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九話 解決、そして

 お巡りさんは俺を視認すると、眉をぴくりと動かしてから、犬島に向き直った。


 彼が身に纏う威圧感のある深い紺色の制服は、その者が公的権力であることを一目で俺たちに分からせる。同時にこの場においてその人は、土谷の言い分が嘘だという動かぬ証拠を兼ねている。


 予想だにしない人物の登場に、土谷は目を見開いた。狼狽ろうばいしているのか、不自然に握られている拳が、寒くもないのに震えていた。


 そして俺も動揺していた。え、お巡りさん呼んだの? 行動力どうなってんだよ、学校にどう説明したんだよ、等疑問は尽きないが、それは後で訊けばいい。頭を切り替える。兎にも角にも、今は会話の流れを追うだけだ。


 お巡りさんは気まずそうに口を開いた。


「その子に呼ばれてね。それで、僕は何をすればいいのかな?」


「ああ、貴方にしてほしいのはただ一つだけ。質問に答えてほしい。先日貴方が勤務する交番に迷子を届けた守江高校の生徒がいる。これは事実か?」


「ああ。事実だね」


「それは、こいつだったか?」


 犬島はそう言いながら、土谷を指差す。差された土谷はバツが悪そうに、視線を泳がせた。


 そして、お巡りさんは躊躇いがちに、ゆっくりと首を振った。


「いいや。君じゃなかったかな」


 土谷の嘘が確定した瞬間だった。


「……最低……」


「いや、俺は確かに……」


 朝長は俯いたのちに、往生際の悪い土谷を睨んだ。その目尻は少し潤んでいるようにも見えた。自身を欺こうとしたことや、妹の事件を利用しようとしたことへの彼に対する確かな怒りが、その表情からは見てとれる。


 お巡りさんはじろじろと見るのが憚られるその二人から視線を外し、俺の方へ顔を向けた。


「この前うちに来たのは、彼じゃなくて、そっちの……」


 そこで犬島が遮った。


「あー、誰が届けたかはいいんだ。そいつじゃないことが証明できればな……まあ、おおよそ会話の流れからバレているとは思うが」


「……ひぐれ、くん……?」


「……」


 先ほどまで土谷へ怒りを露わにしていた朝長が、態度を一変させて俺を見る。その顔は、それこそ迷子のような顔で、先ほどと打って変わっていた。どういう気持ちなのか、俺には察することができなかった。

