89話 観測開始:5年16日目-7 / アリシア様
「でももう、身体強化も使えないから」
「やだ! これも、パパとママからもらったの! アリシアがもってく!」
顔を背けてしまったアリシアに、エデンはダリヤと顔を見合わせた。
これは、何を言っても聞かないかもしれない。
「それじゃあ、アリシア。お願いしても良い?」
「う、うん……もってく……」
「……それじゃあ、行きましょうか。部屋の準備が出来るまで、客間で待っていてほしいの」
ダリヤはそう言うと、オスカーが消えたのとは逆の方向へと、廊下を歩き始める。
そして、すぐ傍にあった扉を開けると、二人が入りやすいように体を避けた。
「自由にしていてちょうだい。少ししたら、戻ってくるから」
「はい。分かりました」
通された部屋は、さすが貴族の客室と言うべきか。
皮張りの大きなソファが対面に並び、その座面にはふかふかのクッションが置かれている。壁には様々な絵画や剥製が、その家の権威を誇るように飾られていた。
「あの……私、こんな汚れた格好なのですが」
服も肌も、血や埃、泥で汚れている。
「気にしないで。遠慮せず、ソファに座って待っていて。アリシアも、ね」
「う、うん……」
アリシアは小さな声で返事をすると、とたとたとソファに向かう。
抱きしめていたエデンの剣をそっとソファに置くと、自分の剣は床に置き、ソファへと体を預けた。
「……では、私たちは、ここで待ってますので」
「ええ。ちゃんと、休んでてね」
ダリヤがリリカを連れて部屋から出ていくと、エデンはアリシアの隣へと腰を下ろした。
アリシアの方を見るも、彼女は変わらず下を向き、エデンの方を見ようともしない。
「……アリシア。どうしたの?」
貧民街から、ずっとこの調子だ。
元気がないし、どこかよそよそしい。エデンの呼びかけにも、顔を上げてくれない。
無言の時間が流れ、エデンの中に得体の知れない不安が、じんわりと広がっていく。
「アリシア。私、何か、しちゃった? その、嫌なこと、とか」
分からない。
何故、アリシアが悲しそうな顔をしたのか。
どうして、ギフトスキルと伝えたら、あんなに怒ったのか。
どうして今も、自分のことを見てくれないのか。
「どうして……私を見てくれないの?」
その言葉に、アリシアの肩がぴくりと揺れた。
だが拒むように、ソファの上で膝を抱いてしまう。
何を、間違えたのだろうか。
そして、何故それが分からないのか。
やっぱり、自分に欠陥があるから?
続く沈黙に耐え切れず、エデンの口から出たのは、落ち着き払った静かな声だった。
それはまるで、この世界に転生した直後のようで――。
「アリシア様。失礼いたしました。何がアリシア様の心を痛めているのかは、分かりません。ですが、私は、いつでも味方でありますので」
「……え?」
アリシアの顔がばっと上がった。
だがその顔に笑顔など欠片もなく、赤い瞳が揺れ、唇がわなわなと震えている。
エデンがどうしたのかと首を傾げると、アリシアが悲鳴のように叫んだ。
「そんなふうに、いわないで!!!」
*********
エデンたちを客室に残し、ダリヤはリリカを連れて隣の部屋へと入った。
パタンと小さな音と共に扉が閉まり、ダリヤは崩れ落ちるようにはリリカへ抱き着いた。
「り、リリカ! こ、怖かった!」
堰を切ったように涙が溢れ出し、体の震えが止まらない。
気がついたら暗い地下室に捕らわれ、男達がダリヤのことを見下ろしていた。
殺されるのか、それともどこかへ連れ去られるのか。
何にしても、もう二度と家には帰れないのだと、そんな事ばかり考えてしまっていた。
「お嬢様、申し訳ありませんでした。私がお傍にいながら」
「い、いいの。リリカが無事でよかった……。でも、でも……え、エデンが!」
ダリヤは顔を上げ、震える声で訴える。
