87話 観測開始:5年16日目-5 / 貧民街
どれだけの時間が経ったのだろう。
一瞬だった気もするし、一時間近く経ったような気もする。
魔力が無いだけで、できることが一気になくなってしまう。
もはや、マジックソナーを起動する余力さえ残っていない。
アリシアたちは、無事に逃げられただろうか?
廊下へと続く扉へと足を踏み出すと、片腕を失ったせいか、重心がずれてうまく歩けない。
踏み出した足も、重しでもつけられているかのようにひどく重い。
それでも、一歩、また一歩と扉へと近づき、封じていた氷の魔法を解除した。
体全体で押すようにして、重い扉を開ける。
するとエデンの視界に入ったのは、まるで炎そのものを掴み上げ、投げようと身構えているダリヤの姿だった。
「……何で、まだ、ここにいるのです?」
「え、エデン? ぶ、無事……な、の……」
尻すぼみに消えていった声と共に、その目が驚きに見開かれる。
すると、暗がりの中で座り込んでいたアリシアが、その声に弾かれたようにぱっと立ち上がった。
「お、おねえちゃん!? よか……」
両手をエデンへと伸ばしたアリシアが、飛びつこうとするような恰好で止まってしまう。
顔に残る涙の跡にエデンが首を傾げると、アリシアの体が震え出した。
「だ、だめ、だめええええええっ! おねえちゃん! しんじゃ、やだあっ!」
アリシアは回復薬を取り出すと、急ぎ口を開け、エデンの頭上からそれをぶちまけた。
かけられた回復薬が傷と反応し淡い光を放つが、欠損した腕や眼球が再生するはずもない。
「あ、アリシア。だい、じょ――」
「ううっ、なおらない! も、もういっこ!」
アリシアがもう一本の回復薬を、エデンの顔に浴びせかけた。
エデンが口に入った液体に咽ていると、アリシアがエデンへと抱き着き、そのまま後ろ向きで床に打ち付けられた。
「ぐうっ!」
「やだあ! おねえちゃん! しんじゃ、やだ!」
エデンの服を強く掴み、ガクガクと体を揺さぶってくる。
後頭部を床に叩きつけられ、本当に痛い。
エデンはたまらず、残された右手をアリシアの肩に伸ばすと声を張り上げた。
「ま、待って! 大丈夫! アリシア、私は大丈夫だから!」
本当は全然大丈夫ではない。
今も体中が痛い。
だけどその言葉に、アリシアの手は止まってくれた。
「ほ、ほんとうに? ほんとうに、だいじょうぶなの?」
「うん。大丈夫。私は、死んだりしないから」
エデンはそう伝えながら、体の上にまたがっているアリシアを見上げた。
涙を流しながら、怖い物を見るような目でエデンのことを見つめている。
エデンは服を離そうとしないアリシアの手を、ぎゅっと握った。
「大丈夫。大丈夫だから」
「ほんとう?」
「本当に」
「ぜったい?」
「うん。絶対に」
アリシアはエデンの上から降り、床にぺたんと座り込んだ。
「アリシア、おねえちゃんが、いなくなっちゃうかとおもった……」
「大丈夫。ほら、以前も、言ったでしょう?」
本体は、アリシアの中にある。
このアバターが消滅しようとも、エデンの本体は無傷なままだ。
「私は、アリシアのギフトスキルだから」
だから、安心して欲しい。
「……なんで、そんなこと、いうの?」
「……え?」
「おねえちゃん、へ、へん、だよ」
握り返してくれていたアリシアの手が、小さく震え始めた。
「アリシアは! お、おねえちゃんのこと、スキルなんて、おもってないのに!」
アリシアの言葉に、エデンは茫然と目の前の少女を見つめた。
アリシアが、何を言ってるのか分からない。
私は、アリシアのギフトスキルなのに。
私は、アリシアのスキルで、だから大丈夫だよって伝えたいのに。
叫び声を上げたアリシアは、服の裾を握りしめたっきりうつむいてしまった。
かけるべき言葉が見つからず、エデンも同じように黙り込んでしまう。
沈黙の中、ダリヤが恐る恐るというように二人に近づいて来た。
「あの、二人とも……話の途中かも、しれないけれど……まずはここを出ましょう」
顔を向ければ、ダリヤの瞳にエデンの左目から漏れる魔力の粒子が光っている。
人間でないのは、もはや隠しようもなくバレてしまっただろう。
「そう、ですね。安全な所へ、行かなければ」
