エピローグ 何もなかった場所
夜。
家の中から、人の寝息が聞こえている。
「……不思議」
私は扉の外に座り、焚き火へ枝を一本放り込んだ。
ぱちっ、と火の粉が飛ぶ。
家の中で眠っているのは、今日助けた男の人。
名前もまだ知らない。
どこから来たのかも。
この世界のことも。
私は何も知らない。
それでも。
今までとは、一つだけ決定的に違うことがある。
私以外の人がいる。
「人、いたんだなあ……」
当たり前なんだけど。
実際に会うまでは、どこか現実味がなかった。
私は焚き火の向こうを見る。
暗闇の中に、小さな畑がある。
その横には水路。
水瓶。
柵。
少し離れたところには、直した古い貯水槽。
そして。
振り返れば家がある。
「最初は、本当に何もなかったのに」
転移した日のことを思い出す。
乾いた土。
見渡す限りの荒野。
水も見えない。
食べ物もない。
家もない。
道具すらない。
あの日。
地面へ手をついて。
《土地鑑定》を使った。
表示された地下水脈を見て。
まず水を探そうと決めた。
そこからだった。
地面を掘った。
石を割った。
草を集めた。
雨をしのぐ屋根を作った。
何度も失敗しながら火を起こした。
芋を見つけた。
生き物を捕まえた。
初めて命を奪った。
器を作った。
畑を作った。
籠を編んだ。
木を切った。
家を建てた。
水を引いた。
一つ。
また一つ。
本当に少しずつ。
何もなかった場所へ、必要なものを増やしてきた。
「……頑張ったなあ、私」
誰も褒めてくれなかったから。
自分で言ってみる。
ちょっと恥ずかしい。
でも。
今日くらいはいいと思う。
私は立ち上がった。
家の中を覗く。
男の人はまだ眠っている。
この家を作った時。
まさか、自分以外の誰かを寝かせることになるとは思っていなかった。
「村か、って聞かれたんだよね」
思い出して笑う。
家は一軒。
住んでいるのは私一人。
どう考えても村ではない。
それなのに。
他人から見れば。
ここはもう。
ただの荒野には見えなかったらしい。
そのことが。
なんだか嬉しかった。
もう一度、外を見る。
暗闇の中。
家の前だけが焚き火の光で照らされている。
「何もない場所じゃなくなったんだ」
小さく呟く。
明日。
あの人が元気になったら。
聞いてみよう。
ここがどこなのか。
町はどこにあるのか。
この世界に、どんな人たちが暮らしているのか。
私がずっと知らなかった。
荒野の外のことを。
「……楽しみ」
少しだけ。
怖くもある。
でも。
一人で何もない土地へ落とされた時に比べれば。
たぶん。
どうにかなる。
私は自分の家へ戻る。
扉を閉める直前。
最後に、荒野を振り返った。
何もなかった荒野。
そこに。
私の暮らしがある。
そして今日。
初めて。
外の世界から、人がやってきた。
きっと明日から。
この場所は。
また少しずつ変わっていく。




