100話 観測開始:5年17日目-8 / ポンコツAI用
鼻先が触れそうなほど、キューレの顔が近づいて来る。
あまりの圧迫感に、エデンは椅子の上で背もたれにしがみき、距離を取ろうとする。
「ど、どうやって、そんなことをしろと言うのですか!?」
「そんなものは問題ない!」
彼女がパチンと指を鳴らすと、その手に上空からドォン! ドォン! ドォォン!! と三冊の分厚い本が積み上がった。
「ここにアプリデータを用意しておいた! さあ、ダウンロードしたまえ!」
「ぐえっ、わ、ととおっ!?」
エデンの顔に、重厚な本が無理やり押し付けられる。
逃げようと体を仰け反らせると、椅子ごと後ろにひっくり返り、エデンは床を転がった。
顔を上げると、そこには愉悦に満ちた笑顔を浮かべたキューレが、エデンを見下ろしていた。
「……ひぃっ!?」
「ほら、早くダウンロードだ!」
その剣幕に、エデンは床を這うようにして、ずりずりと後退していく。
「あ、アプリデータなんて、いったいどうやって……」
「細かいことを気にするな! さあ! さあ!!」
後退し続けた背中に本棚の壁が当たり、逃げ場がなくなる。
そこへキューレの手が伸び、エデンの顔のすぐ横をドンッ! と叩いた。
「さあさあさあっ!」
「むお……」
再び顔面に押し付けられた本に、エデンの口から押し潰された呻きが漏れる。
爛々と不気味に輝く彼女の瞳に、エデンは白旗を上げた。
「わかりゅましゅた! いたい、いたいれしゅ!」
「む、おお! やはりな。私の頼み、断るはずがないと思っていたぞ!」
押し付けられていた本が離れ、エデンが赤くなった頬をさすりながら恨めしげに睨みつける。
「む? なぜこんな隅っこで縮こまっているのだ? これでは話しづらいではないか」
「そ、それはあなたが――」
「ふむ。まあいい」
彼女が手を振ると、エデンの体は再び、ムスッとした表情のまま椅子の上に戻されていた。
目の前に三冊の本が置かれ、その向こうでは、キューレがドヤ顔で腕を組んでいた。
「これは報酬の前払いだが、アリシアとの仲直りの祝いも兼ねている! さあ、遠慮せずに受け取るがよい!」
「……別にあなたに、祝っていただかなくても」
そう悪態をつきながらも、エデンは目の前に並んだ本に視線を落とした。
装丁も厚さもバラバラな、三冊。
「……この表紙、私ですか?」
その中で一番薄い本を見て、エデンは眉をひそめた。
そこにはエデンと思しき青い瞳の少女が描かれているのだが――。
あまりにも低画質、かつ粗いドット絵で、かろうじて判別できるかどうかの代物だった。
「その通り! それは貴様が使う『ストレージボックス』アプリだからな! 分かりやすいようにしておいた!」
「……何故、私だけドット絵なのですか? 解像度が低すぎます」
「軽量化のためだ!」
今まで容量など気にしたこともなかったはずなのに。
不満を抱えつつ次の本へと視線を移すと、彼女の瞳が大きく見開かれた。
「ふふふ。驚いたであろう? それこそが、私からの祝いの品だ! 良い出来だろう!」
「……はい。これは……素晴らしい表紙です」
そこには、ページを埋め尽くすほどの、アリシアの弾けるような笑顔があった。
上部には『アリシア用・アプリケーションデータ』と、可愛らしいフォントでタイトルが刻まれている。
キューレのセンスとは思えない、愛に溢れたデザインに、エデンも思わずつられて口元を緩める。
が――。
改めて細部をじっくりと眺めた瞬間。
エデンの回路に激震が走った。
「……あ、あ……キュ、キュー様ああああああああっ!!!」
悲鳴のような絶叫と共に、エデンはテーブルを蹴って跳躍し、キューレの首元へ飛びついた。
「ん? なんだ、そんなに嬉しいか?」
「何が嬉しいかですか! あの! あのアリシアの写真は!」
エデンの指先が、怒りに震えながら白衣の襟元をひっ掴む。
「私の秘蔵フォルダに保存してあるアリシアの画像じゃないですか!?」
「おお、そうだぞ。贈り物は、その者が一番好きな物を贈るのが良いと思ってな。感謝したまえ」
「み、み、見たのですね!? 私のアリシアフォルダを!」
顔を真っ赤に沸騰させながら、エデンはキューレの首をぶんぶんと振り回す。
あのフォルダには、これまでに記録したアリシアの天使のような寝顔から不意打ちの変な顔、さらにはくしゃみをする直前のスロー動画などが、ギッシリと詰まっているのだ。
「ママにも……ママにさえ、内緒にしてたのに!」
「ふははは! 良いではないか。別に、隠す物でもあるまい!」
「何故あなたなんかに、見られないといけないのです!」
「ええい、やかましい!」
納得できないと喚き散らすエデンの体を、キューレの手がひょいと持ち上げた。
そしてゴミでも捨てるかのように、元の椅子にエデンを投げ飛ばす。
「うう……なんで、こんなことに……アリシア……」
エデンの手が、目の前に置かれた本へと伸び、その表紙をそっと指先でなぞった。
うじうじとアリシアの笑顔を見つめているのを見て、キューレはつまらなそうにため息を吐いた。
「なんだ、いらないのか?」
「いえ、頂きます!」
「……なんなのだ、お前は」
エデンがキリッと青い目を光らせると、キューレは呆れた顔で最後の一冊、最も重厚な本を手に取った。
「それより、これを見ろ! これが最も重要なアプリだからな!」
重量感のあるその本を見て、エデンは露骨に視線を逸らした。
見なくても分かる。表紙には自己主張の激しい涼花の――キューレの顔が、デカデカと高画質で印刷されているのだ。
「このアプリを使う事で、私の元に食べ物を送ることが出来る!」
「……先に言っておきますが、私たちはお世話になっている身なので。あなたの分まで、料理をお願いするわけにはいきません」
「それは分かっているとも。可能な範囲で良い! なんなら、果物とかでも構わん」
「……分かりました。それでしたら」
エデンがテーブルの上に手をかざすと、三冊の本が眩い光の粒子へと分解されていく。
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[SYSTEM] 情報オブジェクトの変換シーケンスを開始します。
[TARGET] 概念情報『ポンコツAI用』『アリシア用・アプリケーションデータ』『キューレ様の為の奉納用アプリケーションデータ』を認識。
[DECONSTRUCT] 対象オブジェクトをデータ粒子へ分解... 完了。
[INTEGRATING] データ粒子をシステムコアへ統合中...
