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四話 想い人と善行

 犬島を見失った。彼女はリードから解放された犬のように走り出して、颯爽とどこかへ行ってしまった。現在地は一年棟の端っこ、丁度芸術棟から入りしなの部分だ。


 キョロキョロと見回すが当然彼女の姿は見えない。姿はおろか、音すら感じられない。一体どこへ青春を否定しに行ったのだろう。


 丁字路の真ん中でまごついていると、俺のちっぽけな背中に声がかけられた。


「あれ、日暮くん?」


 その声音に、俺は反射的に振り向く。雑音に辟易(へきえき)した耳を一瞬間のうちに浄化する、天使のようなその声を、俺が忘れるはずがなかった。


「朝長さん……」


 声の主は、同じ中学出身の朝長陽廻ともながひまわりだった。


 朝長陽廻ともながひまわり。一年B組在籍。成績優秀、スポーツ万能。容貌も学年で一二を争うくらいに優れている。更には中学の時から学級委員だったり運動会の色長をやったりと、俺とは住む世界を違えた完璧人間だ。それゆえ、誰彼に告白されたといった話を何度も聞いたことがある。


 かくいう俺も、中学の頃から密かに彼女のことをちょっと気にしている。ちょっと気になってるというか気になってるというかほぼ好きというか好き。まあ高嶺の花過ぎて見上げる首が痛いけど。


 そして彼女は何よりも優しい。今回のように事あるごとに俺のような、友なし連れなし不甲斐なしと『なし』が三拍子揃った人間にも声をかけてくれる。中学の時から変わらずだ。そのおかげで勘違いして、思いを拗らせた人間がここに一人。きっと被害者は俺だけじゃないんだろうなあ……。


 彼女は同行者二人——恐らく同じ吹奏楽部の子だろう——に何かを言ってから、こっちに歩み寄ってきた。お日様に包まれるかのような優しい香りが俺の元まで漂う。


「こんなとこで会うなんて奇遇だね〜」


「あ……うん……あの子、たちはいいの?」


「大丈夫! 話してきたい、って言ってきたから!」


 話したいと思われていたことに舞い上がりました。どうも日暮です。てかなんで俺なんかと話したいんだよ。いや言葉でないくらいに嬉しいけどさ。人生経験とか色んなものが乏しいせいで盛り上げられないよ、俺。


「放課後に会うなんて珍しいよね。何か用事?」


「ああ……えっ、と……人、を探してて」


 俺の返答キモ過ぎだろ。声の上擦りといい、どもりかたといい、視線の動きといい挙動不審にも程がある。手遅れとは理解しつつ、彼女を不快にさせないように脳内の辞書で言葉を検索しようとするが、指の油が足りてないらしくページが捲れない。

 そんな即通報されるような不審者ムーブすら、彼女は受け入れてくれる。笑顔になって、体の前で手を合わせてから、


「そうなんだ! もしかして恋人? だったりして?」


 少し嗜虐的な笑みを浮かべ、探るような動作と共に出されたその単語に、俺の鼓動は音ゲーと化した。心臓が肋骨の檻を突き破って飛び出してきそうだった。これはあれだ。間違いなくからかわれている。

 ただでさえ貴女と話すと不整脈になるのに、そんな言葉を冗談とはいえ場に出されたらもうキャパオーバー。やばい、勢いで告白してしまいそう。


「いや、僕にはそんな……そもそも会話をしてくれるのだって、朝長さんくらいしかいないし」


「えー? 日暮くん、モテそうだけどなあ」


「な……」


 なら俺の彼女になってください。

 おっと危ない。喉仏の上辺りまで言葉が出かけたぜえ。ギリ理性が勝ったおかげでどうにか事なきを得たぜえ。ワイルドだろう?


