七話 目には目を、狂人には狂人を
明日の空模様が案ぜられる夕暮れの色合いが、白壁の校舎を怪しげに照らす。その影に消えるは二人の男。
連れてこられたのは芸術棟一階の外通路のピロティだった。自販機が置いてあるその場所で、俺は土谷と正面切って対峙する。
面倒い展開になったな、なんて思っていると、土谷が蔑むような視線を俺に向けつつ、口を開いた。
「俺には柄の悪いダチが何人かいてなあ……お前、まさかとは思うがあいつに手を出したら分かってるよな?」
今どきこんな古い手法を使うやつもいるんだな。なぜこんなアホなやつが頭いいはずのB組に所属できているのか分からなかった。お勉強だけできるタイプなのだろうか。
「手を出すなんてそんな……先ほども言いましたが、僕はただの知り合いなので……」
猫被りも慣れたものだ。さっさとご満足いただいて部活に行かなければならない。さもなくば犬島にどやされる。
しかし土谷はそれに、小馬鹿にするような笑みを浮かべた。
「やたら親しげにしてたが本当か?」
アホかこいつは。朝長はどんなやつにだって親しげに接する女神なんだよ。俺じゃなくても仲良い男子なんか山ほどおるわ。言ってて悲しくなってきたな。この悲しみも土谷のせいだ。
「本当です」
「じゃあ、金輪際あいつと関わらないでもらっていいかな。別に親しい関係でもないんなら」
俺はその言葉に辟易した。こいつダルすぎだろ。死ね。おっと、つい本心が。危ない危ない。
「えっと、どうしてですか?」
どうせ碌な言葉は返ってきやしないと見通しつつ、一応問うてみる。
「あいつは俺のものにしたいからな。だから余計な虫は排除しておく。あと、お前みたいに陰気くさそうなやつがチラつくと腹が立つからな」
言い分が気持ち悪い。あと虫とか陰気くさい呼ばわりされちまった。ふん。土谷よ、相手が悪かったな。俺はここのところ、そんな比じゃない悪罵の限りをこの一身に受け続けているゆえ、悪口を言われるのには慣れてしまっている。青春否定部検定三級の俺が相手だ。いやこっちはぼっち検定と違って級低いのかよ。
とはいえ、ここで喧嘩してしまうと犬島が密かに練っている計画が水泡に帰すことになる。言葉を取捨選択し、再度本心を隠すお面を被る。
「うーん……分かりました。今後関わらないようにしますね。でも、彼女から話しかけてくることもあるので、それを回避するため、最後にわざと嫌われるために話すのは許してもらえると助かります」
口から出まかせをつらつらと喋り、彼の望む通りの方のルートへと持っていこうと躍起になる。俺には部活があるんだよ。はよ行かせろこの脳味噌粗鬆症人間。
俺の言葉を受け取った土谷は、怪訝そうに目を細めた。
「……どうも胡散臭いな。お前、俺には適当言っておいてあいつと裏で関わろう、ってつもりじゃねえだろうな?」
しまった。流石に望み通りすぎる返答をしてしまったか。いやでもよく考えたらこいつがしつこいだけか。俺のせいじゃない。
こんな性格なのによく青春ができるなと俺はある意味感心する。こんな風に腐敗しているものを青春と呼んでいいのかは疑問だが。
「そんなことするわけないじゃないですか。僕は人の恋路を邪魔できるような、そんな胆力のある人間じゃないので」
「へえ〜。の割に、俺に対して全然ビビってねえじゃん」
土谷は不快にニヤつきながら言ってきた。ああもうだるい!!! なんなんだよこいつ。釘刺したいのか分かんないけど早く解放してくれ。俺は部活に行かなきゃなんだよ。遅れたら何を言われるかされるか俺にも分からないんだから。
こいつのキモさ及びだるさ及びキモさに気を取られていて、返答に詰まってしまった。やばい返事を拵えなければいけない時間で余計なことを考えてしまった。
俺が少し逡巡したその時。
「遅いと思ったら……なんでこんなとこにいんだよウツケ。早く……」
透明感のある強気な、聞き馴染んだ声がコンクリートに反響した。犬島のものだ。ほらもう早く部活に行かないから部長来ちゃったよ。部長、土谷のせいなんです。俺は悪くありません、と振り向いて目線で訴える。
「げ……」
土谷は犬島を見てバツが悪そうにその一文字を漏らし、彼女は土谷を見るなり目を見開いて固まった。そういえば二人は同じクラスか。げ、って言われてますよ犬島さん。何したんですか。
「……」
人が三人いるとは思えない、水を打ったような静けさに、かえって環境音が活発になった。雲を描く飛行機の音が、雑草が風に戦ぐ(そよぐ)音が耳に届く。自販機の上に取り付けられた時計の長針が、俺たちをせき立てるようにかちりと鳴った。
犬島はしばし彼のことを見つめたのちに、俺の肩を捕まえた。先ほどとは違う、ガサツでありながらもどこか安心するものだった。
「……悪いが、こいつは私のもんでな。連れて行かせてもらう」
持ち前の頭の回転の速さで状況を理解しただろう犬島は、苛立たしげに睥睨する土谷に怯むことなく、堂々と言い放った。そして肩に置いていた手をそのまま俺の手へと移動させて、握りしめて来た道を戻り始めた。人肌の温もりが毒づいていた心を幾分か和らげてくれた。
「……待てよ、まだ話は」
一歩足を踏み込んで、なおも食い下がろうとする土谷に対し、犬島は足を止め、体を正面に向けたまま顔だけを後ろに向け、眼を鋭利な刃物のように光らせた。
「私にそんな口を聞いていいのか?」
「ひっ!? すいませんでした!!!」
その太陽すらも凍らせてしまいそうな冷たい声音に、土谷は血相を変えて逃げ出していった。
確かに怖いといえば怖かったが、逃亡するほどの恐怖かと言われると、どうにもハッタリくさくて逃げ失せた理由が分からなかった。俺が犬島になんとなく慣れたせいだろうか。
「はあ……」
一仕事終えた風にため息をつき、スタスタと歩き出す犬島に、俺は小走りで追いついてから、
「……あいつ、なんであそこまで態度変えて逃げ出したんだ?」
一応訊いてみると、犬島は少し歯痒そうな顔をして、頭をボリボリと書きながら答えてくれた。
「お前、私に関する変な噂聞いたことねえか?」
「あー、まあ小耳に挟んだことは」
確か、百人のヤンキーを統べる棟梁だったとかそんな話だったか。
「ああいう下世話な人間は噂話が好きでね。ま、馬鹿と鋏は使いようってやつだ」
「そういうことか。そんな嘘を信じるなんてあいつもアホだな」
まあ先日までの俺も半分信じていたが、冷静に考えればこのご時世、そんな高校生がいるはずもない。ましてや守江高校はそれなりの高校だ。その分、そういう奴が集まりにくい。まあさっき恫喝してきた頭おかしい奴いたけど。
彼女の噂を嘘だという前提でべらべらと喋り、脳内で一方的に考えていたが。
「……」
彼女は否定をせず、黙りこくっていた。気まずい沈黙が二人の間を支配する。足音が階段に反響し、静かな空間に返って不気味なくらいに軽快な音が鳴り続ける。
「……嘘、なんだよな?」
念の為問うと、犬島は足を止めて。
「……いや、まあ……そんなんはいい。明日のことを部室で話すぞ」
ごにょごにょと、気まずそうに誤魔化すのだった。
今になってあの声色が幻聴となって聞こえてきた。あれ、俺も逃げ出したいくらい怖くなってきたぞ。




