94話 観測開始:5年17日目-2 / 庭園での朝食
「あ、そうよね。ちょっと待ちなさい、すぐ脱ぐから」
「こちらのお風呂は、屋敷の使用人が普段使っている大浴場になります。大人数が一度に入れるように作られていますので、とても広いですよ」
「そうなの!? みてくる!」
嬉しそうに、アリシアが脱衣所を走っていく。
奥にある扉を開け、湯気の漂う浴室へと消えていった。
すると直後、歓声が反響して脱衣所まで響いてくる。
「おーっ! すっごーい! ひっろーい!
「アリシア、待ちなさい! お風呂場で走ったら危ないわよ!」
ダリヤも服を放り投げるようにカゴに入れると、白い肌を晒して浴室へと消えていった。
すると、「洗いっこしましょう!」という楽しげなダリヤの声が聞こえてくる。
「……なぜダリヤは、これほど良くしてくださるのでしょうか?」
「私の口からは何も言えませんが……お嬢様は、基本真っ直ぐな方です。……失礼します、腕を上げていただいても、よろしいですか?」
「あ、はい。……ではリリカさんは、どうして親身に、私の面倒を見てくださるのです?」
その質問に、リリカは汚れてしまったシャツをカゴに置きながら、ふっと口元を緩めた。
「お嬢様からお願いされた、というのもありますが、感謝の気持ちもあります」
「感謝ですか?」
「はい。昨日、お嬢様と共にこの屋敷に来てくださいましたね。詳しい経緯は存じませんが……あなたが、お嬢様を救い出してくださったのでしょう?」
「いいえ。ダリヤを助けたのは、あくまでついでです」
エデンがそう答えると、リリカの目がほんの少し見開かれた。
「アリシアを助けるために行動した結果、偶然その場にいたダリヤも助けることが可能だった、というだけです。なので私は別に、ダリヤを助けたかったわけではありません」
今度こそ、リリカの目が大きく見開かれた。
すると何を思ったのか、リリカが肩を震わせて笑い始めた。
「そうですか。恐らく事実なのでしょうね」
「はい。なので、あまり感謝をされるのは……」
実際、手錠の鍵が無ければ、そのまま捨て置くつもりだった。
「ズボンも、失礼しますね。……ですが経緯はどうあれ、エデンさんがお嬢様を救ってくださったのは間違いないのでしょう?」
「そうなのかもしれません」
「むしろ、正直におっしゃってくださったことが、私は嬉しいのです。貴族と言うだけで、下心を持ってお嬢様に近づく者も多いですからね」
「そう、なのですか」
残りの服も手際よく脱がされ、エデンも一糸まとわぬ姿になった。
リリカが手を差し出し、エデンの汚れた右手を握り締めた。
「足元が濡れていますので、滑らないようにお気をつけください」
浴室へと足を踏み入れると、湯気で霞む視界の先、巨大な浴槽でアリシアとダリヤが水しぶきを上げながら遊んでいた。
その広さに、エデンが「おお……」と感嘆の声を上げた。
すると、リリカがエデンの耳元にそっと口を寄せた。
「……もし、よろしければ」
「はい?」
「あまり身構えずに、普段通りでお嬢様とお過ごしください」
*********
「おー、すっごいひろい!」
「……立派な庭園ですね」
「うちの庭師がね、一生懸命手入れしてくれているの。お母さまもこの場所は大好きで」
館の広大な庭の一角、色鮮やかな花園の中で、エデンは感心したように頷いた。
頭のてっぺんからつま先まで、リリカに丁寧に洗ってもらい、まるで生まれ変わったかのように汚れが落とされた体。
失った左目を覆うのは清潔な白い眼帯。
そして仕立ての良い長袖のワンピースに身を包み、磨き上げられた靴でレンガの小道を歩く。
エデンはダリヤと並び、両側に続く生垣を眺めながら歩いていると、先を行っていたアリシアが振り返った。
「おねえちゃん! はやく!」
「え? ゆ、ゆっくり見ても」
「ちょっと、どこ行くのよ!?」
アリシアに右手を引っ張られ、エデンの中身のない左腕の袖が、パタパタと旗のようにはためく。
二人で生垣のアーチを抜けると、緑の壁で囲まれた丸い空間に出た。