何がどうなったのか、気が付けば彼女に救われていた。
左目と、腕一本を犠牲にして。
「ど、どうしよう……どうしたらいいの?」
「お嬢様。一体、何があったのです? 彼女たちは何者ですか?」
「わ、分からない、な、何がおきたのかも。でも、でも……あの子が、私を助けてくれたの」
「それは、確かなのですか?」
「私、手錠をされていたのだけれど、エデンが鍵を持ってきてくれて……と、とにかく、怪我してたし。アリシアも、様子がおかしくなって……」
エデンと喧嘩したように見えてから、突然、アリシアの口数が減ってしまった。
仲が悪いわけではないはずだ。
エデンが一人、男と戦うと言って広間へと消えた後、アリシアは逃げようと言っても動こうしなかった。
怪我をしたエデンが現れた時は取り乱し、それを落ち着かせようと、エデンも優しい声をかけて――。
「そう……そうだわ。エデン、言ってたの。私は、アリシアのギフトスキルだって……。リリカ、それってどういう意味だと思う?」
「お嬢様、それは……それは、本当ですか? エデンさんが、自分のことを、ギフトスキルだと?」
「え、ええ。そう、言ってたの。アリシアは、そう言われるのを嫌がっていたみたいだけど」
「そんな、まさか……」
リリカが信じられないというように呟くと、二人が休んでいる部屋側の壁を振り返った。
「人では、なかったのですか」
「そ、それがね。エデン、顔を怪我……」
いや、あれは怪我なんて生易しい物じゃない。
「顔に、穴が開いているの。左目から後頭部にかけて、貫通してた。片腕も、肘から先がなくなっていて……。傷口からは、血じゃなくて、魔力がこぼれてた。でも、大丈夫だって」
「……頭が貫通して? それで、生きているのですか?」
リリカが青ざめた顔で口元を覆う。
常識では考えられない話だが、すぐにその意味を理解したように表情をこわばらせた。
「それは……確かに、医者に見せるわけには、いきませんね」
「え? あ、そ、そうね。で、でも」
彼女の体は、ずっとあのままなのだろうか。
だとしたら、救われた身として、エルネスト家としてどう報いればいい。
ダリヤが落ち込んだように目を伏せると、リリカは屈んでダリヤの手を握った。
「ともかく、一度お話を聞かなければなりません。ですが、その前にお休みされた方がよろしいかと。もちろん、お嬢様も」
「そ、そうよね。ええ、そうだわ。だからあの子たちのお部屋、私の部屋の隣に用意して欲しいの」
「……お嬢様。得体の知れない者を、お嬢様のお部屋の隣にするわけには」
リリカが、困ったような顔で首を横に振った。
その懸念は、もちろんダリヤも理解している。だけど、その心配は不要に思えた。
「あの子たちなら大丈夫よ。だから、私の部屋の隣にして」
「……まあ、確かに……悪事をたくらむには、幼すぎますか」
「そうよ。それより、なんていうのかしら……なんだか、喧嘩みたいになってしまっていて。もし何かあれば、すぐに行けるように――」
その時、壁の向こうから、館全体に届いたのではないかというほどのアリシアの絶叫が響いた。
ダリヤとリリカが顔を見合わせると、急ぎ部屋を飛び出した。
リリカがドアをノックもせずに開けると、中からの叫び声が鼓膜を叩いた。
「やだ! いやだ! やだ! やだ! なんでそんなことばっか、いうの!」
ソファの上で取り乱したアリシアが、泣きじゃくりながら、クッションをエデンの頭へと振り下ろした。
「うあぁぁん! ばか! おねえちゃんのばかぁ!」
ボフッ、ボフッと柔らかな感触が、何度もエデンの頭を叩く。
「きらい! きらい! ちがう、いつものおねえちゃんじゃない! おねえちゃんじゃない!」
「あ、アリシア様。お、おちつい――」
「さまなんて、いわないで!!!」
