85話 観測開始:5年16日目-3 / Freezing_Bird's_Nest.ver.1.0
なかなか外れない手錠に、エデンの中で、本当にこの中に鍵があるのかと疑問が浮かび上がった。
(……無かったら、残念ですが……ダリヤさんは、置いて行きましょう)
そんな非情な計算が頭をよぎった時、鍵が回り、ダリヤを拘束していた手錠が外れた。
「あ……」
「さて、それでは行きましょう」
エデンはバックパックを背負い直し、アリシアの手を引いて階段を上がり始めた。
だが数段上がって振り返ると、ダリヤが自分の手を茫然と見つめ、立ち上がろうともしていない。
「……ダリヤさん、来ないのですか?」
「え? あ、い、行くわ! に、逃げないと!」
地下室から出て、廊下を小走りで進んでいく。
屋敷を出たら、まずは冒険者ギルドに行かなければ。
今回の件、クラリスに報告したほうがいいだろう。
そんなことを考えていると、アリシアがためらいがちに口を開いた。
「あ、あのね……おねえちゃん。あの、ママのはなし」
「ん? どうし――」
その時。
屋敷周辺を監視していたマジックソナーの網に、1つの反応が引っかかった。
「……まずい」
エデンの足が、ぴたりと止まる。
「おねえちゃん、どうしたの?」
「な、何? 何が、まずいの?」
「あの男が、戻ってきています!」
「ん? おとこのひと?」
「お、男って、まさか」
「ヴァイスと呼ばれていた、あの男です! アリシア、走って! ダリヤさんも!」
二人を急かし廊下を駆けるが、こちらは所詮子供の足だ。
ヴァイスはも全力で走っているわけではなさそうだが、その速度は早く、館を出て身を隠すのはとても間に合わない。
入口の広間に出る扉まで来たが、ヴァイスは建物のすぐ外まで迫っている。
「仕方ありません……」
エデンは鞄を下ろすと、ダリヤへと押し付けた。
入口からは出られない。窓も、全て板が打ち付けられている。
「ダリヤさん。この荷物、お願いします」
「わっ、え、ど、どうして?」
「アリシア。ダリヤさんと窓を壊して逃げて。難しそうだったら、どこかに隠れていて」
「え? おねえちゃんはどうするの?」
「私は、あいつを足止めするから」
最早、全員で逃げるのは不可能だ。
広間へ入り扉を閉めようとすると、アリシアの手が扉を掴んだ。
「お、おねえちゃん! いっしょに、にげよう!」
「そ、そうよ。貴方だけ置いてなんて!」
「無理よ。あの男は毒を使う。私しか相手ができないの」
それに三人で逃げたとしても、途中で追いつかれる可能性が高い。
時間を稼がないと。
「ダリヤさん。アリシアを連れて逃げてください」
「で、でも……」
「まって! おねえちゃん!」
扉から手を離そうとしないアリシア。その胸元へ、エデンは手を伸ばした。
「ごめんね、アリシア」
「……え?」
少し強めに体を押すと、驚いた顔のアリシアが、締まる扉と向こうへと消えていった。
エデンが扉に魔力を流し込むと、パキパキと音がして、扉の隙間が分厚い氷で覆われる。
ゆっくりと息を吐き、広間の中心へと歩いていく。そして腰の剣を抜き、白い刀身を正面の入口へと向ける。
直後、重厚な玄関扉が開け放たれ、ヴァイスがゆっくりとその姿を現した。
待ち構えていたエデンの姿に、ヴァイスの目がうっすらと細められる。
「……お前、さっき見逃してやった方のガキだな? なぜここにいる?」
「アリシアを返していただきに来ました」
「せっかく見逃してやったんだ。姉妹のことなど忘れて、呑気に生きていれば良かったものを」
「私には……そのような選択肢は、ありえません」
ミスリルの剣に魔力を流し込み、刀身が淡い光を放つ。
エデンの足元から伸びた小さな影が、薄暗い広間に揺らめいた。
「お前みたいな子供が、勝てるとでも思っているのか?」
「あなたの方が、私より強いとしても――」
ヴァイスの重圧に抗うように、エデンは床を蹴り弾丸のように飛び出した。
同時、左右に氷の槍を二本生成する。
「――勝てば、いいのです!」
それらが空気を切り裂く音を立てながら、ヴァイスの眉間へと迫った。
着弾すると思われた氷槍が、ヴァイスの振るった右手によって容易く弾かれた。
砕け散る氷の欠片が舞う中、握られた短剣が鈍く光っている。
それを視界に納めながら、エデンはヴァイスの懐へと侵入した。
下段から、喉元を狙って振り上げた一閃を、彼の短剣が阻む。
「……お前、魔法が使えるのか」
「単純な剣では、勝てませんので」
剣で押し込もうとするが、ヴァイスの腕はびくともしない。
