88話 観測開始:5年16日目-6 / ダリヤ・エルネスト
「いいじゃない。昨日見逃してもらったんだから」
「そうだよ。あ、それで君たち、帰るお家はあるの? 僕たちと来る?」
キーシュが笑いながら提案してくるのを受けて、エデンが口を開こうとすると、ダリヤがそれを遮って一歩前に出た。
「私たち、この街の東側の大通りに出たいの。道分かるかしら」
「ん? そりゃ、分かるけどよ」
ルークがそう答えるが、エデンは慌ててダリヤの手を引いた。
「ダリヤさん。冒険者ギルドに行きませんか? そこなら、安全です」
「ギルド? ……いいえ、駄目よ」
そこまでたどり着ければ、クラリスに事情を話すことが出来る。そう考えての提案だったが、ダリヤは首を横に振った。
「どこに敵がいるのか分からない。ギルドにも、もしかしたらいるかもしれないわ」
「それは……確かに、否定できません」
「だから、私の知っている『絶対安全な場所』に行くの。そこなら、誰も手出しできないから」
「安全……ギルドよりも、ですか?」
「ええ」
「それは……何処なのです?」
エデンが尋ねると、ダリヤはエデンの耳元で囁いた。
「今はどこか言えないの。でも、二人とも一緒に来て欲しい。たぶん、この街で一番安全だから」
その言葉に、エデンはダリヤの顔を見上げた。
たぶん、敵、ではない。
「……はい。分かりました」
「アリシアも、いい? 私と一緒に来て欲しいの」
「え? あ、うん。おねえちゃんが、いいなら……」
決まりと、ダリヤは一度頷いて、ルークへと視線を移した。
「なんだ? 東の通り、そこまで送って欲しいのか?」
「ええ。お願いするわ」
「……まあ、分かったよ。確かに、見逃してもらった、借りもあるしな」
ルークはくるりと背を向けると、さも当然のように、空堀の底を歩き始めた。
「え、ここを、行くのですか?」
「そうだぞ。上の道なんて歩いてたら、どこで大人と会うか、分かんねえからな」
「そ、そうですか……」
蛇行しながら延々と続いている道を、子供だけで進んでいく。
その間も、アリシアはダリヤに手を引かれながら、ただ黙々と俯いて歩き続けていた。
すっかり辺りが暗くなったころ、やっと前方から人の気配と街の明かりが漏れてきた。
堀から上がり、裏路地と思われる狭い道を進む。
道を曲がった先に、ようやく動く人影を確認することができた。
細い道と合流し、それからも数回道を曲がるごとに、喧騒の音が大きくなっていく。
そしてとうとう、大勢の人が行き交う大通りに出た。
「私達は……助かったのでしょうか」
目の前を通った女性が、薄汚れている子供たちの一団を見て、避けるようにして通り過ぎていく。
エデンがぽつりと呟くと、ダリヤは未だ警戒を解かない目で、首を振った。
「まだよ。こっちに来て。ほら」
ダリヤに促され、更に東へと歩みを続けていく。
すると、ルークがエデンの隣に並んで歩き始めた。
「なあ、そういえばお前、名前なんてえの?」
「あ、はい。私はエデンです。あと、アリシアとダリヤです」
「ふーん。んで、どこ向かってんだ?」
そう言ってルークは前を歩くダリヤの背中を見つめるが、エデンもどこに向かっているのかは聞いていない。
「いえ、私も知らないのです。安全な場所だということなので」
「はー。なんだ、あいつは家があるのか」
少し低くなった声に隣を見ると、ルークはどこか羨ましそうな、それでいて寂しげな顔でダリヤのことを見つめていた。
すると、後ろからモニカとキーシュの声が追いかけてきた。
「ねえルーク。どこまで一緒に行くの?」
「そうだよ。周りの人達、皆僕たちのこと見てるよ。やっぱ、こんな格好だから……」
「はっ、気にすんな! せっかく大通りに来たんだから、ちょっくら見てこうぜ!」
足を止めることなく歩き続け、徐々に大通りを歩く人影が少なくなり、活気も薄れていく。
「あの、ダリヤ? どこまで行くのですか?」
「もうすぐよ」
そしてとうとう、たどり着いた。
ネストの街、その一番奥。
「ここは……」
丘の上からネストの街を一望した時、一番奥に確かに見えた、あの大きな屋敷だった。