 こうして頭で茶化してないと耐えられない。夢のような時間のはずなのに、心臓が縮むような感覚を味わう。何回かこうして、からかわれているが、何度も経験しても慣れない。くすぐったくて、切なくて。楽しくて、幸福なはずなのに、胸が痛む。

 尚も速まり続ける鼓動が彼女の耳に届いていなければいいなと願いつつ、俺は目一杯の力で喉を震わせた。


「いや本当に……勘弁して」


「ふふ、ごめんごめん」


 俺の搾り出すような白旗と同義の文言に、彼女はイタズラっぽく笑いながら謝り、頭を軽く掻いた。

 その笑顔に免じて許します。これからも話しかけてもらって構わないですよ。なんなら話しかけて。話しかけてくださいお願いします。


 改めて見ても、彼女は数多の男子を惚れさせるに相応しい容姿を有している。

 犬島の綺麗系とは違って、朝長は可愛い系だ。小さい丸顔、眉に少しかかるくらいの前髪。茶色がかった髪は地毛らしく、あしらわれた金色の星型のヘアピンは彼女の輝きを表しているようだ。


 その朝長の元に夕焼けの光線が窓枠の影を伸ばす。透き通りそうなほどに白く、肌理(きめ)の細かい彼女の肌と黒い影との間で、幻想的なコントラストが生まれ、俺はそれにしばし見惚れた。無個性な俺との対比も相まって、この空間で、夕刻の明暗は彼女という存在をより特別たらしめていた。


 この時間が永遠に続いたなら。俺は叶うはずもない淡い願いを痛み続ける胸に抱いた。


「それじゃーね、呼び止めてごめん!」


 彼女は掌を合わせて遠慮がちに言った。とても名残惜しいが、この気分が高揚する時間も終わりらしい。


「ああ、いや……うん。またね」


「またね!」


 彼女はそう言い残して去って行った。徹頭徹尾俺のレスポンスが気色悪かった。クソ。俺が上手く答えられないのも青春のせいだ。だから青春は嫌いなんだよクソ。でもまたねって言えたし、言い返してくれたからいいや。


 青春は嫌いで思い出したが、犬島を探しているんだった。はあ。心の内でため息が出る。なんで朝長と会って極上に癒された後に、あんな罵詈雑言製造マシーンを捜索せにゃならんのだ。


 階段を登っていくキャピキャピした声を背に、俺以外誰もいなくなった廊下で、どこへともなく歩を進めた。なんなら見つからない方が楽まであるもん。



×



 犬島はその後、教室に残ってなんやかんやしてた男女二人がいい感じになるたびに猫の鳴き真似をするとかいうカスムーブをかましていた。それ否定してんのか?


 俺は呆れて、その背中に声も投じずに帰ることにした。何が青春の否定だ。よくよく考えたら青春を否定するとなったら、朝長さんとの先程の時間も否定されてしまうではないか。そんなの嫌だ。学校に行く唯一の楽しみみたいなところあるんだから。


 手すりの向こうに河川が見える帰り道。葉の散りつつある木々。退屈な帰宅途中。仮に誰かが隣に居たなら、こんな光景だってきっと華やかな思い出の一ページになっただろう。

 光景よ、相手が悪かったな。そんな相手などいないぼっち検定二級の俺が相手だ。いや級微妙だな。どうせなら一級であれよ。


「ん……?」


 そうして変わらない世界で、信号待ちの最中に俺はそれを見つけた。

 明らかに未就学な女児が、壁際に背を預けているところを。帰宅途中とも見えない上、近くに保護者らしい存在もいない。親を待っている可能性も否定できないが、仮にそうでなかったとしたら……夢見が悪い。


 見つけてしまったものはしょうがないので、確認するために信号を渡り、その子に接近する。先ほどのような不審者ムーブはしないよう、慎重に、慎重に。


「こんにちは。お母さんかお父さんは近くにいる?」


「! ……」


 なるべく善良かつ快活な声で話しかけたが、その子はこっちを見て目をまんまるにさせるだけで、返答はなかった。きっといきなり話しかけられたことにびっくりして、言葉が出ないのだろう。