ゆっくりと立ち上がろうとすると、頭に痛みが走った。
たまらず手で顔を覆うと、ダリヤがアリシアの腰のナイフへと手を伸ばした。
「ごめんね。ちょっと借りるわ」
「あ、うん」
ダリヤはヴァイスの死体へと近づいていくと、マントを引き裂いた。
何をしているのかとエデンが見つめていると、細長くなった布切れを手に戻って来る。
「顔、隠さないと。その傷を見られたら、きっと騒ぎになるわ」
「え? あ、ええ。そうですね」
その配慮はありがたいが、片手では結ぶことはできない。
ダリヤはそれを察してくれたらしく、エデンの前に膝をつくと、両端を頭の後ろで結んでくれた。
締め付けられる圧力で、また鈍い痛みが走る。
「ぐうぅっ……」
「エデン。あなた、本当に大丈夫なの?」
「はい。移動に支障はありません」
「……死ぬような大怪我にしか、見えないけれど」
どこか、釈然としないダリヤの声。
彼女は背負っていた鞄を降ろすと、自分が着ていた上着をエデンへと差し出してきた。
「はい。これで、腕もかくして」
「ありがとうございます……寒くはないのですか?」
肩がむき出しになった姿を見てエデンが尋ねると、ダリヤは問題ないと首を振った。
袖を通すと、サイズが大きく、手がすっぽりと隠れてしまった。
それが幸いし、左手の肘から先が無いのが、少しは分かり辛くなったかもしれない。
右手の方は口で袖を噛み、手が使えるようにたくし上げた。
「それじゃあ、行きましょうか」
「はい。……アリシア?」
座り込んだままのアリシアに声をかけるが、その肩がピクリと動くだけで、顔を上げてくれない。
どうしたらいいのだろう。
エデンが困ったように眉を寄せると、ダリヤがアリシアの傍でしゃがみ込み、その手を取った。
「アリシア、行きましょう。立てる?」
「え? ……うん」
アリシアがダリヤの手を借りて、よろりと立ち上がる。
手を引かれながらとぼとぼと歩き出すが、一度もエデンの方を見ようとはしなかった。
屋敷の外へと出ると、そこに広がっていたのは、淀んだ空気が漂う荒れ果てた景色だった。
周囲に見える家々は廃屋同然で、人の気配が全くしない。
「……ここは、どこなのかしら?」
どっちに行けば、安全な場所へ帰れるのか。
答えを期待しての声ではなかったが、エデンが前へと歩き出しながら答えた。
「ここは、ネストの南東にあたります」
「え、分かるの?」
「大まかに、ですが」
ヴァイスが屋根の上を直線的に移動していたため、地上の道のりまでは分からない。
だが、ギルドに向かう方角の見当はつく。
崩れた門から通りに出ると、幅の広い荒れ果てた道が左右へと続いていた。
「どっちに行けば、いいのでしょう」
冒険者ギルドの方角はちょうど正面、建物の密集地帯を突っ切った先にある。
この入り組んだ路地を、どう抜けるべきか。
ダリヤも不安そうに左右を確認している中、エデンの聴覚センサーが微かな物音を拾った。
「……なんでしょう?」
「な、何が?」
「いえ。誰かいるようで」
音源は、向かいに並ぶ廃屋の隙間、暗い脇道の奥からだ。
腰の剣を抜こうとするが、重くてまともに振れそうにない。
剣は諦め、アリシアの腰に差し込まれたナイフへと手を伸ばした。
「アリシア。ナイフ、借りてもいい?」
それであれば、今の体でも振るうことくらいはできる。
そう思って手を伸ばしたのだが、アリシアは「え?」とエデンへと顔を向けると、ナイフを両手で隠すように抱きしめてしまった。
「だ、だめ! おねえちゃんは、だめ!」
「え。 で、でも、それがないと、もし敵だったら」
「やだ! おねえちゃんはだめ! これ、アリシアの!」
「ちょ、ちょっと、アリシア、声が大きいから」
ダリヤが慌ててアリシアの口を塞ごうとするが、アリシアはいやいやと首を振り、さらに大きな声で「やだー!」と叫んだ。
その声に、ダリヤは慌てて手を引っ込め、落ち着かせるように背中を撫でる。
「アリシア、分かった、分かったから。だから、大きな声を出さないで」
「そう、そうね。私、もうナイフ欲しいって言わないから」
エデンも手を上げ、触らないとでも言うようにアピールする。
すると背後から、複数の足音が近づいて来るのが聞こえた。
(まずい!?)
