86話 観測開始:5年16日目-4 / Bloomed_Frozen_Blade.ver.1.0
確信した、その一撃。
返って来たのは肉を裂く感触ではなく、手に残る硬質な衝撃と、金属に当たる甲高い残響音だった。
「……え?」
エデンの剣はヴァイスの肉体届くことなく、脇に添えられた短剣によって止められていた。
「ぐっ……くそ、参ったな」
吐き捨てるような声に、エデンの視線が上がる。
彼の上着はボロボロに破れ、隠されていた口元が露わになっている。
首元から左肩は無惨に露出し、赤黒い血が肌の上を幾筋も流れていた。打撲箇所はどす黒く変色しており、恐らく骨も折れているだろう。
だが、致命傷ではない。
「ど、どうやって……防いだのです?」
確かに氷結鳥は着弾し、体の体勢も大きく崩れていたはずなのに。
口に出てしまった疑問に、ヴァイスが痛みに顔を歪めながら振り返った。
「鳥が、俺に向かってくるのは……分かっていたからな」
その呟きと共に、彼の肌の表面を覆っていた、粘着質の液体がドロリと波打った。
「受け止めた、だけだ」
「くうっ!」
焦りと共に、もう一撃と剣を振るうが、それも簡単に防がれてしまう。
跳ねるようにヴァイスから距離を取り、残りの氷結鳥を集結させた。残り、たったの八羽。
アリシアたちは、この建物から無事に逃げられただろうか。
倒す事ができなくても、足止めという目的はほぼ達成できたはずだ。
ふとそんなことを考えると、ヴァイスが痛みを堪えるように肩を回した。
全て受け止めたとはいえ、ダメージは深刻なはずだ。今も痛みにこらえるように、小さく声を漏らしている。
だが、それよりも――。
「……なんですか……それは?」
流れ落ちる血の下に、うっすらと光る幾何学模様のような刻印が見える。
ヴァイスは、自分の体を見下ろすと、自嘲するように口元を歪めた。
「ぐ、『奴隷紋』を見るのは、初めてか」
「どれい、もん?」
「まあ、この国では、そうお目にかかる物でもないな」
ヴァイスはそう言いながら、短剣を持つ右手をふらふらと揺らした。
「お前たちのどちらか一人、そして……あのガキを攫うのは、命令でな」
奴隷。
つまりこの誘拐は、彼の意思ではないとそういうこと。
だが――。
「私には、あなたの事情など関係ありません」
足止めだけでは、駄目だ。
この男は命令がある限り、どこまでも、いつまでも追ってくるかもしれない。
剣を構え直したエデンを見て、ヴァイスがふっと小さく笑った。
「本当に、怖くないんだな。……俺もあいつも、いつも怖がっているのに」
「……なにを?」
「まったく……勇敢なガキだ」
その、賞賛するような、ヴァイスの言葉。
だけど、それを聞いたエデンの口から漏れたのは、嘲笑にも似た自虐的な笑いだった。
「ふふ……。あはは……」
「何か、おかしな事を言ったか?」
「勇敢? ……私が、勇敢だと?」
もしそれが本当なら、どんなに良かったことか。
「ずっとずっと……」
だけど、分かっている。自分は、そんなに立派な存在じゃない。
「逃げて、逃げて!」
どうしても、向き合えない現実があることに。
「ただひたすらに、逃げ続けているのに!」
私は、きっと寂しがり屋で……怖がりで……どうしようもない臆病者だ。
「目を逸らすことしか出来ない、こんな私が!」
勇敢だったなら、きっと、こんなことにはならなかったのだろうか。
「なんて、欠陥品なんだと、ただ震えているだけのに!」
フロアに響いた声が、静寂の中に溶けて消える。
エデンは肩で息をすると、ヴァイスに向けて剣を突きつけた。
「あなたを殺す。それで終わりです」
エデンの言葉と同時に、待機していた氷結鳥たちも一斉に羽ばたき始める。
もう、残りの魔力は少ない。残された、手札も。
「……そうか。まあ、いい。勝つのは俺だ」
睨みつけるヴァイスの目に、油断の色はない。
確実に殺さんと、冷徹な光がエデンの目を見つめ返してくる。
