96話 観測開始:5年17日目-4 / 命の価値
「そう? なるべく分かりやすく、お話ししているつもりだけど……」
「わかんない! なんだっけ、あの、じゅよう……たい? おくすりが、よよよーんって」
「ああ。受容体結合親和性のことね」
「は? ……なに?」
初めて聞く言葉の羅列に、ダリヤだけでなくオスカーも困惑の表情になる。
そんな中、エデンは右手の人差し指を立てて解説を始めた。
「受容体結合親和性とは、薬の成分がどれだけ正確にターゲットに入ることができるか。そして強く結合できるかを示す指標です。その親和性、アフィニティとも言いますが。服薬した回復薬が傷口を修復するのも、魔力成分が損傷部位の細胞受容体に特異的に結合し、活性化シグナルを送っているものと推測されます。まだ解明できていない領域なので確かな事は言えないですが、おそらく癒し草の持つ魔力、もしくは細胞の構造そのものに、その根本ともなる理由が秘めていると思うのですが……」
エデンが淡々と述べる説明に、クラリスは「……どこの国の言葉かしら?」と遠い目をして紅茶をすすっている。
「……エデン? あたなさっき、『分かりやすく』って言ってなかったかしら?」
「はい。専門用語はかなり削ったつもりでしたが。まだ、難しかったでしょうか?」
「……ねえ、オスカー。あなた、今の話、理解できた?」
「いえ。恐らく、宮廷薬師を連れてきても、首を傾げるでしょうな」
「……そうですか」
周りの困惑を見て、アリシアが勝ち誇ったようにエデンの太ももを叩いた。
「ほら、みんなわかんないもん! パパだって『分からん! ガハハッ!』ってわらってたし!」
「……そうだけど」
そう言って、エデンが口を尖らせながら視線を逸らす。
知識と仕草のアンバランスさに、たまらずダリヤは吹き出してしまった。
「ふふっ、エデン。あなた変ね。面白いわ」
「変、ですか?」
「ええ。今まであなたみたいな人、会ったことないもの」
エデンは自分の主張が通ったことに、ニマニマしているアリシアを見つめた。
確かに、自分にはこの世界には無い知識がある。でも、もしそれが変だと思われる原因なのだとしたら――。
「……別に、構いませんね」
「え?」
「ママとパパは、そんな私のことを愛してくれていましたので」
ずいぶん話したと、冷めたティーカップを持ち上げる。
揺れる水面には、眼帯を着けた自分が、無表情でこちらを見つめていた。
「こんな欠陥品の、私のことを……」
小さく呟いた言葉と共に紅茶に口を付けると、ダリヤが不思議そうに尋ねてきた。
「あなた、普通になりたいとは思わないの? ……だって、周りから理解されないじゃない」
「私は元々、知人が少ないので。それがどういうことかは分かりません。ですが……」
カップを置くと、膝の上にから見上げてくるアリシアと目が合った。
「私は、アリシアやママ、パパみたいに、私のことを理解しようとしてくれる人が傍にいてくれたら、それで十分なのです」
「そ、そう……」
「はい。そしてアリシアを守れるのであれば、周りになんと呼ばれようと気にしません」
随分話が逸れてしまったが、その後三人で館を出たことを伝えて話を終えた。
すると、アリシアの手がエデンの肩を叩いた。
「おねえちゃん……あのね、ありがと」
「ん?」
「まだいってなかったから」
「別に、いいのよ」
それは、他の誰でもない。自分の為にやったことだ。
ただ、自分がアリシアを失いたくなかったら。
「ありがとう。あらかた、流れは理解できたわ。それにしても……」
そう言って、ダリヤはエデンのことを、頭から足へとまじまじと眺めた。
「見た目は……本当に可愛らしい子供なのに、ねえ」
「お嬢様。確かにエデンさんのお力は見事なのでしょうが、これは、手放しで感心するようなお話ではありません」
「え? でも、おかげで私たちは助かったじゃない。違うの?」