その中央には白い東屋が設置され、茂る葉の間から淡いピンクや黄色の薔薇が押し合うように咲き乱れている。
屋根の下にはテーブル椅子が並べられ、休憩して過ごせるようになっていた。
「おー……?」
「綺麗なところね」
花に覆われた天井を見上げていると、二人の頭上から影が覆い被さってきた。
「ふぉふぉふぉ。すごいじゃろ、ここは」
「うわあっ!?」
「あ、どうも……こんにちは?」
振り返ると、土に汚れた作業着を着た男が立っていた。
手に握られた剪定鋏が、曲がった背中のせいで大きく見える。
大きな団子鼻の下、灰色の立派な髭に覆われた口元が、にっこりと好々爺の笑みを形作った。
「ほっほ。こんにちは。なんじゃ、ずいぶんと可愛らしいお客様がいらっしゃったんじゃな」
「あら、ホブナン。ここにいたの?」
「おお、お嬢様。なんじゃ、足を運んでくださったんですかい」
ダリヤが姿を現すと、ホブナンと呼ばれた庭師の男は優しい目で微笑んだ。
「二人とも、紹介するわ。彼がうちの庭師、ホブナンよ。ここのお花も全部、彼が手入れしてくれているの」
「ここだけじゃないがのう。野菜なども、つくっとるよ」
「おー、おじいちゃんがつくったの!?」
「素敵なお庭ですね。見ていて、とても楽しいです」
「ふぉっふぉっふぉ! そうじゃろう、そうじゃろう。だがまあ、王城の庭園はもっとすごいがなあ」
「あちらは、第二王妃様が、その手で自ら手入れされているそうですからね」
リリカが料理の乗ったカートを、静かに押してやってきた。
「なんじゃ? これから、ここで朝食じゃったか?」
「うん!」
「ダリヤが良い場所があると、つれてきてくれたのです」
「……ダリ、ヤ?」
「ほ、ほら、ご飯にしましょう! ホブナン、お仕事中ごめんなさいね!」
「あ、いえ……邪魔しちゃ悪いしの、儂は仕事に戻るとするかの」
そう言って踵を返したホブナンに、アリシアが「またねー!」と無邪気に手を振った。
促されるままにテーブルへと腰をおろすと、リリカが手際よくお皿を並べていく。
ふわっと立ち上る、焼きたてのパンと、香ばしいベーコンの香り。
そこには、雲のように柔らかそうな白いパン、朝露を纏ったかのように瑞々しいサラダ。そして、カリカリに焼かれた厚切りベーコンの上には、今にも黄身がとろけだしそうな、完璧な焼き加減の目玉焼きが乗っている。
エデンの前に置かれた料理だけは、片手でも食べやすい一口サイズに切り分けられていた。
「うわあ、おいしそう!」
「うん。このパン、とても柔らかそうです」
「そ、そう? 二人の口に、合うといいのだけれど……」
目を輝かせる二人の対面で、ダリヤが緊張したように肩をこわばらせる。
その前にリリカがカトラリーを並べていくのを、アリシアが不思議そうに見つめていた。
「……アリシア、どうしたの?」
「んー。ねえ、りりかさんのぶんは?」
アリシアの目がテーブルの上をきょろきょろと探る。
だが、そこには席に着く三人分の料理しか並んでいない。
「私は、皆様がお済ませになった後で、お食事を頂きますよ」
「えー。いっしょにたべないの?」
「アリシア。リリカさんはお仕事中なんだと思う」
「そ、そうよね。……あなたたちの家では、皆でご飯を食べるのかしら?」
ダリヤがそう言ってリリカを焦ったように見つめるが、リリカは首を振ると後ろに下がって控えた。
「いけませんよ、お嬢様。お立場というものがございます」
「え、ええ。……さあ、皆、いただきましょうか」
「うん! いただきまーす!」
「はい。いただきます」
「エデンさん。お手伝いさせていただきますので、何かあればなんなりとお申し付けください」
当然のように告げてくるリリカに、エデンは至れり尽くせりだなと思いながら頷いた。
フォークをサラダに突き刺すと、シャキシャキという新鮮な音が耳に心地よい。
そのまま口に放り込むと、瑞々しい野菜の甘味と、程よい酸味のドレッシングが、口の中いっぱいに広がった。
「……美味しい、です」
「んー! ベーコンおいしー!」
「そ、そう? なら、良かったわ」
エデンは合間合間でリリカに手伝ってもらいながら食事をしていると、ダリヤが思い出したように口を開いた。