 沈黙のせいで、環境音がうるさく感じられる。だが環境音よ、相手が悪かったな。ぼっちゆえ沈黙には慣れている。ぼっち検定準一級の俺が相手だ。いやなんで数分で級上がってんだよ。


「えっと、探してるのかな?」


 答えやすいようにイエスノーで問うと、その子は少し躊躇してから、こくりと頷いた。予想通り、その子は迷子だった。ったく、見つけたのが俺でよかったな。悪人だったらどうなっていたか。いや俺はギリ悪人かもだけど。さけるチーズとかさかずに食うし。


「そっかそっか。もう大丈夫だからね」


 とにかくその子の不安を取り除くために、俺はつとめて穏やかな口調で諭す。


 見た感じ、保護者の連絡先が記されているものは所持していなそうだった。こうした場合、どうするべきか。

 答えは簡単。交番一択である。スマホを取り出して地図アプリを開く。最寄りのそこまでは少し歩くが、背に腹は変えられない。


「お巡りさんのとこまで行こっか。少し歩くけど、僕に着いてきてね」


 差し出した俺の手に、その子は初めて自発的に口を開いた。


「……し、しらない」


「え?」


 少し怪訝そうな目で、その子は俺を見つめた。


「しらない人には、ついていっちゃだめだって」


 おっと、ご両親の英才教育がしっかり施されている。素晴らしいことだ。素晴らしいことなんだが、今は着いてきてほしい。


 学生証を取り出そうとしたが、漢字が読めるか分からないため、口頭で説明することにした。


「しらない人だもんね。そうだよね。えっとね……僕はひぐれろうや。もりえ高校の学生。ほら、このマーク、見たことない?」


 そう言って、袖につけた校章を見せると、その子は見たことがあるような素振りを見せた。


「もりえ……あ! お姉ちゃんがいるとこ!」


 ナイス!!! 俺は心の中でガッツポーズした。会ったことあるか分からないがお姉ちゃんナイス。これで話が早い。


「信じてくれたかな? 着いてきてくれる?」


「うん! しらない人じゃなかった!」


 その子はそこで初めて笑顔を見せてくれた。そこで俺は既視感を抱いた。この笑顔と茶髪っぽい髪色、なんかどこかで見たことがあるような。お姉ちゃんは同じ高校らしいし、存在くらいは無意識に認識してるとかだろうか。



×



 手を繋いで、住宅街を歩く。側から見れば、妹を迎えにいった帰りの兄妹みたいに見えるかもしれないな、なんて思いながら。ちょっとこれは気持ち悪いか。訂正訂正。


「それで、仮面ドライバーはやっぱりズオーがいちばんいいの!」


「そうなんだね。どういうところがいいの?」


 交番にそろそろ着きそうな頃。俺はすっかりその子と打ち解けていた。その子は特撮番組の仮面ドライバーが好きらしく、生まれる前のものもすでに見ているとのことだった。魔法の少女が出る系じゃないのか。いや、これも最近流行りの多様性か。