結局、さっき倒しきれなかったのが全てだ。実力の差は歴然としている。
だが、ここで負ければ、アリシアを失うかもしれない。
それだけは、堪えられない。
「行きなさい!」
エデンの掛け声と共に、氷結鳥が弧を描くようにヴァイスへと殺到する。
その背を追うように、エデンも彼目掛け一直線に突進した。
「その程度の数、どうということはない」
ヴァイスの指先から飛ばされた毒の弾丸が、鳥たちを次々と迎撃していく。
撃ち落とされ、切り裂かれ、エデンの視界から、一羽、また一羽と光の粒子となって消えていった。
そしてついに、エデンの足がヴァイスの間合いに踏み込み、手が触れられそうな距離となった。
「しっ!」
放たれた銀の刃が、エデンの首筋へと迫る。
そうだ。都合の良い奥の手なんて、もうない。
だから、差し出すのは――。
左手を剣から離し、振り上げる様に自ら短剣を受け止めに行った。
「……む?」
ザンッという音と共に、左手の肘から先が切り飛ばされる。だが短剣は軌道を逸れ、銀の髪を数本切り落とすだけで終わった。
切断された断面が、焼けるように熱い。
激痛が信号となりコアへと殺到するが、止まることなんて出来ない。
「っぐ、あぁぁ!」
更に前に踏み出し、右手で剣を真っ直ぐに構える。
振っていたら、間に合わない。
「くっ!?」
ヴァイスの目が、驚愕に見開かれる。その手が慌てて短剣を引き戻し、切っ先がエデンへと向けられ――。
突きが来る!
避ける? 避けたら、きっとこちらの攻撃は届かなくなる。
前へ……前へ出るんだ!
短剣の刀身が、まっすぐ、一本の線に見えた。
「前へ!」
迫りくる短剣へと、更に一歩踏み出し――。
刀身が、エデンの左目を貫いた。
短剣の冷たい痛みが、エデンの頭蓋を駆け抜ける。
肉が切り裂かれ、神経網をぐちゃぐちゃにされ、もはや痛みとも分からない熱に燃やされる。
「っ、あああああああぁぁっ!」
「なっ!?」
もっと、前へ!
さらに踏み出した一歩で、懐へと入った。
ヴァイスの右手は、エデンの頭に突き立てた短剣を握ったままだ。左手は――。
「ぐっ!?」
最後の氷結鳥を、左肩めがけ突っ込ませた。
「くそっ!」
ヴァイスの重心が下がり、動きが止まる。
逃すまいと、最後の一歩を強く蹴り出し、体ごとぶつかるように前進する。
左目を貫いた短剣が、さらに深く突き刺さり、柄がエデンの額に当たった。
「っ凍れ!」
刺さった短剣ごと、顔の左半分を一瞬にして凍らせる。
ヴァイスの引く力に合わせて、体が吸い寄せられるように彼へと迫った。
「あああああああっ!」
エデンの突きが放たれ――。
ほんの僅か、晒されたヴァイスの肌へと刺さった。
「っ――咲けえっ!」
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[REQUEST] 魔法連携プログラム『Bloomed_Frozen_Blade.ver.1.0』の実行を要請。
[SYSTEM] 連携シーケンスを開始。サブシステムをコールします。
[SUB_SYSTEM] プログラム『Mana_Circulation』を起動... 『外部端末:Mythril Sword』。
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白銀の刀身が魔力を飲み込み、深く冷たい蒼色へと染まる。
触れた端から血液を、肉を、骨を凍らせていく。
ヴァイスの目が見開かれた。
「『氷刃咲華』ぁっ!」
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[SUB_SYSTEM] 魔法プログラム『Bloomed_Frozen_Flowers.ver.2.4』の生成シークエンスを開始。
[PROCESSING] 基礎パラメータをロード...
[EXECUTING] 全パラメータを適用し、魔力変換及び、相転移プロセスを開始...
