仙人
なんかギャラクシー飽きてきたな…。
街の住人たちを乗せた馬車と、元・宇宙海賊たちのホバーバイクが次々とワールド・タートルの背中に到着し、スライム温泉郷はかつてないほどの熱気に包まれていた。
「いらっしゃいませェェェッ! お客様のお荷物、お持ちいたしやすッ!」
かつて街を恐怖で支配していた暗黒結社ブラック・スカルの面々は、今やビシッとアイロンのかかった作務衣を着こなし、完璧な角度でお辞儀をしていた。週休二日制と極上の温泉まかないという「ホワイトすぎる待遇」に感動した彼らは、わずか数日で接客業のプロフェッショナルへとクラスチェンジを果たしたのだ。
広大なヒノキ造りの大浴場では、長年の過酷な労働で疲弊しきっていた街の人々が、宇宙源泉のお湯に浸かって次々と昇天していく。
「あぁ……ノルマのない世界って、こんなに温かかったのね……」
「お母さん、もうミスリル鉱石掘らなくていいの?」
「ええ……これからは、このカメさんの甲羅をピカピカに磨くお仕事よ……」
もはや街の住人すらも、アイリスの巧みな話術(と高時給)によって、次々と温泉郷の臨時スタッフとして取り込まれようとしていた。
俺は、帳場の隅でその恐るべき光景を眺めながら、静かに息を潜めていた。
(……女将の営業力がバグり始めている。このままじゃ、ファンタジー世界中の人間がうちの従業員になっちまうぞ)
俺はアイリスが売上帳の計算に夢中になっている隙を突き、再び自身の体を限界まで薄く伸ばした。目指すは、ワールド・タートルの背中のさらに奥地――甲羅の縁の死角にある、誰も知らない「秘密の岩陰」だ。
誰にも見つからずに岩陰へと滑り込んだ俺は、ようやく【完全なる一人時間】を手に入れた。
目の前にはファンタジー世界の雄大な山々が広がり、温泉の喧騒もここまでは届かない。
「ふぅ……。やっぱり、サボりは隠れてコソコソやるに限るな」
俺がスライムの体をでろーんと広げ、冷たい岩肌の感触を楽しもうとした、その時だった。
「……む。こんな辺鄙な場所に客が来るとは、珍しいのう」
岩陰のさらに奥、シダ植物が生い茂る隙間から、しわがれた声が聞こえた。
驚いて目を向けると、そこにはボロボロの道着を着た、白髭の長い小柄な老人が座っていた。老人の前には小さな七輪が置かれ、コトコトと古びた急須でお湯を沸かしている。
「あ、あんた誰だ? うちの客……じゃないよな?」
「ほっほっほ。ワシか? ワシは数万年前から、このカメの甲羅の隙間に住み着いておる『仙人』じゃよ。カメが地中に潜っておる間も、ずっとここで静かに茶を啜っておったのじゃ」
なんと、ワールド・タートルの甲羅には先住民族(仙人)がいたらしい。
「なるほど、仙人さんか。俺はこの背中で温泉宿をやってるスライムだ。ちょっと仕事に疲れちまって、サボり場所を探してたんだよ」
「そうかそうか。ワシも、最近上が騒がしくてのう。宇宙海賊だの魔王だの、毎日ドンパチやっておるから、肩身が狭かったんじゃ。……まあ、座れ。一杯、どうじゃ?」
仙人が注いでくれたお茶は、ただの野草茶のはずなのに、一口飲んだ(吸収した)だけで宇宙の真理を悟りそうになるほど深みのある味がした。
「……美味い。五臓六腑に染み渡るぜ……」
「じゃろう? ワシの淹れる『星巡りの茶』は、数万年の孤独が隠し味じゃからな。……お主、なかなか良い飲みっぷりじゃ。どうじゃ、ここでワシと一緒に、永遠に茶を飲んで暮らさんか?」
仙人の提案は、俺が心の底から求めていた「究極のスローライフ」そのものだった。
労働もなく、騒がしい従業員もおらず、ただ静かに茶を啜り、景色を眺めるだけの日々。
(……悪くない。いや、最高じゃないか)
俺が深く頷こうとした、まさにその瞬間。
バキィィィィンッ!!
俺たちの頭上の岩盤が、凄まじい轟音とともに粉々に粉砕された。
舞い散る岩の破片の中から、逆光を背負って現れたのは――聖剣を振り抜いたポーズの勇者アーサーと、片手に帳簿を持ったアイリス(アバター姿)だった。
『……やっぱり、こんなところに隠れてたわね、ナルセ』
「な、なんでバレたんだ!?」
「簡単なことッスよ! オーナーのスライムの通った跡は、床がピカピカに磨かれているんです。ここへ続く道だけ、異常に岩肌が綺麗だったんで一発で分かりました!」
アーサーが、白い歯をキラリと光らせて笑う。無駄に鋭い観察眼だ。
アイリスは俺をヒョイとつまみ上げると、隣で呆然としている仙人に目を向けた。
『あら、おじいさん。こんなところでホームレスかしら?』
「ホ、ホームレスとは失礼な! ワシは仙人で……」
『ふーん。でも、そのお茶、すごく良い香りがするわね。……決めたわ。あなた、今日からうちの宿の【特級専属ティー・マイスター】として雇ってあげる! お給料は三食昼寝と、最新式の茶器セットよ!』
「な、なんじゃと!? ワシは数万年の孤独を愛する仙人で……」
「フハハハ! 爺さん、我の暗黒茶菓子と貴様のお茶で、宇宙最高のティータイムをお客様に提供しようではないか!」
いつの間にか背後に回っていた魔王が、仙人をひょいと肩に担ぎ上げた。
「あぁぁぁ……ワシの、ワシの静寂がぁぁぁ……」
仙人の悲鳴が、ワールド・タートルの甲羅に虚しく響き渡る。
俺はアイリスの腕の中でペシャンコになりながら、仙人に向かって心の中で手を合わせた。
(……すまん、仙人。俺がここに来たばかりに、あんたの数万年のスローライフまで終わらせちまった)
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あかーん(高音)




