オッドアイ
にっこり☻
ファンタジー世界の創造神ルミナ公認の「マルチジャンル特区」となったスライム温泉郷。
今日も今日とて、神獣ワールド・タートルの背中の上では、宇宙人とファンタジー世界の住人たちが入り乱れるカオスな宴会が繰り広げられていた。
俺は、ピカピカに磨かれた縁側の隅で、完全に気配を絶っていた。自身のギャラクシーボディを【光学迷彩モード】に切り替え、背景の木目と同化しているのだ。
(……今日こそは。今日こそは絶対に、誰にも見つからずに『完全な定休日』を満喫してやる!)
そう。俺は脱走を企てていた。
いくら宇宙一の称号を得ようが、神様に認められようが、俺の「のんびりスローライフ」という当初の目的は一向に達成されていない。ならば、自ら休みをもぎ取るしかないのだ。
『あれ? ナルセがいないわね。302号室のブラックホール・ドラゴンの部屋の清掃、彼に任せようと思ったのに』
「フハハ! スライムめ、ついに我の激辛スパイスの買い出しから逃げたか!」
アイリスと魔王の声が遠ざかっていくのを確認し、俺はズルズルとスライムの体を這わせ、ワールド・タートルの甲羅の端から、眼下に広がるファンタジー世界の森へと「ポイッ」と身を投げた。
ドスッ。
柔らかな草むらに着地した俺は、迷彩を解いて大きく深呼吸(空気の泡)をした。
マイナスイオンたっぷりの森の空気。耳を澄ませば小鳥のさえずり。宇宙の爆発音も、魔王の怒声も聞こえない。
(最高だ……。とりあえず、麓にある人間の街まで転がって行って、人間用のマッサージ店で逆に揉まれてみるのも一興だな)
俺はウキウキ気分で山を下り、麓の宿場町へと向かった。
だが、その街は俺の想像していた「のどかなファンタジーの街」とは少し様子が違っていた。
街全体がどす黒い瘴気に覆われ、行き交う人々は皆、目の下にクマを作り、虚ろな表情でトボトボと歩いているのだ。
「おい、今日の『ノルマ』は終わったのか?」
「い、いえ……まだミスリル鉱石の採掘が……」
「甘えるな! 我ら『暗黒結社ブラック・スカル』の支配下にある以上、週休ゼロ、睡眠時間3時間で死ぬまで働け!」
黒いローブを着た怪しげな男たちが、ムチを鳴らしながら街の住人をこき使っていた。
どうやらこの街は、ファンタジー世界によくある「悪の組織」に乗っ取られ、強制労働キャンプのようなブラック環境にされてしまったらしい。
(……うわぁ。前世の俺のトラウマをゴリゴリにえぐってくる光景だな)
俺は路地裏の木箱の陰から、その光景を冷ややかな目で見ていた。
普段の俺なら「勇者アーサーか魔王を呼んで物理で解決」するところだが、今は絶賛・極秘有給休暇中である。目立つマネをしてアイリスに見つかったら、即座に連れ戻されて労働地獄へ逆戻りだ。
(見なかったことにしよう。うん、俺はただの通りすがりのスライムだ)
そう思って踵を返そうとした時だった。
「お、お願いです! この子は熱を出しているんです! 今日だけは休ませてあげてください!」
「うるさい! 病気だろうがなんだろうが、ブラック・スカルの掟では労働こそが全てだ!」
黒ローブの男が、小さな女の子を庇う母親に向かってムチを振り上げた。
……ピキッ。
俺の中の「何か」がキレる音がした。
ブラック企業。過労。理不尽なノルマ。
それは、俺が前世で最も憎み、そして今の温泉宿で最も遠ざけようとしている「絶対悪」だ。
(……アイリスに見つかるリスク? 知るか。俺の休日に、胸糞悪いブラック労働を見せつけてくれた罪は重いぞ)
俺は木箱の陰からポーンと跳ね上がり、黒ローブの男の顔面にピタッと張り付いた。
「むぐっ!? な、なんだこのスライムは! 離れろ!」
「おい、あんた。労働基準法って知ってるか?」
俺は男の顔面をスライムの体でホールドしたまま、ギャラクシーボディの【超マイナスイオン・睡眠波】を至近距離で脳天に流し込んだ。
「あ、あぁ……? なんだ、急に……眠気が……。ノルマとか、世界征服とか……もうどうでも……おやすみなさい……」
男は白目を剥いて、その場にバタリと倒れ込み、スヤスヤと幸せそうないびきをかき始めた。
「な、なんだアイツ!? ただのスライムじゃないぞ! 結社のみんなを集めろ!」
路地裏の騒ぎを聞きつけて、数十人の黒ローブの男たちがわらわらと集まってきた。
俺は彼らの前に、ぽよんと立ちはだかった。
「お前ら、働きすぎで肌が荒れてるぞ。世界征服なんてストレスの溜まるブラックな仕事はやめて、俺の特製『強制安眠スパ』でととのっていけ!」
俺は自身の体を限界まで膨張させ、路地裏全体を覆い尽くすほどの巨大な波となって、暗黒結社の男たちに襲い掛かった。
それは攻撃ではない。純度100%の宇宙源泉と星屑の魔力を帯びた、究極の「癒やしの津波」だ。
「ギャアアアッ! 何だこの温かいゼリーはァァ!」
「筋肉のコリが……ほぐれていくぅぅぅッ!?」
「いかん、これでは悪の心が浄化されてしまう!……あぁっ、そこ、腰のツボ……効くぅ……!」
路地裏は、ものの数分で「悪の結社の集会所」から「極楽マッサージ会場」へと変貌した。
男たちは次々と武装を解除し、地面に寝転がって恍惚の表情を浮かべている。
「……ふぅ。とりあえず、現場の連中はこれでよし、と」
俺が元のボールサイズに戻ると、助けられた親子の住人がポカンと口を開けてこちらを見ていた。
「あ、あの……スライム様? あなたは一体……?」
「ただの温泉宿のオーナーさ。あんたたちも、無理して働かないでたまにはゆっくり休みなよ」
俺がポンと跳ねて去ろうとした、まさにその瞬間だった。
ズドォォォォォンッ!!!
街の広場の中央に、上空から巨大な黒い塊が降ってきた。
「フハハハハハ!! 我がレーダーが、この街で『ブラックな労働を強いる悪の組織』の存在を感知したぞ!」
さらにその横に、金髪の青年が音速で着地する。
「人々を苦しめる悪党は、この勇者アーサーが許しません!」
そして最後に、上空からゆっくりと舞い降りてきたのは、分厚い帳簿を持ったアバター姿のアイリスだった。
『ちょっと。うちのオーナーが勝手に有給取ってこの街にいるらしいんだけど、知らないかしら?』
……俺の脱走計画は、わずか数時間で、我が宿の最強スタッフたち(と女将の探知網)によって完全に包囲されてしまった。
(……終わった)
俺は路地裏でそっと【光学迷彩モード】を発動させたが、アイリスのオッドアイはしっかりと俺の方を睨みつけていたのだった。
親に見つかった時のアレ