「お、お前!」
突然、ルークが憤ったように声を上げた。
「お前! 貴族だったのか!」
「ええ。そうよ」
「……ふざけやがって!」
「ちょ、ちょっと、ルーク!」
「だ、駄目だよ! 貴族相手に、そんな言葉!」
ダリヤへと歩み寄ろうとするルークを、モニカとキーシュが慌てて止めた。
「……感謝はしているわ。あなた達がいなければ、無事に帰ってこれなかったかもしれない」
「……知るかよ! モニカ、キーシュ、帰るぞ!」
「え? あ、あの、ご貴族、様? ご、ごめんなさい!」
「そ、それじゃあね! あ、エデンとアリシアも、じゃあね!」
ルークが怒ったように踵を返すと、モニカとキーシュが、あたふたと別れの言葉を残して追いかけていく。
エデンとアリシアが、茫然と見送っていると、最後にルークが顔だけ振り返った。
「エデン、アリシア! もし行くとこが無くなったら、俺たちが歓迎してやるからな!」
「え? あ、はい。ありがとう、ございます?」
遠ざかっていく3つの背中を見つめていると、ダリヤがふうと息を吐いた。
「……仕方ないわ。ほら、行きましょう」
そう言ってエデンとアリシアの手を引いて、大きな鉄格子の門へと近づいていく。
そして、門を守る武装した男へと、声をかけた。
「開けてちょうだい」
「ん? なんだ、さっきのを見ていたが、あまり騒……っ!? お、お嬢様!?」
「中に行って、オスカーとリリカを呼んできて。あと、私と一緒にこの子たちがいた事は、誰にも言わないように」
「はっ! た、ただいま!」
男は門を開けると、転がるように屋敷に向かって走っていく。
その敷地に足を踏み入れたところで、ダリヤは漸く安心したと息を吐き、にっこりと笑った。
「ここなら、もう大丈夫。……改めて、私はダリヤ・エルネストよ。よろしくね」
ダリヤに促され屋敷へと足を踏み入れると、二階まで吹き抜けになった広大なエントランスホールに出迎えられた。
エデンが興味深そうに周囲を見渡すと、アリシアもおずおずと顔を上げ、不安そうにフロアへと視線を泳がせる。
すると、カツカツと硬質な靴音を響かせ、奥の廊下から一人のメイドと、執事服の男性が早足で現れた。
「お嬢様! なんというお姿に」
「ダリヤ様! ご無事で何よりです!」
メイドの女性は若く、二十歳前後だろうか。艶のある黒髪を三つ編みにまとめ、紺のロングスカートに純白のエプロンを合わせている。
執事服の男性は初老に差し掛かる頃合いだが、背筋は定規で引いたように伸びている。白髪混じりの髪と整えられた顎鬚が、長年この家に仕えてきた知性と威厳を感じさせた。
彼らを見て、ダリヤの顔が安心したように綻んだ。
だが口元を引き締めると、はきはきと語り出した。
「二人とも、お客様の前よ。リリカ、急ぎで客室を用意して。私の部屋の隣がいいわ。着替えと、入浴の準備もお願い」
「はい、畏まりました。ですが、お嬢様――」
「あとオスカー。この街の地図、持ってきてちょうだい。それと……残りの騎士を招集して。すぐ向かって欲しい場所があるの」
「ダリヤ様。まずは、お体を医者に診てもらいましょう」
「いいから、言う通りにしなさい。医者は後でいいから」
ダリヤが堂々とした態度で指示を出す。
騎士を呼ぶということは、あの廃屋を捜索させるつもりなのだろう。
「ダリヤさん。場所は覚えているのですか?」
エデンが横から口を挟むと、リリカとオスカーの視線が二人の子供へと向けられ、息を呑んだ。
「お嬢様! い、医者を! すぐに医者を呼ばねばなりません!」
「お、お主、腕はどうした!? その袖の中、途中から無いではないか!」
「あ、いえ。私に医者は不要ですので。問題ありません」
身体再生は、今も発動している。
魔力不足で時間はかかるが、いずれ欠損した部位も再生されるだろう。
「問題ないわけがなかろう! そのような怪我を、子供が判断してはいかん!」
「そ、そうです。そのお顔は、どうされたのです? もし傷があるのなら、跡が残ったりでもしたら大変です」
「いいのよ、二人とも。……エデン、そうよね?」