「ところで、二人の面倒を見ている人。確か、クラリスさんだったかしら。話は伝わっているの?」
その言葉に、エデンがはっと顔を上げた。
こんなにまったりと食事を楽しんでしまっていたが、完全に忘れていた。
「はい。昨日、オスカーがお会い出来たそうです」
「そ、そうでした。クラリスさん、心配かけてしまったでしょうか?」
エデンが恐る恐る尋ねると、口元へとベーコンを運んでいたリリカの手がぴたりと止まった。
「そうですね。……もしかしたら、お伝えするまではご心配されていたかもしれません」
「エデン、それは仕方ないわ。私だって、屋敷の皆には心配をかけたと思うし」
「そう、ですね」
連絡は、いつ頃クラリスに伝わったのだろうか。
本来ギルドに戻る時間より、何時間も後になったのは間違いない。
「ちなみに、クラリスさんを当家にお呼びするため、迎えの馬車を準備しているころです」
「え?」
「あら、そうだったの?」
「ん? クラリスおね……さん、ここにきてくれるの!?」
「はい。食後のお茶を楽しんでいるころには、到着される予定ですよ」
*********
ガラガラという音が徐々に間隔を広げ、やがて馬車は静かにその足を止めた。
窓の外に見える景色に、クラリスは一度、いや、二度大きく深呼吸をする。
心の中で悲鳴を上げながら馬車を降りると、そこにはやはり、ネストの街を統べる領主の館が威圧的に鎮座していた。
左右に翼を広げるように伸びた館の影が、クラリスの逃げ場を塞いでいるように見える。
後ろを振り返れば、広大な庭の先に見える鉄の門が、重々しい音を立てて閉じられるところだった。
「……どうして、こんなことに?」
「おお、クラリス様。お待ちしておりました」
「ひっ!? あ、オスカーさん! こ、こんにちは!?」
背後からかけられた声に、裏返った悲鳴のような挨拶を返す。
「そう緊張される必要はございませんぞ。お招きしたのは、こちらの勝手なのですから」
「は、はい!」
「まあ、最初は空気に慣れないかもしれませんが……。さあ、とにかく、参りましょうか」
オスカーに導かれ、館へと足を踏み入れる。
広大なエントランスに圧倒されていると、通りがかった使用人らしき男性に恭しく頭を下げられ、クラリスも慌てて何度も頭を下げてしまう。
その様子をオスカーは微笑ましく見守りながら、入口からほど近い重厚な扉へとクラリスを案内した。
「……ところで、クラリス様。お嬢様方にお会いになられる前に、お伝えしておきたい事がございます」
「は、はい。なんでしょうか?」
「エデン様は、少々手酷いお怪我をされておりましてな。お心の準備をしておかれた方が、よろしいかもしれません」
「え……えええっ!?」
クラリスはぽかんと口を開けると、数秒の間をおいて叫んだ。
シエルから預かった、大切な子供たちだ。それを怪我させてしまったなんて。
顔から血の気が引くクラリスに、オスカーは痛ましげに目を細めた。
「私もまだ、詳細は伺えていないのですが……。とにかく、まずは一度お会いになるのがよろしいかと」
オスカーが、その節くれだった手で扉をノックする。
中から返ってきた落ち着いた女性の声に、オスカーが「失礼します」と扉を開けた。
すると、中から聞こえてきたのは――。
「アリシア! 待って、それ私の分!」
「えへへー。ダリヤのも、ちょーだい!」
「あ、やったわね! じゃあ私は、アリシアのを、もらっちゃおうかしら」
「あーっ!」
「お嬢様、はしたないですよ」
部屋を覗き込むと、給仕をするリリカに見守られながら、三人の子供が低い長テーブルに身を乗り出してお茶会の真っ最中だった。
アリシアが頭の上に二枚のクッキーを掲げて耳を作り、そんなアリシアのワンピースの裾を、エデンの右手が掴んでいる。
その対面からは、二人より年上の少女が、悪戯っぽく笑いながらアリシアの前に置かれた小皿へと手を伸ばしていた。
「……クラリス様。ご覧の通り、だいぶ、お元気そうでした」
「え? あ、え、ええ。そ、そのようで?」