 俺もそれに関する知識は多少なりともあったので、会話は大いに弾んだ。

 好きなものの話をしている間に、あっという間に着いてしまった。名残惜しさを感じるほどに、その時間は楽しかった。


「あ、着いたよ。ここに居たら、お母さんかお父さんが来てくれるからね」


 俺はそう言って、交番のガラス戸を開いた。青い制服に身を包んだ屈強な若いお兄ちゃんが、俺を見るなり、主婦からの人気が高そうな爽やかな笑顔で応対してくれた。


「こんにちは。どうかされましたか?」


「えっと……迷子を届けに来ました」


「あーそれはそれは、ありがとうございます。こちらで引き継がせていただきます。もう大丈夫だからね」


 彼は答えて、引き出しから必要な書類を探し始めた。


 俺はとりあえず近くにあった椅子に腰掛け、荷物も置いた。その子も俺に倣い、隣に座った。


「えーっと……あったあった」


 どうやら見つかったらしい。ふと時計を見やると、時刻は十八時を回っている。俺もそろそろ帰らないと色々まずい。


「発見した場所と、それから時間を教えてもらえるかな」


「ちょっと遠いんですけど、川沿いの交差点のところで……大体30分前くらいですかね」


「結構歩いたね、わざわざありがとう。あと、この書類に色々記入してもらっていいかな?」


 名乗るほどのものではないと言って颯爽と去る、いわば英雄のような立ち回りでもしようかと妄想していたが、そうもいかないらしい。ペンを受け取り、


「……はい。では、俺はこれで」


 そうして一礼し、荷物を持って帰ろうとした時、


「……お兄ちゃん、行っちゃうの?」


 上目を遣う形で、つぶらな瞳が俺を射抜いた。その目からは今にも涙がこぼれ落ちそうだ。ああ、そうか。交番もこの子からすればしらない所、だもんな。


 さしもの冷徹無比かつニヒルかつ悪人な俺といえど、不安がってる子どもをそのまま置いてけぼりにはできない。


 ここは、しってる人の出番だろう。


「しょうがないよ。あとは僕とお話ししよっか」


 そう告げるお巡りさんに対して、俺は振り返って。


「……いや、気が変わりました。もう少しここに居てもいいですか?」


「……!」


 その瞬間、その子の顔に明るさが再び戻ってきた。俺がこの子にとって安らぎになるのなら、帰りが遅くなって親に多少怒られるくらい屁でもない。そう思えるくらいには、俺はこの子に入れ込んでしまっているらしい。


「あー、全然大丈夫ですよ! その方がこの子も安心するでしょうし」


 お巡りさんも快く受け入れてくれたので、暫しの放課後をそこで過ごすことにした。


 ただ俺も高校生なので、親に帰りが遅くなることは伝えておかなければと思い、スマホを手にした。


「ちょっと母に連絡だけしてきます」


「分かりました。じゃあその間、色々きいてもいいかな?」


「……はい!」


 お巡りさんはその子に向かって笑顔で言った。俺はそれを見て満足気に頷いてから、戸を開いて外に出て、母に電話をかけた。



×



 交番から見える夕方の景色は新鮮だった。さらに言うと、隣に今日知り合ったばかりの子がいるというのが非日常的すぎて、こんな放課後も悪くはないなと思った。


 お巡りさんも含め、仮面ドライバーの話で散々盛り上がった後、その子のお母さんから迎えに来られそうという一報が入り、あとはお巡りさんに任せて俺は早めにお暇させてもらった。いやあ、いいことしたな、俺。


 去り際にまたその子の目は潤んでいたが、流石にこればかりはどうもできない。俺だって少し寂しかった。少しの間だったけど、頼られるのは嬉しかったし。


 そうして俺は帰宅した。親からは遅くなったことを怒られるかと思っていたが、逆に迷っている子どもを助けたことを偉いと褒めてくれた。


 晩飯風呂等を済ませて部屋で寛いでいると、スマホが震えた。


【わらび:てめえ、途中で帰りやがったな】


 一瞬俺は何のことか分からなかったが、そういやそうだったな。まあ彼女の怒りもごもっともだ。部員が部活動の途中でバックれたのだから。でもあんな姿を見せられて最後まで付き合う方が正気ではない。


【日暮:誠に申し訳ない】


【わらび:私が一人で猫の鳴き真似する変なやつみたいになっちまったじゃねえか】


 それは事実だろうが、と打とうとしたが、あんまり反論するとまたノート案件なのでやめておいた。


 ベッドの上に寝転んで、一日を瞼の裏に巡らせる。

 今日は何だか充実した一日だった。犬島との関係性も……まあなんだかんだ嫌いじゃない。かもしれない。何より子どもを助けた達成感が体を取り巻いて、浮遊感をもたらしていた。


 柄にも似合わず、俺は明日が楽しみになっていた。変わらないはずの日常が、これから変わっていくような気がして。


 ……でも俺はまだ知らなかった。その日常が、俺の望まない方へ変貌していくことを。

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