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はじまり

ギターつくろうかな。

ギデオンの野望を打ち砕き、聖都から逃亡して数ヶ月。

俺とアイリスは、辺境の山奥で誰にも邪魔されない極上の温泉ライフを満喫していた。


「……あー、今日も湯加減が最高…っ。アイリス、右側のお湯が少しぬるいから『炎』の魔力を足してくれ」

『私は全自動給湯器じゃないって何度言えばわかるの!? ……はぁ、少しだけよ。ほら』


湯船の縁に突き刺さったアイリスの刀身から、ポワリと温かい魔力が放たれる。

冷気と熱気、そして風の魔力を自在に操る彼女のおかげで、俺の手作り露天風呂は「微炭酸・源泉掛け流し・適温キープ」という神がかったクオリティに達していた。


(ふふふ……人間やめて正解だったかもな。働かなくていいし、毎日温泉入り放題だし)


俺がゼリー状の体をでろーんと広げ、完全にダメな大人の休日を満喫していたその時だ。


ガサガサッ、ドサァッ!!


「痛っ……! 崖から落ちるかと思った……ん? なんだ、ここは……?」


茂みをかき分けて現れたのは、ボロボロの革鎧を着た人間の若者だった。

どうやら山で迷跡し、怪我を負っているらしい新米の冒険者だ。


「お、温泉……? なんでこんな山奥に……って、うわあああっ!? スライムが浮いてる!?」

(しまった、人間だ!)


俺は慌てて体を丸め、岩の陰に隠れようとした。

だが、若者は俺を見て逃げるどころか、ハッと目を見開いてその場にひれ伏したのだ。


「あ、青く透き通る体……そして、その傍らにある神々しい白金の剣……! ま、間違いない、吟遊詩人の歌で聞いた通りだ! あなたは世界を救った伝説の『神聖なるホーリー・スライム』様ですね!!」


(……なんで辺境の山奥までその痛い二つ名が轟いてるんだよ!!)

『フフッ、隠遁生活もここまでね、ナルセ』


アイリスが面白そうに刀身をチカチカと点滅させた。



怪我をした若者を放っておくわけにもいかず、俺は彼を温泉に浸からせてやった。

アイリスの「浄化」の魔力が溶け込んだお湯は、驚異的な治癒効果を発揮し、彼の擦り傷や打撲は数分で綺麗に治ってしまった。


「す、すごい! 疲れも吹き飛びました! ありがとうございます、ホーリー・スライム様! このご恩は一生忘れません!!」


若者は何度も頭を下げて下山していった。

……それが、新たな悲劇(?)の始まりだった。


数週間後。

「ホーリー・スライム様! 私の腰痛を治してください!」

「伝説の温泉と聞いてやってまいりました! 入浴料は金貨で足りますか!?」

「ナル殿ー! エーテルのギルドマスターから差し入れの極上エールを持ってきましたぞー!」


俺たちの手作り露天風呂の前には、噂を聞きつけた冒険者や商人、さらにはエルフやドワーフまでが長蛇の列を作っていた。


(……どうしてこうなった)

『あなたが中途半端に優しくするからでしょ。ほら、そこのドワーフ! 湯船の中で酒を飲むんじゃないわよ! 剣の錆にするわよ!』


いつの間にか、俺の平穏な秘湯は「超人気・健康ランド」と化していた。

入浴料として置いていかれる大量の食料や魔石、金貨が山のようになっている。


(まあ、美味しい魔石や果物がタダで手に入るのは悪くないけど……俺の入る隙間がない……)


湯船は屈強な冒険者たちでギチギチだ。スライムの俺が入れば、間違いなくお尻の下に敷かれて潰されてしまう。



「おい、もっとお湯の温度上げろよ! 伝説の温泉ってのはこんなもんか?」

「こっちはぬるめが良いんだよ! ふざけんな!」


客が増えれば、当然マナーの悪い奴も出てくる。

湯船の中で口論を始めた冒険者たちを見て、俺が触手でペチッと叩いて注意しようとした、その瞬間。


『……いい加減に、しなさいよね』


岩場に刺さっていたアイリスの刀身から、これまでで一番強い光が溢れ出した。


「な、なんだ!?」

(おいアイリス、どうした!?)


光の粒子が集まり、剣の上に一つのシルエットを形成していく。

現れたのは、透き通るような銀髪に、青と赤のオッドアイを持った、息を呑むほど美しい人間の少女の姿だった。


「ひぃっ!? 剣から女の人が!?」

『私のマスターの温泉で騒ぐ輩は、この私が氷漬けにして火山に放り込むわよ。……3秒以内に黙って肩まで浸かりなさい』


絶対零度の殺気を放つ少女(アイリスの魔力アバター)に睨まれ、屈強な冒険者たちは「ヒッ」と悲鳴を上げて、行儀よく肩までお湯に浸かった。


(……お前、そんなことできたのかよ!?)

『完全体になったからね、これくらい造作もないわ。それに、あなたがナメられてるのを見るのは腹が立つのよ』


アイリスのアバターはフイッとそっぽを向くと、スライムをひょいっと抱き上げた。


『ほら、ナルセ。あなたはこっちよ。私の膝の上なら潰されないでしょ』


そう言って、彼女は岩場に腰掛け、ぷよぷよの俺を膝の上に乗せた。

人間の体温(魔力だけど)と、温泉の温かさ。

俺は少しだけ照れくさくなりながら、スライムの体をでろーんと溶かした。



「……若女将、エールをもう一杯!」

『セルフサービスよ! 勝手に注ぎなさい!』


かくして、辺境の山奥に誕生した『異世界スライム温泉郷』。

気苦労は絶えないが、優秀でちょっと口の悪い「若女将(魔剣)」と、マスコット兼オーナーの「スライム」が切り盛りするこの温泉は、今日も大繁盛している。


(ま、定時退社はできないけど、ブラック企業よりは100倍マシだな)

『何か言った? ナルセ』

(いや、お前の膝の上、最高だなって)

『……っ! ば、ばか! 溶かすわよ!!』


アイリスの膝がボフッと熱くなり、俺の体からシュウウと湯気が上がる。

賑やかな笑い声と、湯煙に包まれた異世界ライフ。

のんびりスライム生活は、まだまだ楽しくはじまったばかりだ。

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