エデンも、リリカの言葉の真意が分からず、小首を傾げてしまう。
するとクラリスの手がエデンの背中に回された。
「エデンちゃん。聞いてもいい?」
「はい。何でしょうか」
「あなた……人を殺める時、怖くなかったの?」
「……怖い、ですか?」
エデンはきょとんとして、瞬きをした。怖い。怖くはあった。でもそれは――。
「……アリシアが危険な目に遭うのは、怖かったです。失うかもしれないという可能性は、思い返しても恐怖を感じます。ですが……人を殺すことに関しては、特に何も感じません」
「そ、そう……え、エデンちゃんはなんと言うか、その……達観、してるのかしら」
「達観しているかは分かりませんが。……ですが、ただ」
エデンは、失った左腕の先を見つめながら、静かに言葉を続ける。
「彼らの命は私にとって、別に価値はありませんでしたので」
その言葉に、クラリスは息を呑んだ。
何か言おうと口を開きかけるが、言葉が見つからず苦しげに眉を寄せる。
結局、沈黙に耐え切れなくなったように、彼女は冷めた紅茶へと手を伸ばした。
「……何を悩んでいるの? 悪人を殺したのだから、良いことじゃない」
「お嬢様。これは、そう単純な善悪の話ではないのかもしれません」
「でも、エデンがしたことは、間違いではないでしょう?」
「その通りです。結果としては、エデンさんの行いは正しいのでしょう。ですが……そうですね。エデンさん。1つだけ、仮定のお話をさせていただいてもよろしいですか?」
リリカが、エデンと目線を合わせるように、テーブルの向かいで深く腰をかがめる。
「はい。なんでしょうか」
「例えばですが……アリシアさんに、明確な悪意を持っている者がいるとします。その者を亡き者にすれば、問題は確実に解決します。その時、エデンさんはどうされますか?」
「リリカ……。言いたいことは分かるけれど、それは前提が極端すぎるわ」
そのあまりに極端な質問に、ダリヤは何を言っているのかと目を細める。
だが、エデンはリリカの話に頷くと、確認するように尋ねた。
「……殺せば、解決するのですか?」
「はい。その通りです。確実に、解決します」
「でしたら、私はその者を殺します」
まるでそれが当たり前とでもいうような、あまりに平坦な口調。
そこには悪意もなければ、殺意すらない。
ただの事務的な処理として告げられた言葉に、ダリヤがソファから立ち上がった。
「ちょ、ちょっと!? あなた、何を言ってるのよ!?」
「……何か、おかしかったでしょうか?」
「だ、だって! 今の話じゃ、何をされるかも、相手がどんな事情を抱えているかも分からないじゃない! もしかしたら、ただの子供の悪戯かもしれないのに!」
「ですが、悪意を持っており、殺せば解決するのですよね?」
「そ、それは、そうだけど……」
言葉に詰まり狼狽するダリヤの前で、エデンはきょとんとした顔で見つめてくるアリシアへと視線を移した。
「アリシアを守ることが、私の全てです。その安全を脅かそうという者がいるのであれば、殺害しておいた方が安心できます」
「……おねえちゃん、どういうこと?」
アリシアが、よく分からないといった顔で首を傾げた。
実際、まだ幼い彼女には、エデンの言葉の真意は理解できていないのだろう。
リリカはアリシアの反応に口元を緩めながら、再びエデンに向き直った。
「エデンさんは、アリシアさんが大切なのですね」
「はい。とても大切です」
それは、この世界に来る前から。
そしてこの世界に来て、さらに何倍も。
エデンの手がアリシアの手を握り締めると、アリシアは不思議そうに首を傾げた。
「おねえちゃん? ……ええと、あのね」
「どうしたの?」
「えっとね、シエルさんがね……いのちは? たいせつなものだって」
たどたどしく一生懸命に紡がれた言葉に、エデンの目が悲し気にすっと細くなった。
「……言ってたけど……でも私、よく分からなくて」
