大天使
のみかけの牛乳パック
冥界の指定保養所となったスライム温泉郷には、連日連夜、地獄の釜の番人や赤鬼、青鬼といった恐ろしげな(しかしすっかり疲弊しきった)冥界の職員たちが慰安旅行に訪れるようになっていた。
「いやぁ、最近の亡者は口答えが多くてストレスが溜まるッスよ。魔王さんの地獄鍋、マジで胃に染みるッス……」
「わかるわー。閻魔様が週休三日制にしてくれたおかげで、ようやく肩こりが治ってきたわ」
大浴場では、ツノを生やした鬼たちが宇宙源泉に浸かりながら、ジョッキになみなみと注がれた冷たい魔力牛乳を片手に愚痴をこぼし合っている。完全に日本の大衆居酒屋かサウナの光景だ。
俺は、湯船に浮かぶ巨大な赤鬼の背中を、スライムの体を変形させた特製アカスリでゴシゴシと磨きながら、遠い目をしていた。
(冥界がホワイト化したのはいいことだけど、そのしわ寄せが全部うちの宿の労働時間に直撃してるんだよな……)
そんな俺のボヤキを他所に、若女将のアイリス(アバター姿)は帳場で分厚い札束(冥界の通貨)を数えながらウハウハと笑っている。従業員たちも、押し寄せる客の波をさばくことに謎のランナーズハイを感じ始めているのか、異常なテンションで働き続けていた。
だが、冥界がサボり……いや、適切な休息を取り始めたことで、宇宙のもう一つの巨大組織が黙っていなかった。
その日の昼下がり。
ワールド・タートルの甲羅の上空に、突如として眩いばかりの黄金の魔法陣が展開された。天使のコーラスが響き渡り、真っ白な羽を散らしながら、一人の荘厳な女性が降臨したのだ。
輝く白銀の鎧に身を包み、背中には六枚の巨大な光の翼。その手には、天界の裁きを象徴するような巨大な光の槍が握られている。
「……見つけましたよ。冥界の者どもを堕落させ、宇宙の生死のバランスを乱す悪しき怠惰の温床。そして、神聖なる勇者と魔王をたぶらかす邪悪な軟体生物め!」
彼女は天界の監査室トップ、大天使長・ミカエラだった。
どうやら、閻魔大王をはじめとする冥界のトップたちが揃って温泉でふやけているというタレコミが天界に入り、ついに「ガサ入れ」にやってきたらしい。
「この大天使ミカエラが、天界の規律に代わってこの下劣な施設を浄化し、元の勤勉な宇宙を取り戻してごらんにいれます!」
ミカエラが光の槍を天に掲げると、甲羅の上の空気がビリビリと震え、圧倒的な神気が温泉郷を包み込んだ。温泉に浸かっていた鬼たちが「ひぃぃっ! 天使の監査だァ!」と蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う。
「おいおい、ちょっと待て。うちは正当なサービスを提供してるだけだぞ。営業妨害で訴えるからな!」
俺がぽよんと前に出ると、ミカエラは俺を汚物でも見るかのように冷たく見下ろした。
「黙りなさい、邪悪なるスライム! 貴様のその怠惰な波動が、全次元の労働意欲を削いでいるのです! 喰らいなさい、魂を浄化する絶対の光……【ヘブンズ・パニッシャー】!!」
ミカエラの槍の先から、太陽すらも凌駕するほどの極太のレーザーが放たれた。
(ヤバい、これ直撃したら宿ごと消し飛ぶ!)
俺が咄嗟に結界を張ろうとした、その時。
「お客様! 館内での神聖魔法の使用は、他のお客様の安眠を妨げるため固くお断りしております!」
勇者アーサーが光の速さで飛び出し、ミカエラの放った極太レーザーを聖剣の腹で「パァンッ!」と野球のバントのように弾き返した。弾かれたレーザーは宇宙の彼方へ飛んでいき、遠くの小惑星を一つ粉々にした。
「な、なんですって!? わ、私の最大火力の浄化魔法が、いともたやすく……! しかも勇者アーサー! なぜあなたが、エプロン姿でゴミ袋を持っているのですか! 目を覚ましなさい!」
ミカエラが絶叫する。しかし、アーサーは爽やかな笑顔を崩さない。
「目を覚ますも何も、俺は今、ゴミ出しのシフト中なので。それに、いくら天使様でも、うちのオーナーに危害を加えるなら容赦しませんよ」
「フハハハ! 天界の鳥女よ、我の特製『魔界豚骨スープ』の仕込みの邪魔をする気か!」
魔王もお玉を構えながら、凄まじい暗黒オーラを放ってアーサーの隣に並び立つ。
「魔王まで!? なぜ光と闇のトップが共闘して、ただの温泉宿を守っているのですか!? この世界は狂っている!!」
ミカエラはパニックに陥り、六枚の羽をバサバサと羽ばたかせて後ずさりした。
俺はため息をつきながら、再びぽよんとミカエラの足元まで跳ねた。
「あんた、さっきから『勤勉』だの『規律』だのうるさいけどさ。天界の連中って、いつも完璧を求められて息が詰まってるんじゃないか?」
俺は自身のギャラクシーボディを、フワフワの【超反発・雲スライム・クッション】へと変化させ、ミカエラの足元に滑り込んだ。
「あ、危なッ……!」
バランスを崩したミカエラは、俺のフワフワなスライムボディの上に、ぽすんと尻もちをついた。
「な、何をするのです! このような軟弱な感触……! 私の強靭な精神が……あ、あれ……?」
ミカエラの表情が、急激に間抜けなものに変わっていく。
それもそのはず。俺の雲スライム・クッションは、対象の骨格と筋肉の強張りを瞬時に計算し、重力を完全に無効化する究極の座り心地を提供しているのだ。何千年もの間、重い鎧を着て立ちっぱなしで天界の規律を守ってきた彼女の腰には、劇薬レベルの気持ちよさである。
「あぁ……。腰が……羽の付け根のコリが……溶けていくぅ……」
俺はさらに、スライムの触手を伸ばして彼女の鎧の隙間に入り込み、微細な振動による【ギャラクシー・低周波マッサージ】を開始した。
「ひゃうっ!? そ、そこは……ダメです、そこは神聖なる天使のツボ……あぁぁぁんっ……!」
数分後。
天界の監査室トップたる大天使長は、白銀の鎧をだらしなく脱ぎ捨て、作務衣姿で「星巡りの茶室」の畳の上に転がっていた。
仙人が淹れたお茶を啜りながら、彼女は完全に虚ろな目で宇宙空間を眺めている。
「……規律とか、浄化とか……もうどうでもいいですわ。下界の温泉、最高……。天界も今日から、プレミアムフライデーを導入します……」
『あら、それは素晴らしいわね。ぜひ天界の皆様の団体旅行プランも組ませていただきますわ』
アイリスがすかさず契約書(天界の予算引き落とし承諾書)をミカエラの顔の前に差し出し、ふやけきったミカエラはサインペンでスラスラと署名してしまった。
かくして、冥界に続き天界までもうちの宿の常連客(お得意様)となり、宇宙の生死と善悪のバランスは「スライム温泉郷の予約状況」によって左右されるという、前代未聞の事態に発展したのである。
俺は畳の隅っこで、お茶を啜る死神と大天使の仲睦まじい(?)姿を眺めながら、自分自身の定時退社がまた一つ、光の彼方へ消え去ったことを確信していた。
ずるい。
普通にリア充。〇〇〇〇して〇〇〇〇で〇の〇〇〇を〇して〇んでほしい。