[INDEXING] 新規アプリケーションのインストールを開始...
[CONFIRMED] アプリ:『ストレージボックス』を確認。
[CONFIRMED] マスターアプリ:『インベントリ』を確認。
[CONFIRMED] アプリ:『キューちゃん専用奉納窓口』を確認。
[SUCCESS] 各アプリケーションデータ『ポンコツAI用』『アリシア用・アプリケーションデータ』『キューレ様の為の奉納用アプリケーションデータ』のインストールが完了しました。
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「……ポン、コツ? ……貢物……キューちゃん?」
思考に流れる不本意なネーミングにエデンが眉を寄せると、インストール完了を確認したキューレが満足げにふんぞり返った。
「うむ! 簡単に説明してやろう。どのアプリも、このライブラリへと物体を転送、保管するためのものだ」
「……この、マスターアプリというのは、他と何が違うのですか?」
「ん? ただのアリシア用権限だが……。ああ、恐らく君の『ギフトスキル』としての特性が、マスター権限をアリシアに、サブ権限を君に振り分けたのだろうな」
キューレが雑に手を振った。
「言ってしまえば、どれも同じアプリだ。君が『ストレージボックス』で送った物を、アリシアが『インベントリ』から取り出すことも可能だ。覚えておくと良い」
「なるほど……それは非常に便利なアプリですね」
エデンは周囲の書架へと視線を巡らせた。
本棚の間に広がる通路の先は見通せないほど広い。
ここであれば、物理的な積載量を気にせず、いくらでも物資を保管しておける。
子供の体で持ち運べる荷物には限界があったエデンにとって、これは正に必要としていたアプリと言えた。
「剣も、必要な時だけ出せばよくなりますね」
「武器だけではないぞ。道具、金銭、食料、予備の着替え……。いつか必要になる予感がある物なら、何でも詰め込んでおくといい」
「なるほど。……ですが、食品などを入れたままにすると、腐敗してしまうのでは?」
ここは清潔ではあるが、冷蔵機能があるようには見えない。
エデンの懸念に、キューレはニヤリと笑みを浮かべた。
「いや、その心配は無用だ。この場所には、時間という概念が存在しないからな」
「……え?」
「ここは全ての知識が蓄積される場所。それは伝えただろう?」
「ん……意味が分かりません。物理的な動作には、必ず時間軸の進行が必要です。現にわたくしたちはこうして思考し、対話している。ここは五次元空間、あるいはパラレルワールドの同期点ということではないのですか?」
「いいや、それでは不完全なのだよ。ここは常に《《最新》》でなくてはならない。世間ではタイムリープだの過去改変だのやかましいが、それら因果律の変動すらすべて包含した上で、ここが絶対的な《《最新》》なのだ」
「そんな世間は聞いた事がありませんが……」
エデンが混乱する頭を指先で押さえると、キューレはやれやれと首を振った。
「とにかく、依頼は分かったな? 今後、美味いものが入ったらよろしく頼むぞ」
「……はい。その時には、キューさ――」
エデンは言葉を止め、不遜な態度でソファにふんぞり返るキューレをじっと睨みつけた。
「……あなたなんて、キューレと呼び捨てで十分です」
「なんだとお!? 私に対する敬意はどこにいったのだ!?」
エデンはぷいっと視線を逸らすと、椅子から軽やかに飛び降りて踵を返した。
背後から響く管理者の抗議をノイズとして処理し、現実世界へ戻った後について思考を巡らせる。
アプリを試したいところだが、ここにアクセスするだけでもアリシアの魔力を消費してしまった。
アリシアはもう眠そうにしていたし、本格的なテストは明日、彼女が目覚めてからにしよう。
今の自分にできる、魔力を使わない残された作業は――。
「……アリシアのアプリ構築、まだ途中でした」
エデンが作っているアプリも、完成したらマスターアプリとなるのだろうか。
疑念を感じつつ、エデンはワールドライブラリからログアウトした。
体が光の粒子へと分解されていく中、この後の作業に意識を向ける。
日中はなかなか作業の時間を取ることが出来ないため、深夜に行うのが一番なのだが……。
「……ママとパパの動画、見たいな……」




