世界を乗せる亀
臨時休業という名の大規模メンテナンス日。有給休暇の夢を絶たれた俺は、裏山で高速回転しながら、ドリルとして地面を掘らされていた。
売上100倍という野望に取り憑かれた若女将のアイリスが、「宇宙の果てまで見渡せる『多元宇宙インフィニティ・プール』を作るわよ!」と無茶振りをかましてきたからだ。
背後では、魔王と勇者アーサーが悲鳴を上げる巨大スペース・イノシシを追い回して解体ショーを繰り広げている。この旅館の休日は、営業日よりも過酷で血生臭い。
俺がゼリー状の体をすり減らしながら深く深く土を掘り進めていると、突然「ゴツン」という、ただの岩盤とは思えない硬い感触にぶつかった。
次の瞬間、裏山全体が激しく揺れ、地底から鼓膜を破るような野太い咆哮が響き渡った。
「……何者だ! 我が数万年の眠りを妨げる、愚かな地上の虫ケラどもは!!」
ズゴォォォォンッ!! と土砂が吹き飛び、地中から現れたのは、山と見紛うほど巨大な岩の甲羅を持った、超弩級の亀だった。神話で世界を背負うと言われる伝説の魔獣『ワールド・タートル』だ。
数万年分の泥と凝固したマグマを纏った亀は、激怒の形相で俺たちを見下ろした。
「眠りを妨げた罪、この山ごと圧殺して償わせてやろう!!」
世界を滅ぼしかねない神獣の怒り。俺は絶望してスライムの体を縮み上がらせたが、うちの守銭奴魔剣は全く動じていなかった。
『ちょっと! ちょうど新しいお風呂の土台を探してたところよ! あんた、数万年もお風呂に入ってないなんて不潔にも程があるわ! ナルセ、アーサー、魔王! そのカメをピッカピカに磨き上げなさい!』
「正気かアイリス!? 世界を背負う亀だぞ!」
俺がツッコミを入れる間もなく、すでに魔王がスペース・イノシシの剛毛で作った特大デッキブラシを構え、亀の甲羅に飛び乗っていた。
「フハハ! 世界を背負う甲羅だと? 磨き甲斐があるというもの! 究極の暗黒洗剤の泡を喰らうがいい!」
「俺も行きます! その甲羅の素材、新しい鞘にピッタリだ! 聖剣・超精密垢すり斬り!!」
魔王と勇者が、情け容赦なく(しかし一切の傷をつけずに)甲羅の分厚い汚れをガリガリと削り落とし始める。
「な、貴様ら何をする! 離れ……あ、あれ? ちょっと待て。そこの、首の付け根のところ……」
激怒していたワールド・タートルが、突如としてピタリと動きを止めた。
「あ、あぁぁ……そこ、数千年前からずっと痒かったのだ……もっと、もっと強く擦らんか……!」
(……完全にペースに乗せられてるじゃないか)
俺はため息(空気の泡)を吐き出すと、自身のギャラクシーボディを平たく伸ばし、亀の巨大な頭部に被さるようにして【超冷却スライム・泥パック】を施した。
「ほら、力抜けよ。うちの連中は手荒いけど、清掃スキルとマッサージ効果は宇宙一だからな」
数十分後。
世界を滅ぼすはずだった巨大亀は、甲羅を星空を反射するほどの鏡面に磨き上げられ、「ふしゅぅぅ……」とだらしなく首を伸ばして完全に骨抜きにされていた。
「……我が背中に、世界ではなく『極上の露天風呂』を乗せるのも……悪くないかもしれん……」
うっとりと目を閉じる亀を見て、アイリスが『動くインフィニティ・プールの完成よ! これで特別遊覧料金が取れるわ!』と、そろばんを猛烈な勢いで弾き始めた。
結局、俺の有給休暇は「巨大亀の甲羅のワックスがけ」という新しい日課に上書きされて消滅した。
星の海を優雅に泳ぐカメの背中で、宇宙の客たちが歓声を上げている。俺はピカピカの甲羅の上ででろーんと溶けながら、この騒がしくてぬるりとした日常が、どうやら永遠に続くことを静かに悟るのだった。
悟り。なんつってな。
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