 本当は、そんな顔をさせたくはなかった。覚えなくていい罪悪感が胸をちくりと刺した。

 土谷や犬島も俺を見ていた。スポットライトが自分に当たっているような気がして、逃げ出したいような心持ちに駆られた。


「一応、体裁上は誰かってのは明言しない。そいつの意向を尊重してな。この場は、そこにいるクズの嘘を暴くっていう、それだけのための場だ」


「……俺は」


「観念しろ土谷。てめえが生き残る術はもう存在しない」


 犬島は土谷に最終宣告のように言った。俺が、犬島が、朝長が、彼から発せられる言葉を待って息を呑む。


 そして、彼は気怠げに右手で自身の右肩を掴んだ。


「は〜……だっる」


 土谷は悪びれる様子もなく、気力が無くなったように無表情でうそぶいたいた。その様子を瞳に映した朝長が悲痛の表情を浮かべた。


 犬島がそれを侮蔑するように見つめた。しかしそこに感情は宿っていないようにも見てとれた。


「……当然のように謝罪の言葉はないんだな」


「そもそもお前らが茶々を入れてこなきゃこんな問題にならなかったんだよ」


「ほう、嘘をついた自分を棚に上げ、あまつさえその責任を私に問うとは。厚顔無恥も甚だしい」


 無理めいた反論を犬島は許さない。元を辿れば間違いなく土谷のせいなのだ。


「……ありえないよ……最低」


 朝長が人を傷つける筈がないその優しい心で、精一杯の非難の言葉を搾り出した。


「はあ〜あ、あほらし。ま、俺は帰るわ。せいぜい仲良くしてろ」


 土谷はそれを意に介することもなく、開き直って捨て台詞と共にその場を後にした。呆気ない復讐劇だった。残された四人の間にしばし沈黙が降りる。


 その終業式前日のカバンのように重苦しい沈黙を切り裂いたのは犬島の声だった。


「今日は来てくださってありがとうございました。それと、ごめんなさい。変なことに巻き込んで」


 彼女はそう言って、お巡りさんにうやうやしく頭を垂れた。


「ああ、いや、大丈夫だよ。また何かあれば気軽に声をかけてね。それじゃ」


 お巡りさんは若干気まずそうに返事をして、その場を去っていった。いやほんとなんで来てくれたんだ。


 そうして、再度沈黙が訪れる。

 気づけば窓の外に雨の姿はなく、低く垂れ込めていたはずの暗雲はすでに千切れつつあり、その向こう側に照る橙色の夕焼けを所々透過している。


「……ふう。事件は()()解決したし、私も帰るわ。じゃーな」


 未だ動けない俺と朝長に対し、含みを持たせた言い方で、犬島は言い残して帰っていった。


「……あー、っと……」


 残された二人。眼前で俯きがちな彼女に対して言葉をひり出そうと、首をかきながら喉を震わせると、朝長は顔を上げて、その不安そうな表情を俺に見せた。


「……ごめん。言わなきゃいけないこともあるけど……今はとりあえず一人にさせてほしい」


 俺はその涙声のような声で告げられた言葉に何も言えなくなった。視線を逸らして、頷くわけでも首を振るでもなく、曖昧な動作をとることに注力した。


 きっと、朝長が一番辛い。冷徹な俺でさえかなりの傷を負ったのに、心根の優しい朝長のことだから、身を裂かれるような思いだろう。ヒーローだと思っていた相手が、自分を目当てに嘘を吐いたクズだったという現実を受け入れなければならない、なんて。

 でも、今の俺にその傷を癒やせるような行動は取れない。俺はこの一件に、深く関わってしまっているからだ。


「ごめんね……」


 彼女は頭を下げて教室を後にした。残されたのは一人だけだ。


 放課後の教室にただ一人取り残された俺は、窓の外を見つめた。鳥の群れが離散した雲の狭間から覗く夕日に点々と影を作り、それに呼応するように街頭がぽつぽつと点き始めていた。


 恐らく、嘘を暴く世界線では一番丸く収まった形だろう。朝長は傷ついたかもしれないが、きっと——これは俺の希望的観測も含むが——土谷と長らく時を共に過ごせば、今回以上に彼女は傷ついたはずだ。

 そして、個人的な話にはなるが、俺のこの胸の痛みを帯びた劣情も少しは浮かばれた。改めて、犬島には頭が上がらない。行動力のない俺の欠点を埋めて余りある活躍をしてくれた。


 来る月曜日、彼女に会ったら感謝しようと、俺は心に決めたのだった。



×



 休みが二日続いた後の平日なのだから、寝坊しそうになるのはしょうがない。


 月曜日。俺はあくびを噛み殺しながら、D組の教室に入った。喧騒が耳朶を支配するが、友達などいない俺に声をかけてくるものは居るはずもない。


 そのはずだったのだが。


「……日暮くん」


 天界で流れる音楽のような、聴くもの全てに癒しをもたらす声が耳に届いた。


「っ!? 朝長……さん……」


 その声音に、俺の体は一気に強張る。焦って頭が真っ白になって、どうすればいいか分からなくなる。


「いきなりごめんね。放課後、芸術棟のピロティに来てくれない?」


「あ、ああ、うん。分かった……あ、でもちょっと遅れるかも」


 放課後というキーワードで部活のことを思い出した。一応犬島に会って感謝ほど告げてから、断りを入れて朝長に会いに行こうと考えた。


「大丈夫だよ。ありがとね」


 少しかげりの見える微笑を浮かべつつそう言って、彼女は去っていった。クラスに態々来てくれて、その上で話しかけられるなんて初めてのことだ。


 ……動揺して思考停止してしまっていたが、俺は朝長とも話をしなければいけない。たった今思い出した。


 朝長は優しく、真面目な人だ。だからこそ、今回のいざこざで俺との間に奇しくも生まれてしまった微妙な関係性に対し、誠実な対応をしようとしている。


 彼女が思うままに、この世界にあれるのであれば、俺の放課後の幾ばくかの時間など些事に過ぎない、と去り際の背中を見ながら思った。



×



 放課後。ホームルームの終了と同時に、緩りとした空気を掻っ切って、芸術棟に足を進める。


 俺には、これからするべき二つの行いがある。土日の間、ずっとシミュレーションを脳内で繰り返してきた。大丈夫。大丈夫。普段のような挙動不審は鳴りをひそめてくれるはず。

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