかぶせ。
草を詰め。
上から紐。
完全密閉にはならない。
揺らせば漏れる。
「慎重に持てば……?」
「十分だ」
「割らないでくださいね」
「……返せる保証ないぞ?」
「その時は生きて戻ってください」
「分かった」
◇
出発前。
アルドさんが。
「欲しいものあるか?」
「あります」
即答。
「早いな」
「ずっと考えてたので」
「言ってみろ」
「塩」
「分かった」
「針」
「分かった」
「糸」
「分かった」
「布」
「待て」
「金属ナイフ」
「待てって」
「鍋。斧。スコップ。あと」
「多い!」
止められた。
「全部買う金あるのか?」
「ありません」
「なら優先順位」
優先順位。
苦手。
「塩」
「そこは確定なんだな」
「はい」
「次」
「金属のナイフ」
「高いぞ」
「……じゃあ、針?」
「用途次第だ」
悩む。
今の服。
かなり傷んでいる。
破れもある。
針と糸。
あれば直せる。
ナイフ。
石より絶対便利。
「塩。針。糸。金属ナイフ」
「分かった」
「全部買えるほど、毛皮あります?」
「今の一枚じゃ全部は無理だ」
「ですよね……」
「だから次に来た時、相談だ」
「はい」
アルドさんが歩き出す。
少し進んで。
振り返った。
「俺が戻るまで生きてろよ」
「それはこっちの台詞です」
「違いない」
笑う。
背中が小さくなる。
荒野の向こうへ。
消える。
◇
「……静か」
風。
水。
葦。
焚き火。
いつもの音。
アルドさんが来る前。
ずっと。
これだった。
なのに。
「なんか違う」
家の中。
寝台。
さっきまで。
もう一人いた。
夕食の時。
話していた。
質問した。
笑った。
それが。
なくなる。
「寂しい……?」
自分で言って。
ちょっと驚く。
この世界へ来た時。
一人が怖かった。
でも。
生活が安定してからは。
一人に慣れたと思っていた。
違ったらしい。
「……でも」
また来る。
アルドさんは。
そう言った。
「また、か」
私は。
南東を見る。
この世界へ来て。
初めて。
誰かとの。
次の約束ができた。
だから。
今日は。
前より少し。
荒野が広く感じなかった。
◇
見送ったあと、すぐにいつもの作業へ戻ろうとした。
まず水路。次に畑。それから薪。
でも、何度も南東を振り返ってしまう。
「もう見えないって」
自分で言う。
それでも見る。
誰かを送り出すなんて、この世界へ来てから初めてだった。
畑の草を抜きながら、アルドさんが教えてくれた名前を一つずつ思い出す。
ルグラ荒野。
ベルク。
角兎。
土芋。
野豆。
昨日まで知らなかった言葉ばかり。
「私、ほんとに何も知らなかったんだな」
でも。
知らなかった。
だから。
今から覚えればいい。
アルドさんが戻ってきたら、次は何を聞こう。
文字。
町。
お金。
他の食べ物。
考え始めると、聞きたいことはまた増える。
「質問、まとめておこうかな」
紙もない。
文字もまだ分からない。
「……頭の中で」
結局そこに戻る。
私は少し笑い、それから水瓶へ水を足した。
誰かが戻ってくる予定がある。
それだけで。
明日が、少しだけ今までと違って見えた。