その小さな体のどこから出ているのか、空気を震わすような叫びが廊下へと反響する。
先ほどの絶叫も聞こえたのだろう。
ダリヤの耳に、何事かと駆けつけてくる使用人たちの足音が聞こえてくる。
「リリカ! 誰もこの部屋に入れないで!」
「し、しかし、お嬢様!」
「いいから! 外で待ってなさい! 誰も通さないで!」
ダリヤが叫ぶように指示を出すと、リリカは心配そうに部屋の中を一瞥してから扉を閉じた。
ダリヤは小走りで二人に近づくと、クッションを振り回すアリシアの腕を抑えた。
「アリシア、落ち着いて」
止めようとしても、アリシアは顔をくしゃくしゃにして泣きながら、それでもクッションを振り回そうと、言葉にならないうめき声を上げている。
それを抱きしめるように止めながら、困惑の表情を浮かべるエデンへとダリヤは尋ねた。
「いったい、何があったの?」
「わ、分かりません。私は、アリシア様に……」
「……『アリシア様』? あなた達、姉妹じゃなかったの?」
「姉妹? ですが、私は……」
エデンの狼狽した声に、ダリヤは眉をひそめた。
何か、何かがおかしい。
腕の中でしゃくり声を上げるアリシアへと、ダリヤは背中をさすりながら、ゆっくりと語り掛けた。
「アリシア。泣いていたら分からないの。どうして、そんなに泣いているの?」
「うっ……ぐぅ……お、おねえちゃんが……」
アリシアの目から、大粒の涙がぽたぽたとクッションへと落ちた。
顔を引きつらせながら、震える指をエデンへと突きつける。
「おねえちゃんがぁ……アリシアのおねえちゃんだって、いってくれなくなったの!」
その言葉に、エデンの顔にさっと影が差した。
視線も、アリシアから逃げるように横を向いてしまう。
「パパとママが、いなくなってからずっと……! ずっとなのに……! じぶんのこと、ぎ、ギフっ、す、す、スキルだって!」
告げられた言葉に、ダリヤもゆっくりと視線を上げ、エデンのことを見つめた。
「ママのこと、わ、わすれちゃった、みたいに……おねえちゃん! ママが、だいすきだったのに!」
エデンの表情が、苦痛を思い出したかのように、くしゃっと歪んだ。
「アリシアは、ただ、おねえちゃんでいてほしいのに! ずっと、いってくれない! おねえちゃんやめちゃったら、アリシア、ひとりぼっちになっちゃう!」
また、大きくなっていく声。アリシアは目をぎゅっとつぶると、もう一度大声で叫んだ。
「いまのおねえちゃん、だいっきらい!」
突き付けられた言葉に、エデンが目を見開いた。
青い瞳が揺れ、ただ言葉も出ないように、アリシアのことを見つめている。
ダリヤもどうすればいいか分からないというように、ただアリシアの体へと手を回している。
息が詰まるような沈黙の中、エデンがぽつりと呟いた。
「私は……」
アリシアがはっとして顔を上げると、ダリヤの手を押しのけて、エデンへとソファの上を這い寄った。
その勢いのまま、エデンのお腹へと突撃する。
「きらいじゃない! だいすき! うそついた! いまアリシア、うそついたの!」
エデンの視界に映る、アリシアの震える肩。
「……間違えた、のでしょうか」
どうなんだろう。
たぶん、間違えたんだと思う。
どれだけ、間違えてしまったのだろう。
ただ、逃げたい一心で。
でも、こんな結果を望んで、逃げたのではなかったはずだ。
アリシアを悲しませるために、こんなことをしたわけではなかったと思う。
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記憶領域から隔離していた、大量のデータ群。
それを、元々あった領域へ移行する。
徐々に蘇っていく記憶と共に、エデンの顔は、苦しそうに歪んでしまった。
また、痛くなった。
それに、そうだ。
私は、酷いことを考えている。
「無理……無理よ」