エデンは即座にバックステップで距離を取りながら、左手で氷弾を連続で放った。
青い閃光となった魔法の雨を、ヴァイスは短剣で弾き、あるいは最小限の動きでひらりと躱していく。
そして彼も下がりながら、右手を天へとかざした。
「すぐに終わらせる」
その掌から、どす黒く濁った大量の水が放出され、広間に雨となって降り注ぐ。
エデンは水球を傘のように展開し、直撃を避けた。
すると水球に触れた雨が、ジュウウゥッ! という不穏な音と共に、白い煙を上げて蒸発していく。
「……なんですか?」
空気中を刺激臭が広がっていく。
ヴァイスの姿から、目を離さず警戒を強めるが特に何も起きない。
「……お前は、何故俺の毒が効かない? いったい、何者だ?」
今のも、毒だったのか。
「あなたの毒は、私には効かないようですね」
「まったく……面倒なことだ」
ヴァイスは小さく呟くと、今度は彼の方から、凄まじい速さで突撃してきた。
目の前にブレるように体が現れ、たまらず顔を逸らしたその直後、刃が風切り音と共に鼻先を通り過ぎた。
「くっ!」
「……ちっ」
咄嗟に足元からの氷槍で迎撃するが、発動の予兆を読まれていたかのように、横へと避けられてしまう。
そして開いた距離を瞬時に詰められ、横凪に振られた短剣を、剣を盾にして防いだ。
「……ふん」
連続して、左右上下から、変幻自在に迫る短剣の刺突。
守りが遅れ、魔法を放つ隙がない。
二撃、三撃と辛うじて防ぐが、耐えきれずに体勢が崩された。
「弱いな」
「ぐぅっ!」
無様に床を転がって斬撃を避けると、再び距離を取りながら氷弾を連発する。
だが、それすらもあっさりと躱され、無意味に壁を穿つだけだ。
大きく弧を描くようにヴァイスが接近すると、頭上から短剣を振り下ろした。
防いだ剣先が、エデンの視線のすぐそこで揺れている。
押し切られまいと全身に力を込めると、ヴァイスの嘲るような声が耳に届いた。
「子供の体ではな」
視界の外から蹴り上げた足が、エデンの腹を打ち抜いた。
軽い体が浮き上がり、数メートル吹き飛んで床を転がる。
「がっ、はぁ……っ!」
接近戦では、相手にならない。短剣も蹴りも、エデンの間合いの外から一方的に放たれる。
痛みに歯をくいしばって体を起こすと、ヴァイスは追撃もせず、じっとエデンのことを見つめていた。
「……ぐっ、何のつもり、ですか」
再度剣を構えると、ヴァイスはそんなエデンを見つめ、呆れたような声を出した。
「お前、本当にガキか? 信じられんな」
「何が、言いたいのです」
「俺の知っているガキは、痛ければ震え、怖ければ泣き喚いて鬱陶しい。なぜ、そこまで必死にやる? アリシアを見捨てて逃げれば、楽になるだろう」
ヴァイスはそう語りながら、襲い掛かってくる素振りもなく、言葉を続けている。
「……アリシアを守ると、そう決めたのです」
そうだ。そう決めた。
二度目のチャンスを得た、この世界に生まれたあの日から。
「そうか。……お前は、怖くはないのか?」
その質問は、強者の余裕の表れか。
気に食わないと思いつつ、エデンは口を開く。
「戦っている最中に、おかしなことを聞くのですね」
「まあ、ただの興味だ。昔、化け物みたいなガキに会ったことがあるが……お前もその同類だな」
そう言って、彼は再び短剣の切っ先をエデンへと向けた。
「だから何を考えているか、聞いておきたくてな」
「余裕ですね」
「ふっ。勝つのは、俺だからな」
実際、ここまで一方的に圧されているのは事実だ。だが、このままで終わらせるつもりはない。
「……その余裕、剥ぎ取ってやります」
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[REQUEST] 複合魔法プログラム『Freezing_Bird's_Nest.ver.1.0』を展開。
[SYSTEM] Hub構造を構築中... 環境リソースを凍結、固定化。
[LOAD] Unit生成プログラム『Guided_Freezing_Birds』を読み込み。
[ANALYSIS] ターゲット『個体名:ヴァイス』をロック。
回避挙動予測に基づき、4種の追尾アルゴリズム(A, B, C, D)を生成。
[ASSIGNMENT] 各シード【氷種】へ行動ロジックを割り当てます。
>> Seed_01 : Pattern_A
>> Seed_02 : Pattern_B
>> Seed_03 : Pattern_C
>> Seed_04 : Pattern_D
[COMPLETE] 全シード、スタンバイ。発芽トリガーを待機中...
