99話 観測開始:5年17日目-7 / いつかは、きっと
夕食が並ぶテーブルを前に、ダリヤは眉間に皺を寄せていた。
「……納得いかないわ。どうして火から熱だけを切り離せるのよ」
彼女の不満げな視線の先で、エデンは切り分けられた肉を、リリカに手伝ってもらいながら咀嚼していた。
「ダリヤ。ですから、まずは自分の知る火から離れないといけません。いいですか、火とは励起状態の制御と熱放射モデルの――」
「待って! なんとなく分かってはいるのよ! なんとなくだけど!」
ダリヤが八つ当たり気味にサラダを口に放り込む。
ダリヤも一緒に遊べるようにと、エデンが作り出した触れても熱くない火。
結局ダリヤは夕食の時間になっても、その現象を再現できずにいた。
「ダリヤもお水のまほう、つかえたらよかったのにねー」
「……いいのよ。その分、火魔法には自信あるんだから」
「ふーん。んん! このお肉、すっごくおいしい!」
「そう? 今日は特別にって、料理長にお願いした甲斐があったわ」
アリシアの食べっぷりに、ダリヤの顔も少しだけ丸くなる。
給仕の者が静かに壁際に控えるダイニング。
長テーブルの上座にダリヤ、その左側にエデンとアリシアが並んで座っている。
そして彼女たちの向かい側――。
本来なら埋まっているはずの椅子には、先ほど遊んでいた兎と猫のぬいぐるみが、ちょこんと行儀よく腰掛けていた。
「ところで、一ヶ月後には迎えが来るのでしょう? その後はどうするつもりなの?」
「はい。王都に向かうと、そう聞いています」
確か、シエルはそう言っていた。
するとアリシアが、エデンの右腕をツンツンとつついた。
「おねえちゃん、王都行くの?」
「ん? そういうお話だったでしょう?」
「でも……おねえちゃん、村に帰りたいって……」
嘘はない。
穏やかなトリト村、四人で過ごしたあの家。
そこへ戻りたいという願望は、エデンの中に今も刻まれている。
けれど――。
「……ううん。村には、戻らない」
「そうなの?」
「うん。今回のことで、よく分かったの。私、もっと強くならないと」
持ち上げた左腕の袖が、力なく垂れる。
もっと自分が強ければ。
アリシアが攫われることも、こんな無様な損壊を負うこともなかったはずだ。
平穏な村に戻っても、この現実は変えられない。
「……いつか、いつかは、きっと村に帰る。だけどそれは、もっと強くなってからでもいいのかもしれない」
「うん……。うん! じゃあアリシアも、もっと強くなる!」
アリシアが残っていた大きな肉の塊にフォークを突き刺し、あぐっと一口で放り込んだ。
モグモグと口を動かし飲み込むと、ソースの付いた唇を開く。
「アリシアがすっごく強くなったら、おねえちゃん、冒険者おうえんしてくれる?」
「それは……そうね、強くなったらね?」
「やった!」
アリシアが嬉しそうに笑うが。
(……私が応援できる時なんて、来るのかしら?)
例えどれだけアリシアが強くなっても、万が一を考えるとずっと心配し続けてしまうかもしれない。
「そう……二人とも、王都に行っちゃうのね」
「それが、どうかしましたか?」
「だって、王都よ? 遠いじゃない。せっかくお友達になれたのに……」
「お嬢様。お嬢様もいずれ、王都へ向かわれます。またお会いできますよ」
「でも、それはまだ先の話でしょう?」
「ダリヤも、王都に行くの?」
アリシアが首を傾げると、リリカが一度頷き、説明を続ける。
「はい。お嬢様は王都にある王立学園へ入学される予定です。なので、その時お二人がまだ王都にいらっしゃれば、きっと再会できますね」
「学園、ですか」
「おー! ……がくえんってなあに?」
「人が集まって、勉強をする場所ですよね。何を学ぶのかは存じませんが」
「べんきょう?」
アリシアの分かってるのか微妙な反応に、ダリヤはクスクスと笑った。
「何を学ぶかは人それぞれ。座学だけではなくて、実践的な魔法や剣技の授業もあるわ。貴族にとっては通うのが義務みたいなものね」
「通われるのは、お嬢様のような貴族のご子息、また商家の跡継ぎも行かれます。平民であっても、有望な方であれば入学が許可されるそうです」
「なるほど。では、ダリヤも将来はそちらに通われるのですね」
「まあ、そのうちね。……でも、まだ先の話よ」
ダリヤが不満を零しながらも、食事を終える。
エデンが「ご馳走様でした」と小さく頭を下げると、ダリヤがポンと手を叩いた。
「そうよ! 二人とも王都にいるなら、いっそ学園に通ったらどうかしら?」
「え? わたくしたちが、学園に?」
「おー! がくえん! アリシアもいけるの!?」
食いつくアリシアを見て、ダリヤは名案だと言わんばかりに身を乗り出した。
「そうよ。学園なら戦い方も学べるし。エデンが強くなりたいのなら、それもいいじゃない」
「それは……どうなのでしょう。強くなるのに行くのが正しいのか、分かりません……それに、平民は優秀な方しか行けないのでしょう?」
「……あなた、鏡を見たことないの?」
「エデンさんが入学できないのであれば、誰も入れませんよ。それに必要とあらば、旦那様が推薦状を用意していただけるかもしれません」
「それよ!」
ガタンと椅子を鳴らして、ダリヤが勢いよく立ち上がった。
「お父様が帰られたら、すぐに二人のことを話すわ! お母様にも!」
