王子
なんか名前ほしい
元・宇宙海賊たちの手によってカメの甲羅が常にピカピカに保たれるようになった頃。俺は、帳場で山積みになった「宇宙周遊ルートの予約表」を眺めながら、深々とため息(空気の泡)を吐き出した。
宇宙を旅するインフィニティ・プールは確かに大好評だが、ブラックホールすれすれのチキンレース温泉や、超新星爆発をバックにした記念撮影など、客の要望が日に日にエスカレートしているのだ。
(……そろそろ限界だ。宇宙の景色もいいけど、たまには土の匂いがする元の山奥で、セミの声でも聞きながらダラダラしたい)
俺がそんな願望をボヤくと、意外なことに従業員たちも賛同した。
「確かに、宇宙の魔獣は肉質がパサパサしていて調理に手間がかかる。地上の瑞々しいオーク肉が恋しくなってきたところだ」と魔王が包丁を研ぎながら頷く。
「俺も、無重力空間での薪割りはフォームが崩れるんで、重力のある地上で鍛え直したいッス」とアーサーも同調した。
アイリスだけは『えー? 宇宙連盟からの助成金が美味しいのに……』と渋っていたが、最終的には俺の「たまには地上で限定フェアをやれば、希少価値で客単価を上げられるぞ」という元・営業マンの口車に乗せられて納得した。
こうして俺たちは、久しぶりに故郷であるファンタジー世界の辺境、あの懐かしきスライム温泉郷の定位置へと帰還することになったのだ。
ワールド・タートルは、のっそりと星の海を泳ぎ、巨大なアストラル・スライム・ゲートを潜り抜けた。
眼下に広がるのは、緑豊かな山々と、かつて俺たちが宿を構えていた渓谷だ。
しかし、ここで一つ大きな問題が発生した。
「……おい。うちの宿、今は山よりデカいカメの背中に乗ってるんだぞ。あの渓谷の元のスペースに、どうやって着陸するんだ?」
俺が根本的な物理法則を指摘すると、従業員たちは顔を見合わせてニヤリと笑った。
「案ずるなスライム! 我の『暗黒重力操作』でカメの質量を羽毛より軽くしてやる!」
「そして俺の聖剣で、渓谷の地形をカメさんがすっぽり収まる形に『ちょっとだけ』削り取ります!」
「わたくしは風の魔法で、削った土砂を隣の荒野に運んで新しい山を作りますわ!」
俺が止める間もなく、魔王、勇者、ハイエルフの元CEOによる、神々の天地創造レベルの大土木工事が開始された。
ズドドドドォォォォンッ!!
わずか数分。
辺境の地形は劇的に(かつ自然環境に完璧に配慮されて)作り変えられ、ワールド・タートルは専用の巨大なドックのようにくり抜かれた渓谷に、すっぽりと、そしてふんわりと着陸した。
カメ自身も「おお……この地形、我が甲羅にシンデレラフィットするぞ。快適だ……」と満足げに首を引っ込めて眠りについてしまった。
こうして、地上に帰還したスライム温泉郷は、元の木造建築の風情に「神獣の甲羅の土台」と「宇宙の星屑源泉」が融合した、さらにカオスな超絶リゾート施設として生まれ変わった。
数日後。
かつてうちの宿を接収しようとして返り討ちに遭い、今や常連客となったグランディール王国の第一王子エドワードが、馬車で遊びにやってきた。
彼は宿を見るなり、白目を剥いて膝から崩れ落ちた。
「な、なんだこれは……! 辺境の山奥に、なぜ神話のワールド・タートルが鎮座しているのだ!? しかも甲羅の上で、見たこともないタコのような宇宙人が温泉に浸かっているではないか!」
「いらっしゃい、エドワード王子。今日から地上営業を再開したんだ。あ、その宇宙人はただの乾燥肌のクラーケンだから気にしないでくれ」
俺がぽよんと跳ねて出迎えると、王子は震える手で財布を取り出した。
「……とりあえず、一番いい部屋を頼む。私の常識が完全に破壊されたから、今すぐお湯に浸かって現実逃避したい」
ファンタジー世界の住人も、星の海からやってくるエイリアンたちも、今やこの宿では完全に平等な「お疲れのお客様」だ。
木漏れ日が差し込む露天風呂で、勇者が薪を割り、魔王が飯を作り、宇宙海賊が床を磨き、ツンデレ魔剣が帳簿をつける。
そして俺は、今日も今日とて定時退社を夢見ながら、客の背中をスライムの弾力で洗い流すのだ。
どこにいても、どんな姿になっても、このぬるりとした極上の温泉ライフだけは変わらない。
な☆
ほしいな~。ほしいな~。