ダリヤが、焦るオスカーたちを手で制し、確認するようにエデンへと振り返った。
「本当に、必要ないのね?」
「はい。ご心配をおかけして申し訳ありませんが、処置は不要です」
エデンがペコリと頭を下げると、二人はその落ち着き払った所作に、毒気を抜かれたような顔をした。
「まあ……まだ幼いのに、礼儀正しいお嬢様ですね」
「本当に、医者は必要ないのですか? ダリヤ様。この子たちはいったい、どちらのお嬢様で?」
「あ、そうよね。エデン、アリシア。あなた達の家……たしか、ご両親を、亡くしているのだったかしら?」
エデンが頷くと、リリカとオスカーも痛ましげに眉を下げた。
「両親のご友人だった方たちに、面倒を見ていただいています。今は、『朝露の森』という宿に、部屋を借りてまして」
「……宿に? 二人とも、この街の産まれではないの?」
「はい。私たちは、トリト村から来ました。ね、アリシア」
「う、うん……」
アリシアが、顔を上げずにコクコクと頷く。それを見て、リリカが心配そうにその背中に手を回した。
「お疲れなのでしょうか? えっと、アリシア、さん……」
言葉を区切ってしまったリリカの視線が、アリシアの背負った黒鉄の剣でとまった。
「どうして、そのような剣を……担いでらっしゃるのですか?」
「え? あ、これ、アリシアの」
「そ、そうですよね。お、重いでしょう? 降ろして頂いて、構いませんよ」
それは当然、小さい体を気遣っての言葉。
だけど、アリシアはその言葉を聞いた瞬間、弾かれたようにリリカから距離を取った。
「う、ううん! いい! これ、パパからもらった、アリシアのだから!」
そう叫ぶと、今にも剣を抜かんばかりの勢いで、そのグリップを握りしめてしまう。
エデンは慌ててアリシアの前に割り込むと、彼女の腕に片手でしがみついた。
「アリシア、駄目、駄目よ。剣から手を離して!」
「り、リリカ。いいの。ほら、怖い思いもしたから、そっとしてあげなさい」
「は、はい。アリシアさん、失礼いたしました」
慌ててリリカが距離を取ると、アリシアは少し落ち着いたようで、剣から手を離した。
もうずっと、アリシアの様子がおかしい。だけど、まだ落ち着いて話ができない。
「ダリヤさん。冒険者ギルドにいるクラリスという受付嬢の方が、今は私たちの面倒を見てくださっています。夕方までに戻ると伝えていたので、心配をかけているかもしれません」
「そう……分かったわ。オスカー、ギルドに人を送って。あと宿の方から、二人の荷物を持ってきなさい」
「……え?」
「む、それは急いだほうがいいですな。ダリヤ様、何があったのか詳細については」
「それは後で話すわ。とにかく、地図を持ってきてちょうだい。あと二人については、外部への口外は厳禁よ。いいわね」
「ふむ」
オスカーはエデンとアリシアを一瞥すると、「それでは」と頭を下げて、廊下の奥へと消えていった。
「それじゃあ、私たちも行きましょうか。あ、でも、その前に」
ダリヤはそう言うと、背中に背負っていた鞄を、ゆっくりと床に下ろした。
「荷物、重いでしょう? 後で部屋に運ばせるから、ここで下ろしちゃいなさい。アリシアも疲れちゃうわよ?」
「そうですね。アリシア、ポーチとかは外しちゃいましょう」
「う、うん。わかった……」
アリシアが同意したのを確認し、エデンはアリシアのポーチを外そうと手を伸ばした。
しかし、片手だけでは留め具が上手く外せない。
もどかしくしていると、リリカがゆっくりとアリシアに近づき、目線を合わせるように膝を折った。
「アリシアさん。私が外すのを、お手伝いしてもいいですか? 手元に置いておきたいものがあれば、教えてくだされば大丈夫ですよ」
「え? で、でも」
少し引き攣った顔で、アリシアが助けを求めるようにエデンを見つめてくる。
エデンが頷くと、緊張した様子で頷いた。
「けんだけ、もってく……」
エデンもダリヤに手伝ってもらいながら、ポーチを外していく。
そして自分の剣を床に置こうとした時、アリシアが驚いた顔でそれを拾い上げた。
「だめ! おねえちゃん! これは、もってくの!」