「ダリヤのご両親、ですか」
どのような人物なのだろう。
エデンが思案していると、リリカが興奮するダリヤを優しく諭し、椅子に座らせ直した。
「昨日の件、ご報告をお送りしていますが……旦那様は、お戻りが難しいかもしれません。ですが奥様は、急ぎ王都から駆けつけてくださるでしょう」
「ん、そうね。……一ヶ月後くらいかしら」
「はい。恐らく、ご到着にはその程度かかるかと」
「二人のこと、お母様に紹介させて! 私のお友達だって」
「は、はあ。構いませんが」
「ねえ、ダリヤのママって、どんな人なの!?」
アリシアの質問に、ダリヤはんーと数秒間空を仰いだ。
「そうね……。背が高くて、綺麗で……少し、厳しい人、かしら」
「厳しい、ですか」
「……お嬢様にとっては、そうかもしれませんね。お嬢様が今のご年齢で政務に携わっておられるのも、奥様の教育の賜物ですから」
「え、ダリヤは、お仕事をしているのですか?」
「え、ええ。明日も、商業ギルドに行く予定があって」
「ほえー。アリシアたちもね、ママのお仕事てつだってた!」
「あら、そうなの?」
「うん!」
「……それは、驚きました。それだけダリヤが優れているということなのですね」
改めてダリヤを見つめるが、エデンより年上とはいえまだ子供の域を出ていない。
すると、ダリヤはわずかに顔をしかめた。
「そう言ってくれるのは嬉しいけど……正直、あんまり上手くいってないわ」
「最初から完璧にこなすのは、難しいのではないでしょうか?」
「そう、なんだけどね……」
ダリヤの翳った表情を見て、アリシアが不思議そうに首を傾げた。
「ダリヤ、明日どこか行っちゃうの?」
その問いに、ダリヤは表情を切り替え、悪戯っぽく笑った。
「そうよ。二人も明日、一緒にお出かけしない? 仕事中は一緒には過ごせないけど、商業ギルドは街の中心部にあるから。冒険者ギルドに行って、クラリスに会ってきたら?」
その提案に、エデンの瞳がはっと見開かれた。
「そうでした。薬草採取、まだ納品していませんでした」
「おー、そうだった! わすれてた!」
革袋に詰め込んだ薬草は、まだ鞄の中に眠っている。
「あら。それじゃあ決まりね。明日は、皆でお出かけよ!」
*********
「まだ貴様にはあ! 権限が! 足りなァァァいっ!」
「……まだ、何も言ってませんが」
エデンが冷ややかな視線を送る先。
無造作に積み上げられた本の塔。
その頂で、キューレは右手をおでこに当て、これでもかとのけ反りながら仁王立ちしていた。
すると、バババッと残像が残るほどの無駄な動作でポーズを決め、その指をビシィッ! とエデンに突きつける。
「分かっているとも! 貴族社会について、更に強くなる手段、そして損壊したアバターの修復プロセス! フッ、底辺レベルの権限しか持たない貴様が、そんな情報を閲覧できるわけなかろう! フアーッハッハッハア!!」
高笑いを響かせる管理者の姿に、エデンの眉間がぴくりと動いた。
エデンは静かに歩み出ると、本の塔に手を添えてグラグラと揺らし始める。
「上から見下してないで、さっさと降りてきなさい!」
「お、おいい! や、止めろ! 完璧な配列が乱れるだろうが!」
頭上から情けない悲鳴が聞こえてくるが、本の塔を思いっきり蹴り飛ばす。
「あああああああっ!?」
足場が崩落し、キューレの体が宙へ放り出される。
断末魔のような叫びと共に、彼女の体がビタンッと地面に叩きつけられた。
「お、おのれえ……」
わなわなと伸びる手を見下ろして、エデンはふっと口元をゆがめた。
「……何でしょう。久しぶりに、とても清々しい気分です」
「ぐぬうぅ……。き、貴様……。ま、まあ、よかろう。今回は、多めに見てやろうではないか」
キューレはよろよろと立ち上がり、いつもの如くソファへと体を投げ出した。
「さて、それでは本題に入ろうではないか」
「いえ、情報が得られないのであれば、私は帰ろうかと――」
「私から君に、依頼したいことがある! もちろん聞いてくれるな? ああ、私と貴様の仲だからな!」
キューレの腕がさっと振られると、エデンの体もいつの間にやら正面の椅子に座らされていた。
「……私はまだ、返答はしていませんが」
この得体の知れない管理者の依頼。
警戒したエデンの瞼が、うっすらと下がる。
すると、キューレはその手を切なげに宙へかざし、うっとりとどこか恍惚の表情で呟いた。
「……先ほどの貴様たちの食事。あれは……とても美味そうだった」
「……は?」
「私も食してみたい! あの計算され尽くした火入れの分厚いステーキ、切り口から滴り落ちる琥珀色の肉汁! スープは野菜の甘味が溶けるまで煮込まれ、パンまでもが雲のようにふんわりと柔らかそうだったではないか!」
「は、はあ……」
「これまでも貴様の食事風景は眺めていたが……もう限界だ! 我慢できん!」
そういえば、キューレが口にしているのは、紅茶しか見たことがない。
「キュー様は……紅茶しか飲まれないのですか?」
「そこなのだよ! 不本意ながら、ここに持ち込まれた物しか再現できないのだ! 私もいろいろと味わってみたい!」
「そ、それは……大変ですね」
「そうだろう! そこで貴様の出番だ!」
キューレはソファから飛び起き、詰め寄るようにエデンへと歩み寄った。
「私に、美味しい料理を送ってくれ!」