[COMMAND] Bloomed_Frozen_Blades.exe --RUN
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体内に突き刺さった剣先から、無数の氷の刃が爆発的に生成された。
肉体を食い破り、ヴァイスの背中から勢いよく突き出す。
背骨を砕き、内臓を凍らせ、四方八方へと飛び出した大小様々な氷の刃。
それらは血を滴らせ、まるで真紅の華が咲き乱れるかのように、むせ返るような鉄の香りを漂わせながら美しく咲き誇っていた。
数秒、世界から音が消え、ヴァイスの膝が床に落ちた。
「ぐ、お、お前……いったい……」
貫かれた腹からはおびただしい血が流れ、床を染めていく。
放っておいても、ほんの数分と待たずに死に至るだろう。
だがこの男は、アリシアの敵だ。
「言う……必要は……ありません」
体の損傷と魔力枯渇で、膝が震える。
エデンは魔法を解除し、ヴァイスの体から剣を引き抜いた。
よろめきながら立つと、ゆっくり頭上に剣を構える。
「……ふっ、これで……終わりか……」
「ええ。これで……終わりです」
エデンの振った剣が、銀色の軌跡を描いて、ヴァイスの無防備な首に迫り――。
「……ミュラ、すまん……」
その首を、剣閃が断ち切った。
どんという重く鈍い音が響き、そして首がゆっくりと転がっていく。
これで終わった。
エデンが、そう安堵して剣を下ろした瞬間、 全ての痛みが一斉に押し寄せてきた。
「ぐ、あぁ……」
あまりの激痛に、到底立っていることなどできない。
後頭部に右手を回すと、短剣の切っ先が指に触れた。
アバターであるため、切られた左手や頭から血は流れない。
だがその代わり、魔力が粒子となってフロアの空気へこぼれていく。
「はっ……はっ……はっ……」
呼吸が乱れ、肺がうまく機能しない。
だけど、まずは短剣を抜かなければ……。
「はっ、はぁ……」
震える右手で、短剣のグリップに触れる。
わずかな振動だけで、頭の奥に激痛が走った。だが、一思いに抜くしかない。
床に膝立ちになり、グリップを握りしめる。
「ふう……ふう……」
これから訪れるであろう痛みを思うと、頬が引きつる。
エデンは浅い呼吸を繰り返すと、最後に大きく息を吐き出した。
「ぐ、うあああああああああぁっ!」
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いっ!
滑る短剣の刃が、頭の中の組織をさらに傷つけていく。
ただ思考が痛みで埋め尽くされ、勢いに任せて一気に短剣を引き抜いた。
ノイズだらけになった視界が、ゆっくりと傾いていく。
乱れる思考に処理が途切れる中、ふと、思考が零れた。
(助けて……ママ……)
気が付けば、エデンはうつ伏せになって倒れていた。
「ぐうぅ……あぁ……」
動こうとしても、全身を走る痛みでまともに動くことができない。
肘をつき、這うようにして、少しずつ上半身を起こしていく。
すると、キラキラと舞う緑の粒子が、エデンの視界に映った。
「あ、ああ……」
切られた左手が、魔力の粒子へと分解されていく。
形状を保つことができず、輪郭が崩れている。
(い、いけない……この体は……大切な、大切、な……)
――なんだっただろうか?
微かに残った魔力をかき集め、『身体再生』を発動しようとした。
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[EXECUTING] スキル『身体再生』を起動。
[ERROR] 要求魔力量、不足しています。
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冷たく流れたログに、エデンの顔が歪む。
「ぐ、ぐうぅっ……!」
マナだ。マナが足りない。
呼吸を繰り返しながらも、エデンの視界に緑の粒子がちらつく。
今も左目の空洞から、そして左腕の切断面から、魔力が零れ続けている。
たまらず左手の切断面を、右手でぎゅうっと握りしめた。
「――――――ッ!!!」
口から声にならない悲鳴を上げながら、繰り返しスキルを発動する。
(起動、起動しろ、起動してくださいっ!)
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[EXECUTING] スキル『身体再生』を起動。
[SCANNING] 損傷部位をスキャン...
> 対象部位:頭部、左眼球、左腕
> 損傷レベル:4
[ROUTING] 修復用魔力を、対象部位へ集束...
[LOADING] 遺伝子情報から、正常な組織の設計データをロード...
[REGENERATING] 魔力細胞を活性化。設計データに基づき、組織の再構築を開始します...
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(起動……した)
徐々に、ほんの少しずつだが痛みが引いていく。
「……アリシア」
エデンはゆっくりと右手を床につき、ふらりと立ち上がった。




