95話 観測開始:5年17日目-3 / 人間ではありません。
クラリスはきょとんとした顔で客室へと足を踏み入れる。
すると、二人の気配に気づいたアリシアが、クッキーを頭に乗せたまま振り返った。
「あ、クラリスおね……クラリスさんだ!」
「え? あ、うん、こんにちは……」
昨日の朝は、お姉ちゃん呼びだったのに。
どうしたのだろうと、彼女の傍らに座る姉へと目を移し――。
「あ、ああ……ッ」
楽しげに笑うエデンの顔。
その左半分を覆い隠す、真っ白な眼帯。
そして、だらりと垂れ下がったまま動かない、中身のない左袖。
クラリスは彼女へと駆け寄り、その身体を抱き上げた。
「え、エデンちゃんっ! 何があったの!? その目……腕がっ!」
「あ、クラリスさん。こんにちは」
「こんにちは? ……じゃ、ないわよ! う、腕が……腕が無いじゃないっ!」
クラリスの叫びに、その場にいた皆の顔が暗く沈んでしまう。
「……クラリスさん。心配はいりませんので、一度、下していただいてもいいですか?」
「え? あ、う、うん……ごめんね」
「アリシア。ここにいる皆さんに、私のことお話ししてもいい?」
「ん? いいけど……なんで、はなしちゃだめなんだっけ?」
「ほら、ママが言ってたでしょう? 本当に信頼できる人にしか、伝えては駄目だって」
「おお!」
アリシアが、思い出したとばかりに目を見開いた。
そして部屋を見回すと、入口の傍に控えるオスカーをぴっと指差した。
「あのおじいちゃん、だあれ?」
アリシアの手をエデンがそっと下げながら、「オスカーさんよ」と教える。
「昨日会ってるでしょう?」
「……そうだっけ?」
「ほっほ。アリシア様は、随分とお疲れのご様子でしたからな。覚えておられなくとも無理はございません」
「安心して。リリカも、オスカーも。うちの使用人には、秘密を漏らすような愚か者はいないわ」
自信満々に言い切るダリヤに、傍に控えるリリカも同意するように頷く。
クラリスはレイラとディーンの知り合いで、シエルも信頼している。
ダリヤとリリカは知り合ったばかりだが、これ以上ないほど良くしてくれている。その彼女たちが言うのであれば、この老執事も信頼して良いとエデンは思えた。
すると、その会話を聞いていたクラリスが、「へ?」と素っ頓狂な声を上げた。
「あ、あの……失礼ですが、こちらにいらっしゃる、お嬢様は……」
「ご紹介が遅れましたな。そちらのお嬢様こそが、当家のご令嬢、ダリヤ・エルネスト様です」
「し、失礼いたしました!」
クラリスの頭が勢いよく下がり、それを見たダリヤが嫌そうに顔をしかめた。
「やめなさい。あなた、クラリスだったかしら。エデンとアリシアの面倒を見ている方でしょう? 普段通りにしてなさい」
「お嬢様。それが大人には難しいのですよ」
リリカがそう諭しながら、クラリスの為にお茶を用意する。
「おねえちゃん、どういうこと?」
「そうね。私たちは多少失礼があっても、子供だから大目に見てもらえている、ということ、かしら。貴族は偉い人たちだから」
「ふーん。……あ、でもアリシア、しってるよ!」
アリシアは笑うと、突然靴を脱いでソファの上に立ち上がった。
そして右手の指先をぴっと伸ばし、手の甲を左頬へと寄せる。
「えらいきぞくは、こうやってわらうの! おーっほっほっほっほ!」
「……アリシア、ソファの上で立ったら駄目よ」
「あ、アリシアちゃん!?」
「わ、私は、そんな風には笑わないわよ!?」
ダリヤがテーブルに手をついて抗議する。
それを見てクラリスの顔が引きつるが、アリシアは怪訝な顔でソファに座りなおした。
「えー?」
「それに貴族の笑い方は、パパの冗談だから」
「そうなの? じゃあ、ダリヤはどうわらうの?」
「ダ、ダリ……」
アリシアがダリヤを呼び捨てにしたのを見て、クラリスの頬が更に引き攣る。
「え? ふ、普通よ! お、オホホー」
ダリヤが口元に手を当てて、精一杯すましたような作り笑いを浮かべた。
それを見て、アリシアとエデンの目が、すっと冷めたように細くなる。
「……ダリヤ、へんなの」
「うん。ダリヤ、その笑い方は変です。不自然すぎます」
