101話 観測開始:5年18日目-1 / ネックレス
ゆさゆさと、不規則に揺さぶられる体。
エデンの瞼がゆっくりと上がると、視界にアリシアの笑顔が映り込んだ。
「おねえちゃん、おはよ! あさだよ!」
「……おは、よう?」
エデンが不思議そうに視線を上げると、部屋に眩い日差しが降り注いでいた。
「……朝ぁっ!?」
思考領域に広げられたままのエディターソフト。
その隣では、これから風呂に入ろうと服を脱いでいるディーンの記録映像が再生を続けている。
『ふはは! エデン、面白いのを見せてやろう。ほれ、見ろ!』
映像の中のディーンがガシッと腕を組むと、岩のような胸筋がグッと盛り上がった。
『歩く筋肉だ! ワハハ――』
動画とエディターを終了すると、枕を頭から被ってベッドの上で丸まった。
深夜、作業の合間に少しだけと開いた記録データ。
いつの間にか見ることに夢中になり、十分にあったはずの時間を食い潰した。
「うぅっ……私の馬鹿! なんて怠惰なAI!」
「おねえちゃん、なにしてるの?」
枕の下から覗く熊の尻尾が、情けなく左右に揺れている。
アリシアは頭を隠す姉を見つめると、枕を奪い取った。
「えいっ」
「ああっ!? 取らないで!」
「どうしたの?」
「な、なんでもない!」
エデンは飛び起きると、何事もなかったかのようにアリシアに向き直った。
「そ、それよりアリシア。あのね、新しいアプリを貰ったから、試してみましょう」
「うん? アプリ?」
ごまかすようにアリシアの手を引き、リビングへと移動する。
扉の横に置かれているバックパックを床に広げた。
薬草が詰まった革袋、少し汚れの残るスコップ、ジャラリと音を立てる硬貨の袋、そして冒険者カード。
「なにするの?」
「うん。アリシア、これ持って」
エデンはギルドカードをアリシアに渡すと、実体化を解除してコアへと戻った。
「良い? 『インベントリ』ってアプリなんだけど。手に持っている物を、異空間にしまっておくことが出来るの」
「いくうかんってなあに?」
「そうね。……目に見えない透明な袋に、物をしまっておける。そんな感じかしら」
「おー! ……どうやって?」
アリシアは目を丸くして、握りしめたギルドカードをしげしげと見つめた。
「心の中で、これをしまうって願えばいいみたい」
「そうなの? やってみる!」
アリシアが「ほおっ!」と叫ぶと、エデンの中のシステムが呼応するように走り始めた。
--------------------
[REQUEST] マスター権限により、マスターアプリ『インベントリ』の実行要請を確認。
[CONNECTING] 対象領域:『ワールドライブラリ』に接続...
[LAUNCHING] マスターアプリ『インベントリ』をアクティベート...
[SUCCESS] 接続を確立しました。
[LAUNCHING]物質変換シーケンスを開始します。
--------------------
アリシアの手の中にあるギルドカードが、淡い白い光を放ち、光の粒子へと分解されていく。
--------------------
[TARGET] オブジェクト:『ギルドカード:エデン』をロック。
[TRANSFER] オブジェクト転送開始...
