魔王
音楽って。スバラシア!スンバラシア!スンバラシエルドア!!
勇者アーサー一行が当旅館『スライム&ソード』の住み込みバイト(※借金返済のため)となってから、さらに数ヶ月が経過した。
彼らの働きぶりは意外にも優秀だった。無駄に高いステータスと体力は、荷物運びや巨大風呂の清掃、さらには薪割りにおいていかんなく発揮されていた。
(いやー、やっぱり筋肉は裏切らないな。勇者バンザイ)
俺は、ピカピカに磨き上げられた廊下をズルズルと這いながら、すっかり丸くなったアーサーの背中を頼もしく見つめていた。その後ろからも見つめられていたが。冷たい目線に。
そんな平和な昼下がりのことである。
突如として、旅館を囲む山々の空が、禍々しい紫色に染まった。
太陽の光が遮られ、空気が凍りつくような重圧が周囲を包み込む。
「な、なんだこの尋常じゃない魔力は……!?」
タオルを運んでいたアーサーが、顔面を蒼白にしてへたり込んだ。
玄関の引き戸が、乱暴な勢いで吹き飛ぶ。
そこに立っていたのは、漆黒の玉座を思わせるマントを羽織り、頭に巨大な二本の角を生やした男だった。その全身から溢れ出る瘴気は、かつての錬金術師ギデオンすら凌駕している。
「待ちくたびれたぞ、勇者アーサーよ! 貴様がいっこうに魔王城へ攻めて来ぬゆえ、我の方から出向いてやったわ!!」
(……ええっ、魔王!? なんで魔王がわざわざこんな山奥まで!?)
「ま、魔王……! くそっ、俺の聖剣は今、大浴場のカビ取りに使っていて手元に……!」
アーサーがモップを構えて震える。いや、聖剣でカビ取りするなよ。
魔王は周囲を見渡し、割烹着姿の勇者を見て絶句した。
「……き、貴様、その情けない姿はなんだ!? 宿屋の下働きだと!? 我が宿敵たる勇者が、なぜこんな便所掃除のような真似を……!」
「便所掃除を舐めるな! スライムオーナー直伝の酸性洗剤の配合率、お前にわかるか!!」
「何を言っているのだ貴様は!!」
魔王が怒りのあまり、手から巨大な暗黒魔弾を放とうとした、その瞬間である。
『……お客様。館内での破壊行為および、他のお客様への威圧行為は、当館の利用規約違反となります』
冷ややかな声と共に、フロントの奥から若女将が姿を現した。
彼女の銀髪がふわりと舞い、オッドアイが魔王を射抜く。
「なんだ小娘! 我は魔界を統べる王ぞ! このような木造建築など、一息で炭の山に――」
ドンッ!!!
アイリスが帳簿をフロントの机に叩きつけると、彼女の背後に「完全体・双極の星剣」の巨大な幻影が浮かび上がった。
かつて天竜すら震え上がらせた、神聖魔力と極寒・灼熱が混ざり合った絶対的なオーラ。
「……ッ!?」
魔王の動きが、ピタリと止まった。額から冷や汗がツーッと流れ落ちる。
『で、ご宿泊ですか? それとも日帰り入浴ですか?』
「あ……いや、その……ひ、日帰りで……」
(おい、魔王がビビって日帰り入浴申し込んでるぞ!)
俺は物陰からプルプルと震えながらツッコミを入れた。アイリスの女将オーラ、すでに魔王を超えている。
第
「お次のお客様、三番の露天風呂へご案内しまーす!」
アーサー(勇者)が、引き攣った笑顔で魔王を風呂場へと案内する。
魔王は完全にペースを飲まれ、言われるがままに鎧とマントを脱ぎ、タオルの小脇に抱えて露天風呂へと足を踏み入れた。
「……ふん。我が魔界の血の池地獄に比べれば、ただの湯など生ぬるい……」
強がりを言いながら魔王が肩までお湯に浸かった、その時。
「んんんんんんんっ!?」
魔王の目が限界まで見開かれた。
天竜のために俺とアイリスが「神聖・スライム・エクスカリバー」で掘り当てた、超高濃度の魔力源泉。それが魔王の蓄積された疲労(主に勇者が来ないことによるデスクワークのストレス)を、一瞬にして溶かしていったのだ。
「な、なんだこの湯は……! 魔力回路が浄化されるどころか、細胞の一つ一つが活性化していく……! まるで母なる泥に抱かれているような……!」
(そりゃどうも。俺の特製スライムエキス(美肌効果)もちょっと混ざってるからな)
湯船の端っこに擬態して浮かんでいた俺は、内心でドヤ顔(顔はないが)を決めた。
『……ほう。新顔か? 小僧、なかなかいい筋肉をしておるな』
ふと、風呂の奥から地鳴りのような声がした。
魔王がビクッと振り返ると、そこには山のように巨大な青白いドラゴン――天竜が、頭に手ぬぐいを乗せてくつろいでいた。
「て、天竜殿!? なぜ神話の生き物がここに……!?」
『我は常連のVIP客だ。ここは良いぞ、飯も美味いし、何よりこのスライムオーナーの「スライムマッサージ」が最高なのだ』
天竜が鼻息を鳴らすと、俺はスッと魔王の背中に回り込んだ。
「失礼します、オーナーのナルです。肩、お揉み(というか酸で角質を溶かしつつ絶妙な弾力で圧迫)しましょうか?」
「お、おう……頼む」
そして伝説(常連)へ。ってか?
数十分後。
「……はぁぁぁぁ……極楽、極楽……」
世界を滅ぼすはずの魔王は、完全にふやけて風呂の縁にアゴを乗せていた。その横では、天竜が気持ちよさそうにイビキをかき、さらにその横では、非番の勇者アーサーが湯に浸かっている。
勇者、魔王、天竜。
世界の命運を握るはずのトップ層が、ひとつの露天風呂で横並びになり、だらしなく口を半開きにしてお湯を満喫していた。
「……なぁ、勇者よ」
「なんだい、魔王」
「世界征服とか、もうどうでもよくなってきた。我、明日からここの裏山にテント張って住んでもいいか?」
「俺は従業員寮の六畳一間だけどな。まあ、女将の面接に通ればの話だが」
男たちは、湯煙の向こうに沈む夕日を見つめながら、静かに笑い合った。
(……いや、世界平和の達成ルートがおかしすぎるだろ)
俺は湯船にプカプカと浮かびながら、ツッコミを放棄した。
ともあれ、これで魔王の脅威も去り(常連客になり)、世界は本当の意味で平和になったのだ。
『ちょっとナルセ! 魔王の宴会コース、追加の焼き鳥(火竜の肉)100本入ったわよ! 早く調理場手伝って!』
(はいはーい! ただいま向かいます、若女将!)
剣と魔法と、温泉と。
最強のスライムと魔剣が営む辺境の宿屋は、今夜も大忙しで、最高に賑やかな夜を迎えるのだった。
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