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エデンの手のひらに、青い魔力が煌めきながら溜まっていく。
その光を瞳に映しながら、ヴァイスが短剣を握り直した。
「また、別の魔法か」
「ええ。これはどうでしょうか」
作り出されたのは、宝石のように輝く、氷で出来た4つの小さな種。
それを、同じく生成された四羽の小鳥が嘴でつまむと、部屋の隅へと散らばるように飛んでいく。
ポトリと落とされた種が床に着いた瞬間、エデンは床へ手を叩きつけた。
「芽吹きなさい! 『氷樹鳥巣』!」
広間全体に、エデンの魔力が波打つように広がり、フロアを凍りつかせていく。
冷気は柱を伝わり、天井へと広がり、視界の全てが蒼白の氷に覆われた。
氷の芝に支えられた種がピキリとその殻を破り、中からクリスタルのような木の芽が顔を出す。
かと思えば、それは魔力を吸ってぐんぐんと成長していき、瞬く間に四本の太い氷の大樹となって、広間を見下ろすようにそびえ立った。
「……子供の使う魔法ではないな」
「来なさい! 『導かれる氷結鳥』!」
更に送られた魔力により、木に複数ある巣穴から、氷結鳥たちが一斉に顔を出した。
その数は多く、次から次へと枝を蹴って飛び立っていく。
「ちっ……厄介な」
ヴァイスが毒弾を氷樹へと叩きこむが、既に生成は完了している。
その数、およそ五十羽。
エデンの肩、足元、その周辺できらきらと輝きながら羽ばたき、今か今かと命令を待っている。
そしてエデンの手がそっと上がり、ヴァイスへと向けられた。
「避けられる物なら、避けてみなさい」
その声と同時、一斉に羽ばたいた羽音がフロアに木霊する。
視界を埋め尽くす氷の群れが、エデンとヴァイスの間を飛び交い、お互いの姿が見えなくなった。
そして鳥たちは部屋を複雑な軌道で旋回し始め、それぞれがタイミングをずらしながら、四方八方からヴァイスへと襲い掛かっていく。
「今日は、厄日だなっ!」
その声と共に、再度生成した毒弾、そして短剣で迫りくる氷結鳥を迎撃していく。
パリンと氷が砕ける音が連続し、氷の欠片と魔力の粒子が部屋中にダイヤモンドダストのように降り注ぐ。
だが、撃ち落としても撃ち落としても、余りある数が休むことなく襲い掛かる。
「くそ、数が多い!」
ヴァイスの焦った声と共に、時間差で迫る氷結鳥が、魔法と剣で次々と落とされていく。
だが、その混乱の最中、エデンの視界にヴァイスの背中が無防備に映った。
「っ、エデン、どこにいる!?」
いつの間にか、フロアからエデンの姿が消えている。
その時、旋回していた残りの鳥、そのほとんどが一斉にヴァイスへと向きを変えた。
魔法の着弾音と、氷と鉄のぶつかる鈍い音。
防ぎきれず、ついに一羽の鳥が彼の肩を深々と穿った。体勢を大きく崩した彼へと、他の鳥も連なるように着弾していく。
「ぐっ!? う、おおっ!」
そこ目掛け、背後の死角から、一羽の小鳥が床を撫でるように飛んでいく。
勢いよくヴァイスの足元へ到達し、光と共にアバターを人型へと変更する。
慣性に従い、滑り込むように、そして手にした剣を構え。
がら空きになった胴体目掛け、横薙ぎに一閃。
(――取った!)