「分かってるわよ! 何もないのに、急に笑えって言われたって、笑えるわけないでしょう!?」
「い、いったい、どうなっているの……?」
貴族の令嬢を相手に、遠慮なく騒ぎ始める子供たち。
その横でクラリスは、力が抜けたようにソファにしなだれかかった。
*********
「ダリヤとリリカさんはお気づきのことと思いますが……私は、人間ではありません」
エデンが袖をたくし上げ、淡く光る断面へと視線が集まった。
正面に座るダリヤ、その後ろに控えるリリカとオスカー。
エデンの右隣ではアリシアがクッキーを齧り、反対には息を吞むクラリスが座っている。
「私はアリシアのギフトスキルです。ママは私の事を、『知性あるスキル』と呼んでいました」
「……『知性あるスキル』?」
「はい。とはいっても、ママもパパも、それについて詳しいことは知らなかったようです。私自身も、自分がどのような存在として定義されているのか、詳しくは知りません」
「……私も知らないわ。オスカー?」
「私も、詳しくは存じません。嘘か真か、ギフトスキルに自我が宿ることがある。多くの者はそれを、時の流れと共に尾ひれがついた作り話か、ただの伝承かと考えているでしょうな。私もその一人でしたが……ふむ」
オスカーの瞳が興味深そうにエデンを見つめる。
するとクラリスの手が、エデンの頬に触れた。
「……信じられない。こんなにあったかくて……柔らかくて、人間そのものなのに。本当にスキルなの? 何か、傷を癒すスキルを持っているんじゃなくて?」
「傷を癒すスキルは持っていますが……ああ、そうですね」
エデンの身体が魔力の粒子となって霧散し、その場から掻き消えた。
皆が目を見開く中、アリシアの胸からエデンの平然とした声が響いた。
「これでいかがでしょう? 私の本体はアリシアの中にありますので」
「おー。なんか、ひさしぶりなかんじ!」
「うん。確かに、最近はずっと体を出していたかも」
そして元いたソファの位置に、再び銀髪の少女が何事もなかったかのように現れた。
「それじゃ、あなたが昨日言ってた……私はアリシアのスキルだって、あれは言葉通りの意味だったのね」
「はい。ですがその特性はありつつも、私はアリシアの姉でもあります」
「うん! そう! おねえちゃんだから!」
「そう。それで、怪我の具合は大丈夫なの?」
「『身体再生』というスキルを有しています。なので時間はかかりますが、今も少しずつ修復プロセスが進行しています」
袖の下では、今もひっきりなしに魔力が集まり、失われた肉体を織り上げようとしている。
それを聞いて、ダリヤが安堵の息を長く吐き出した。
「そう、良かった……腕を失ったなんて、この先大変だもの」
「……心配をおかけしてしまいましたか?」
「それはそうよ! もう、すっごく、心配だったんだから!」
ダリヤだけではない。クラリスも涙目で大きく頷いている。
「……それは、申し訳ありませんでした」
「あ、いいのよ、謝らなくて。こっちが助けてもらったんだから。それで……いつごろ、腕は元通りになるの?」
元々、『身体再生』は魔力消費が桁違いに大きいスキルだ。
発動自体は成功したが、魔力が枯渇していた状態で発動させた為、治癒が遅々として進まない。
「……正確な予測は困難です。数週間はかかるかもしれません」
「え? なに? そんなに早く治るの?」
「早い、ですか? 私としては、一日で治って欲しいのですが」
数週間もこの不便な状態が続くなど、たまったものではない。
「あのねえ! 普通怪我はね、そんな早く治らないのよ!」
「……そうなのですか? 生憎、これほどの怪我はしたことがないので」
「アリシアもあんまり、けがしたことない」
「アリシアが一度、転んで頭を怪我しちゃった時は、ママが回復薬を使ってくれたしね」
「……そんなことあったっけ?」
アリシアがうーんと首をひねるのを横目に、ダリヤは「分かったわ」と手を上げた。
「とにかく、腕は治るのよね。左目は?」
「はい。こちらも並行して、再生が始まっています」
「……そう。……なら、良かった」
ダリヤがほっとしたように微笑むと、部屋の空気が一気に緩んだ。