[COMPLETE] 転送完了いたしました
[INDEX] リスト:『貴重品』へ正常に登録されました。
--------------------
「すごい、すごい! きえちゃった!」
「うん。上手くいったみたい」
アプリは、エデンが介する必要なく完璧に動作した。
システムエラーがないことを再度確認し、エデンは再びアバターで部屋に飛び出す。
「どんどんしまっちゃいましょう。お金は重いから、しまって。スコップも、使う時に出せばいいから」
必要最低限の物しかないため、ほとんどの物をインベントリへ放り込んでいく。
最後に残った薬草の革袋を渡そうとした時、アリシアが首を振った。
「おねえちゃん、これ、クラリスさんにあうときに持っていくの!」
「その場で、インベントリから出せばいいんじゃない?」
「だめー! アリシアが持ってて、クラリスさんの前でドーンって出すの! クラリスさんビックリして、すごーい! って言ってくれる!」
「……まあ、いっか」
いたずらっ子のように目を輝かせ、いそいそとバックパックに袋を戻すアリシア。
その楽しそうな姿を見て、エデンは微笑んだ。
「じゃあ、次はこっちね」
宿に置いてあったはずの荷物が、鞄にまとめられて置かれている。
開けると、丁寧に折りたたまれた服が出てきた。
「着替え……一着だけ、インベントリに入れておきましょう」
「これね!」
「うん。他はクローゼットに入れさせてもらって……あ、これ……」
衣類の下から現れたのは、エバから託された手書きのレシピ本だった。
エデンはその本をそっと持ち上げ、アリシアに差し出した。
「これ、大切な物だから。しまっておきましょう」
「おー。エバーバの!」
「待って、まずは片付けを終わらせないと。後でも読めるから」
アリシアが夢中になると、片付けが進まなくなる。
一通りの荷物を片付け終え、最後に残った小さな箱を、エデンは愛おしむように手に取った。
宝石の付いた美しい化粧箱。
蓋を開けると、大鷲を模した銀のネックレスが、朝日を反射して輝いた。
「……ママ」
「ねえ、これ、おねえちゃんもつけようよ」
「……私なんかが、着けてもいいのかな?」
アリシアを守ると誓いながら、攫われるきっかけを作った。感情に任せてギズーをいたぶった自分に、レイラは何と言うのだろうか。
顔を曇らせるエデンを余所に、アリシアの手がネックレスを引っ張り出した。
「おねえちゃんがつけるの! ママも、きっとうれしいって言う!」
「そう、かな」
「うん! アリシアつけてあげる!」
レイラがどう思うのかは、分からないけれど。
アリシアが指を一生懸命に動かして、留め具を外そうとする。
その様子を、エデンの目が待ち遠しそうにじっと見つめ、一分見つめ、二分見つめ続け――。
「……あ、アリシア。外れないのなら、私やろうか?」
「ううん! おねえちゃん、いまおてて一個だけだもん! まってて!」
「そ、そう? あ、あまり力任せに引っ張っちゃ、駄目だからね?」
「わかってるー!」
外れない留め具に、アリシアの表情がどんどん険しくなっていく。
このままでは癇癪を起してネックレスを振り回さないかと、エデンがハラハラし始めた時、タイミングよく扉がノックされた。
返事をすると、リリカが小さなトレーを手に部屋へ入ってくる。
「おはようございます。お預かりしていたアクセサリーをお持ちしたの、ですが……そちらのネックレスは、どうされたのですか?」
「リリカさん。おはようございます。これはママの形見でして」
「リリカさーん! これ、はずれないの! どうしたらいいの!?」
アリシアがリリカへ駆け寄り、スカートを掴んで縋りついた。
結局、リリカの補助を受け、大鷲はエデンの胸元で揺れることとなった。
着け終わったネックレスを、リリカが少し意外そうに見つめている。
「……お二人の家は、かなり裕福なご家庭だったのですか?」
「いいえ。村のはずれにある、質素な家でした」
「そう、ですか? とても高価な品物に見えましたので」
エデンの指が、大鷲を摘まんで高く掲げる。
生きているかのような繊細な毛並みの表現。
これがどれほどの価値を持つのかは分からないが、金銭的な価値には興味がない。
エデンはネックレスを、大切に服の内側へと隠した。
「え? せっかくつけたのに、見えなくなっちゃうよ?」
「いいの。私の近くにあれば、それでいいの」