もし、誘拐犯の仲間だったら。
そう思いエデンが振り返ると、飛び出してきたのは昨日出会った三人の子供だった。
「ばっかお前! 何、こんなところでデカい声だしてんだ!」
駆け寄って来たルークが、焦ったようにエデンの右手を掴んだ。
「大人どもが来る! 逃げるぞ!」
「え? ちょ、ちょっと、離しなさい!」
突然のことに振りほどこうとするが、抵抗することも出来ず、強引に引きずられてしまう。
「あなた達も、ほら、こっちに来て!」
「え、あ、ちょっと」
ダリヤとアリシアも、彼らに引かれるようにして、脇道の奥へと連れ込まれた。
そのまま息をつく暇もなく、ルークを先頭にして細い路地を駆け抜けていく。
「ほら、急げ! 足元に気を付けろよ! ……あ、でも、大きな声は出すなよ」
「い、いったいなんなのです、何処に行くのですか?」
「いいから、黙ってついてこいってんだよ!」
「あなたの声のほうが、よほど大きいじゃないですか!」
身体強化が使えない中、手を引っ張られ何度も転びそうになる。
なんとか立ち止まることなく走り続けると、不意に建物の並びが途切れ、長く伸びる空堀のような凹みが現れた。
「跳べ!」
全員がその中へと飛び降りると、ようやく一息ついたというように、ルークが深く息を吐いた。
「……ふぅ。まあここまで来りゃあ、ひとまずは大丈夫だろ。いやー、危なかったぜ」
「あ、あなた! いい加減、この手を離しなさい!」
エデンが苦痛に顔を歪めながら睨みつけると、ルークは今気づいたとでも言うようにぱっと手を離した。
「ああ、悪い悪い。ってうおっ!? お前、何でそんなボロボロなんだ?」
「ちょちょっと、ルーク! その子の着てる服、血だらけじゃない! あなた、引っ張ってる間に、怪我でもさせたんじゃ」
「ルーク、声大きいってば! モニカも、落ち着きなよ」
「んなわけあるか! バカかお前ら! よく見てみろよ! 引っ張られただけで、こんななるわけねえだろ!」
まあ、無理もないのだろう。頭から血を被り、片目を黒い布で隠しているのだ。
すると、ダリヤが怪訝な顔で、エデンの耳元へと口を寄せた。
「なに? エデン、この子たちと知り合いなの?」
「知り合いといいますか……まあ、顔見知りでは、あります」
知り合いと呼べるほど親しくはない。何しろ関係性は、窃盗未遂犯と被害者だ。
「あなた、ルークでしたね。危なかったとは、どういう意味です」
「あ? ……ってそっか。お前らここの人間じゃねえもんな。なんであんなとこにいたんだ?」
「質問に答えてください。他にも危険な者がいるのですか?」
「何言ってんだ。貧民街に、危なくねえ奴なんていねえよ。ここはな、弱い奴から奪われていく街だぞ。ガキなんて、身ぐるみ剥がれてポイっだからな」
「貧民街……」
エデンがその言葉に目を細めると、ダリヤも同じく警戒した様子で、ルークたちを見つめた。
「それなら、あなた達は私たちを助けてくれた。けど、危なくない奴にはあなた達も含まれているのかしら? 何か目的が?」
「目的ぃ? いや、別にそんなもん……ああ、なら金くれ!」
「……は?」
「なんなら食い物でもいいぞ! その鞄に入ってないのか?」
「ルーク! こんなちっちゃな子たちに、何たかってんのよ!」
「だってこいつら、金持ちだぞ!」
ルークとモニカの言い合いに、エデンは首を傾げた。
「私達は別に、お金持ちではありませんが」
「え? だってほら、そのブレスレット、めちゃくちゃ高いんだろ?」
ルークが不思議そうに指さしたのは、アリシアの手首に着けられているブレスレット。
「いえ、それは分かりません。ですが、これはアリシアの、お母様の形見です」
「形見? ってことは、お前らも……」
ルークはじっとエデンたちを見つめると、つまらなそうに顔を反らした。
チラリと横を見れば、アリシアはダリヤの服の裾をギュッと握りしめたまま、うつむいて一言も発していない。
「ちえっ、助けて損したぜ」