だがその空気を引き締めるように、オスカーが前に出てダリヤに何か耳打ちした。
「……そう、そうね。それも……聞いておかないといけないわね」
「どうかされましたか?」
「ん……ねえ、エデン。誘拐されてからあなたいったい、あの館で……『何をした』の?」
「昨晩のことですが、お嬢様とエデン様に教えていただいた情報を元に、貧民街の館を捜索いたしました。場所は特定でき、中の確認も行ったのですが……」
そこまで話すと、オスカーは眉を下げてアリシアのことを見つめた。
「子供の前で話すのは、少々、憚られますかな。何しろ館の中には、複数の遺体がございましたので」
その言葉に、今度はクラリスが顔を青ざめてしまう。
「そ、そうなのですか? で、では確かに、アリシアちゃんには――」
「ううん! アリシア、だいじょうぶ!」
言葉を遮って、アリシアはぶんぶんと首を振る。
「おねえちゃんがしたこと、アリシアもしりたい! ちゃんと、きく!」
「……アリシア。あんまり、楽しいお話じゃないけれど」
「いいの!」
エデンも心配そうな目を向けるが、アリシアはソファの上で膝を抱え込み、頑として動こうとしない。
その様子を見て、オスカーは微笑みながら口を開いた。
「差し支えなければ、教えていただきたい。誘拐されて……いえ、よろしければ誘拐される前の出来事から、順を追ってお話いただけますか?」
「……そうですね、分かりました。……昨日、私とアリシアは、依頼を受けて薬草の採取に行っていました」
それから、エデンは起きた出来事を淡々と語り続けた。
ヴァイスという男にアリシアが眠らされ、攫われたこと。連れ去られた先でダリヤと出会ったこと。ネズミの姿となって地下室を抜け、そして男二人を排除したこと。毒使いの男に対処するため、一人で彼と対峙し仕留めたこと。
そこまで話したところで、ダリヤが感心したように頷いた。
「あなた、本当に強いのね。たぶんだけど、私を攫ったのもその男ね。相当な手練れだったはずよ」
「いえ。勝つことが出来たのは、運によるところが大きいです」
実際、恐ろしい相手だった。
たまたま彼の毒が効かない体を持っており、物理的な損傷では死なないアバターだったからこそ、相打ち覚悟で倒すことが出来ただけ。
「そういえば、気になることが」
「なに?」
「彼の身体に、『奴隷紋』という物が刻まれていました」
エデンの疑問に、ダリヤが驚いたように目を見開いた。
「え、『奴隷紋』?」
「なんと……それは驚きですな」
「そうなのですか?」
「ええ。奴隷紋は、バルディア王国の法律では禁止されているわ。人道に反するからと」
ダリヤは眉をひそめながら、オスカーへと視線を流す。
「確か……アビロクス連合国には、まだ奴隷制が残っていたわね」
「さようですな。まあ、あそこは謎多き国ですが」
「国境の領主は、ファラリーネ侯爵家だったわね。……ロンメーヌ伯爵も、確かその一派だったかしら」
「バリバリの貴族派ですからな。ふむ……どうですかな」
「そうね。私が攫われたのも、ロンメーヌ家御用達の商人との商談の後だったし……今回の件に絡んでいるのかしら?」
「その可能性が高いですが、まだ断定はできませんぞ。とはいえ、護衛は増やしましょう」
「そうね。とにかく、あし……た、の……」
小気味よく政治的な話をしていたダリヤが、ハッとした顔で口をつぐんだ。
そして、目の前に座るエデンとアリシアへと、恐る恐る目線を戻す。
「ご、ごめんなさいね。二人にはこんな話、面白くなかったわよね?」
「いえ? 今回の事件の背景について、非常に参考になる考察です」
「え、い、嫌じゃないの?」
「はい。誰が敵であるかは、しっかり見定めておかねばなりませんから」
今後同じようなことがあっては困る。
エデンは納得したように頷いているが、隣でアリシアは首を傾げている。
「ごめんね。アリシアには、まだ難しかったわよね」
「ん? んー……よく、わかんない。けど……」
アリシアは、ぶんぶんと足を揺らしながら、エデンの顔を覗き込んだ。
「おねえちゃんのおはなしのほうが、もっとわかんない!」