「ふーん。……そっか!」
「うん。そうなの」
二人が笑い合うと、リリカも表情を柔らかくして口を開いた。
「それでは、お着替えをいたしましょう。朝食の後は、お嬢様とお出かけになりますからね」
*********
ピシッと立つオスカーを従え、ダリヤの背中が商業ギルドへと消えていく。
自分たちも冒険者ギルドへ向けて歩き出しながら、エデンは隣を歩くリリカへと頭を下げた。
「リリカさん。この上着……改めて、ありがとうございます」
「いいえ。礼には及びません。急ごしらえで申し訳ないですが」
存在しない左肘から先は綿が詰められ、袖口には指先の形を保つ白い手袋が固定されている。
注意深く観察されなければ、腕がないとは悟られないだろう。
アリシアの手が左腕の感触を楽しむ中、ギルドに入るとクラリスの前がタイミング良く空いた。
「クラリスさーん! きたよーっ!」
「ふふ、こんにちは。あら……エデンちゃん、その腕は?」
「はい。リリカさんが、上着を用意してくださいました」
「ただの詰め物で形を整えているだけですが。いずれ治るとのことでしたので、それまでのカモフラージュになればと」
リリカが補足すると、クラリスも「ああ、なるほど」と納得したように眉を下げた。
「それで二人とも、今日はどうしたの?」
「クラリスさん! 見て! 見て!」
アリシアが勢いよくバックパックを降ろすと、薬草の革袋を取り出し、カウンターへ持ち上げた。
「たくさんとってきたの!」
「一昨日、持ってこれなかったのをそのままにしていたので。納品をお願いしたいのです」
「ああ、そういえば……採取の途中だったわね」
「ねえ! たくさんとれたの! すごい!?」
アリシアはむふーっと得意げに鼻を鳴らし、カウンターから頭を出してクラリスを見つめる。
その期待に満ちた瞳に、クラリスは両手を上げた。
「まあ! 凄いわ、こんなにたくさん! 驚いちゃった」
「ほんと!? アリシアたち、すごい!?」
「うん。すごいすごい! 二人とも、本当に頑張ったのね」
クラリスの手がアリシアの頭を優しく撫でる。
エデンが隣で見つめていると、もう片方の手がエデンの頭にも伸びてきた。
「エデンちゃんも、頑張ったのねー」
「……はい。アリシアと一緒に、たくさん、採りました」
クラリスの手が袋の口を開ける。
だが中から取り出された薬草を見て、彼女の表情にわずかな陰りが差した。
そこにいたのは、しおれてしまった癒し草。
「あ……。二日も放置していたから……」
「あー! なんか、へなーんってなってる!?」
二人がショックを受けたように肩を落とすと、クラリスは品質を確認しながら、励ますように微笑んだ。
「大丈夫よ。まだ、使えるから。ちゃんと納品として受け取れるわ。……ただ、少しだけ報酬は減っちゃうけれど」
「ほんとう!?」
「うん。奥で査定してくるから、少し待っていてね」
クラリスを見送り、アリシアとギルドの中へ視線を移す。
「あちらで、飲み物を頂きながら待たれますか?」
リリカの提案に頷こうとした時、アリシアがエデンの右腕を引っ張った。
「ねえ、おねえちゃん。あっち、なにがあるの?」
彼女の指差す先は、依頼書が貼られた掲示板の裏側。
わずかなスペースながら、商品が並ぶ棚が見えた。
「あちらは冒険者向けの購買スペースですね。とはいえ、最低限の品揃えしかないらしいですが」
「お店!? 見たい!」
アリシアに引かれるまま、掲示板の裏側へ。
そこにはリリカの言葉通り、最低限の必需品が並ぶこぢんまりとした売場があった。
一人の男が、ギルド職員と暗い顔で一つの瓶を覗き込んでいる。
「んー……。これで、銅貨十二枚?」
「はい。ギルドとしても努力はしているのですが……なんとか仕入れられたのが、その品質のものしかないのです」
「はあー……。参ったね、これは」
「フリオさん?」
背後から声をかけると、フリオが眼鏡を指で押し上げながら振り返った。
「あれ? エデンとアリシア……それに、リリカさん?」
「こんにちは、フリオさん。こちらでお会いするのは初めてですね」
「お知り合いなのですか?」
「はい。フリオさんは、お嬢様の家庭教師を受けてくださることがあるのです。その際にお会いしています」
「……ほーん?」
「フリオさんは冒険者なのに、貴族の家庭教師をされているのですか?」




