リモートワーク
遠隔で仕事できんのっていいよな。
宇宙大統領が「政治を引退して畑を耕す」と言い出してから数週間。
我がスライム温泉郷の裏庭には、魔王と大統領が仲良く並んで作った、無農薬の『宇宙トマト』や『魔界大根』の広大な畑が広がっていた。
「ほっほっほ。魔王殿、この大根はよく育っておる。やはり土いじりは心が洗われるのう」
「フハハ! 宇宙を統べる者よ、次は我が配合した『暗黒腐葉土』を使って、星の魔力を宿したスイカを育てるぞ!」
かつての銀河の覇者と魔界の覇者が、麦わら帽子に首タオルという完璧な農作業スタイルで、泥まみれになりながら笑い合っている。平和な光景だ。平和すぎる。
だが、当然のことながら、宇宙のトップが辺境の温泉宿で農家にジョブチェンジしてしまえば、残された者たちはたまったものではない。
その日の昼下がり、上空のアストラル・スライム・ゲートから、これまでで最もけたたましいサイレンを鳴らしながら、一隻の超高速政府専用機が旅館の庭に不時着した。
ハッチを蹴り飛ばすようにして転がり出てきたのは、分厚い眼鏡をかけ、大量のホログラム書類を抱えた、神経質そうな長身の宇宙人だった。彼の顔色は極度の疲労とストレスで土気色を超え、もはや透明になりかかっている。
「だ、大統領ぉぉぉぉっ!! こんな辺境の未開惑星で何をされているのですか!! 貴方が判子を押さなければ、第8銀河のインフラ整備予算が下りず、星間連盟がストライキを起こしてしまいます!!」
彼は大統領の右腕たる宇宙副大統領だった。
その悲痛な叫び声は、かつてブラック企業で「社長がゴルフに行ってしまい、稟議書が通らずに取引先に土下座した」俺の前世の記憶を強烈にフラッシュバックさせた。
(……わかる。あの副大統領の胃に穴が空きそうなプレッシャー、痛いほどわかるぞ……!)
俺は触手でそっと目頭を押さえた。
だが、当の大統領は泥だらけの長靴を履いたまま、のんびりと麦茶をすすっている。
「おお、副大統領か。すまんな、ワシはもう引退したんじゃ。後のことは全て君に任せる。ほれ、採れたての宇宙トマトじゃ、美味いぞ」
「と、トマトなんて食ってる場合ですかァァァッ!! 戻ってください! お願いします、私の胃壁がもう限界なんです!!」
副大統領が泣き崩れ、その場でガクガクと痙攣し始めた。
見かねたアイリスがアバター姿でスッと歩み寄り、パチンと扇子を鳴らした。
『ちょっと。うちの畑の前で倒れられないでちょうだい。トマトに負のオーラが移るわ』
「あ、貴女は……! 誘拐犯の女将ですね! すぐに星間警察を呼んで……!」
『人聞きの悪いこと言わないで。大統領は正規の長期滞在プラン(前払い)で宿泊している大切なお客様よ。……でも、あなたのお小言で旅館の空気が悪くなるのは営業妨害だわ』
アイリスがチラリと俺を見る。
(わかってるよ。俺の得意分野だ)
俺は元のボールサイズからポンッと跳ね上がり、倒れ伏す副大統領の顔面にピタッと張り付いた。
「な、なんだこの軟体生物は!? 離れろ、私の眼鏡が曇る!」
「副大統領さん。あんた、ここ数ヶ月まともに寝てないだろ。脳波が完全にオーバーヒートしてるぜ。大統領を連れ戻すにしても、まずはシャットダウン(休息)が必要だ」
俺は彼の顔面から、宇宙規模のストレスと過労の黒いモヤを、スライムの体で一気に吸い上げた。さらに、ギャラクシーボディのひんやりとした冷感と、マイナスイオンを脳天に直接流し込む。
「あ……れ……? 予算案の……数字が……頭から、消えて……」
「ほら、アーサー! こいつを一番湯へ運んでやれ!」
「おう! 任せとけオーナー!」
アーサーがヒョイと副大統領を担ぎ上げ、強引に「銀河の湯」へと放り込んだ。
数十分後。
温泉から上がってきた副大統領は、分厚い眼鏡を外し、作務衣をだらしなく着崩した、完全なる「ダメな大人」の顔に仕上がっていた。
「……あぁぁぁ……。お湯、最高……。もう予算とかどうでもいい。連盟なんて滅びればいいんだ……」
「おいおい、副大統領までダメ人間になってどうするんじゃ」
大統領が苦笑いしながら、湯上がりの彼に冷えた魔力牛乳を差し出す。
それを一気に飲み干した副大統領は、ポロポロと涙を流した。
「大統領……私、分かりました。貴方がここに留まる理由が。こんな極楽を知ってしまったら、二度とあの無機質な執務室には戻れません。……私も、ここで畑を耕します」
「いや、それは困るぞ。誰が政治をやるんじゃ」
「知るか! 私は今日からトマト農家だ!!」
宇宙のトップツーが揃って職務放棄を宣言し、銀河の政治機構が完全に崩壊しかけたその時、俺はたまらず割って入った。
「あのさ、あんたたち。どっちかが戻らないと、本当に宇宙戦争とか起きるんだろ? それでうちの温泉が巻き込まれたら大迷惑なんだよ」
俺の言葉に、二人は顔を見合わせて「うーむ」と唸った。
「じゃあ、こうしよう。『宇宙リモートワーク』だ」
俺は触手を伸ばし、帳場にあったホログラム通信機を指差した。
「うちの宿の特別室を、銀河連盟の臨時執務室として貸し出す。温泉に浸かりながら、ホログラム通信で会議をして、電子署名で稟議を通せばいい。それなら、政治も回るし、温泉にも入れるだろ?」
『名案ね! 執務室用の特別貸し切り料金として、通常の50倍の宿泊費を星間連盟の経費からいただくわ!』
アイリスがノータイムで料金設定を跳ね上げたが、副大統領は目を輝かせた。
「そ、それだ! 温泉に浸かりながら星間会議……! なぜ今まで誰も思いつかなかったんだ! 完璧なワークライフバランスです!!」
こうして、スライム温泉郷の一角に「銀河連盟・辺境温泉支部」が爆誕した。
大統領と副大統領は、首にタオルを巻き、足湯に浸かりながらホログラム越しに宇宙の重大な法案を決裁するようになった。会議の向こう側にいる他の議員たちも「なぜ大統領はいつも温泉に入っているんだ!?」と最初は激怒していたが、今では「俺もその温泉に行きたい」と視察(という名のバカンス)の予約が殺到している。
がんばるZO。応援してくれ