「アリシアも、よくわからないけど。おねえちゃんもそうなの?」
「うん。だって、魚もゴブリンも、死んで初めて有意義な物になるから」
「うーん……?」
二人して眉を下げてしまったのを見て、リリカは穏やかな声で語り掛けた。
「エデンさん……アリシアさんの他に、大切な人はいますか?」
「大切な人、ですか?」
「はい。もし失うことになれば、胸が張り裂けそうになる。そう思える人はいますか?」
「今は……もう、いません」
「では、ご友人は? 仲の良い方などは」
「友人と呼べる相手はいません。知り合いも、数えるほどしか」
「そうですか」
リリカの視線が、繋がれた姉妹の小さな手を見つめると、ふふと優しく笑った。
「今は分からなくても……きっと大切な人が増えたら、分かるようになるかもしれません。それは友人かもしれないし、新しい家族かもしれません。そうしたらきっと、他者の命についてもまた違った答えが見つかるでしょう」
「……そう、でしょうか?」
「はい。エデンさんなら、きっとそうなると思いますよ」
リリカの言葉に、エデンとアリシアは顔を見合わせて、同時に首を傾げた。
すると、頷いて話を聞いていたダリヤが、何かを閃いたようにはっと顔を上げた。
「いいわね! そうよ、それだわ!」
「ダリヤ?」
「まず、お友達を作りましょう! 一緒に遊ぶ相手が必要だわ!」
「友人、ですか?」
「……おねえちゃん。おともだちって、どうやってつくるの?」
アリシアが疑問を投げかけてくるが、エデンも友達の作り方など持ち合わせていない。
「それは……どうしたらいいのでしょう?」
「わかんないねー」
二人がぽかんとした顔を見合わせていると、ダリヤが顔を赤らめて「んんっ」とわざとらしい咳払いをし始めた。
「ダリヤ。風邪ですか? 休息を取られた方が」
「パパがね、かぜひくなんて、きあいがたりないっていってた!」
「なんでそうなるのよ! そうじゃなくて……その……!」
そう言って、ダリヤがもじもじと服をいじり始める。
見ると、耳まで真っ赤になっており、ぷいと視線を二人から逸らしてしまった。
そのあまりに分かりやすい様子を、大人たちが生暖かい目で見守っている。
そして、意を決したように、ダリヤはぎゅっと目をつむり叫ぶように口を開いた。
「わ……わ、私が、その……お、お友達になってあげてもいいわよ!」
一瞬の静寂。そして、アリシアが嬉しそうにエデンと繋いでいる手を持ち上げた。
「え!? ダリヤ、おともだちになってくるの!?」
「な、なによ! 嫌なの!?」
「ううん! やったあ! おねえちゃん、おともだちだって!」
「お友達……ですか? ダリヤと、私たちが?」
「そ、そうよ? ……え、エデンは、どうなの?」
「それは……」
エデンが一度言葉を切ると、ダリヤの茶色の瞳が不安そうに揺れた。
友達とは、何なのだろうか。そういえば、最初は娘も、姉も、家族も。どれも定義としては知っていても、実態としてはよく分かっていなかった。
今も、正しくは分かってはいないのかもしれない。
「そうですね。お友達という関係も、素敵なのかもしれません」
「そ、そうよね! じゃあ、私たちは今から、お友達よ!」
「おー! アリシア、はじめておともだちができた!」
「ふふ。そうね。……ダリヤ、これからよろしくお願いします」
「え、ええ。よ、よろしくね」
子供たちが嬉しそうに笑い合い、穏やかな空気が流れる。その中で、エデンがふと疑問を口にした。
「……ですが、友達とは、具体的に何をするものなのですか?」
その言葉に、ダリヤの笑顔がピタリと固まってしまう。
「え? それは、ほら……ええっと……な、何をしたらいいのかしら?」
「ダリヤ、しらないの? アリシアもしらないよ?」
「私も、友人関係というのは初めてなので……」
お友達初心者たちは、揃ってうーんと首を傾げた。




