83話 観測開始:5年16日目-1 / 記憶領域には存在しない
商業ギルドの正面に停められた、エルネスト家の紋章を掲げた馬車。
護衛の兵士が扉を開き、ダリヤ・エルネストが手を借りながら乗り込む。
続けて入って来たメイド姿の女性が、彼女の対面へと腰を下ろした。
「……まったく上手くいかなかったわ」
「あれはお嬢様のせいではありません。オスカーさんもそうおっしゃっていましたよ」
「……でも、気落ちはするのよ」
リリカが慰めてくれるが、気落ちした心はまったく上がらない。
ダリヤは視線を窓へと移すと、相変わらず活気のある冒険者ギルドが目に入った。
馬車が動き出し、車輪が転がった反動で体を揺らす中、数日前の記憶が脳裏に蘇った。
「そういえば一昨日、冒険者ギルドの前に小さな女の子がいたわね」
「女の子など、そこら中にいますよ」
「そうなんだけど……その子たち、剣を持っていたのよ」
幼く見えた、銀髪が印象に残る二人の女の子。
小さな体と携えられた武器とのギャップが、なんとなく印象に残った。
「では、冒険者なのでしょう」
「え? でも、私よりもずっと小さな子たちなのよ?」
「では有望な子か、または生きていくためにそうせざるを得なかったのでしょう」
リリカの返答に、ダリヤは窓枠に肘をつき頬を乗せた。
冒険者は危険な仕事だと聞く。
あんな小さな子たちでは、冒険者として生きるのは難しそうに思える。
ぼんやりとそんなことを考えていると、窓の外から楽しげな笑い声が聞こえてきた。
視線を上げれば、数人の子供たちが手をつなぎ、景色と共に流れていく。
「……いいなあ」
「お嬢様?」
「あ、ううん。……なんでもない」
その時、突然馬車が大きく揺れ、急停車した。
「きゃっ!?」
「っ、お嬢様!」
体が前に投げ出されそうになるが、リリカが手を伸ばしダリヤを受け止めた。
一体、何があったのか。
外からは馬のいななきと、御者が大声で叫んでいるのが聞こえる。
「どうしたのかしら?」
「分かりません。お嬢様、私の傍に」
リリカが警戒したような声を出すが、ここは街のど真ん中、それも真昼間だ。
馬車には家紋が記されており、エルネスト家の者だとすぐに分かる。
すぐにまた動き出すだろうと楽観的に考えていたダリヤだったが、窓を外を見て目を瞬いた。
窓の外の景色が真っ白な霧に覆われ、何も見えない。
賑やかだった街の喧騒も、嘘のように静まり返っていた。
人々の笑い声も、護衛の足音も、何も聞こえない。
「リリカ……一体、何が」
「お嬢様、窓から離れてください。私の後ろに――」
突然ドアが外側から乱暴に開け放たれ、濃密な霧が流れ込んでくる。
視界を奪われ、リリカに身を寄せて警戒していると、ぐらりと世界が揺らいだ。
体から力が抜け、ダリヤの意識はそこで途切れてしまった。
*********
アリシアがエデンの背負う鞄に顔を押し当て、嬉しそうにすりすりと頬ずりをした。
「えへへー」
「どうしたの?」
「たくさんとれた! クラリスおねえちゃん、おどろくかな?」
今日は時間をかけて薬草採取に励むことができた。
バックパックには薬草が詰まった革袋が、少し押し込まれるようにして入っている。
「そうね。もし驚いてくれたら、嬉しいけど。でも……ん?」
ギルドに向けて歩いていると、前方から帯剣した一団が走ってきた。
焦ったような顔で、人々に声をかけて回っている。
子供だからか声をかけられることはなかったが、脇道や建物の陰まで覗き込み、そのまま後方へ行ってしまった。
「なにしてるんだろ?」
「さあ……とにかく、早くギルドに行かないと。クラリスさん心配させちゃうかも」
まだ夕方前だが、昨日よりは少し遅くなってしまった。
アリシアの手を引いて歩みを再開すると、彼女の目が一軒のお店を捉えた。
「あ! おねえちゃん! ルル、うってるよ!」
「ん? ルル?」
大通りにはみ出すように商品を並べた青果店。その店先にある1つのカゴに、エデンは逆に手を引かれて近づいて行った。
「ほら、ルル! おねえちゃん、かっていこ!」
エデンは頷くと、すぐ傍で商品を整理している店員へと声をかけた。
「あの、こちらのルルはおいくらでしょうか?」
「ん? ああ、銅貨二枚だ」
その金額なら、手持ちのお金でも十分買える。
だが今日の報酬をもらえていないし、無駄遣いは控えたい。
「アリシア。1つだけ、買ってく?」
「うん! いっしょに、たべよ!」
アリシアが嬉しそうに頷くのを見て、エデンは不思議そうに首を傾げた。
「アリシアだけで、食べてもいいのよ?」
「……え?」
「まだお金がどれくらいかかるか分からないし。アリシア、食べたいんでしょう?」
「ち、ちがうよ? アリシア、べつに、たべたいわけじゃなくて」
否定するアリシアに、エデンは首を傾げた。
食べたいわけではないのなら、ルルを買う必要はないだろう。
「お嬢ちゃんたち、買わないのかい?」
「え? あ、はい。すみません、お邪魔しました」
作業の手を止めさせてしまった店員に頭を下げ、アリシアの手を引いてお店から離れた。
少し歩いたところで、アリシアがぴたりと足を止めてしまう。
後ろを見れば、アリシアはお店の方をちらちらと振り返っていた。
「どうしたの? やっぱり、ルル食べたかった?」
「ち、ちが、くなくて! おねえちゃん、ルルだいすきだったでしょ?」
「……そうだった?」
そんな記憶、記憶領域には存在しない。
「す、すきだった! ママといっしょで、いつも、おいしそうにしてたでしょ!」
「……レイラ様は、ルルが好きだったの?」
「……レイラ、さま?」
アリシアの口から、空気が抜けるような声が零れた。
なぜか視線が激しく揺れ、繋いだ手が細かく震えている。
「お、おねえちゃん、なに、いってるの?」
「私、何か変なこといった?」
「だ、だって……ママのこと、レイラさまって」
アリシアの声が小さくなっていく。
エデンは数回目を瞬くと、事実を確認するようにゆっくりと口を開いた。
「レイラ様は、アリシアのママでしょう?」
「……え?」
「私は、アリシアのギフトスキルだから……レイラ様は、アリシアのママなんじゃないかしら?」
大きく見開かれた赤い瞳に、エデンが怪訝な表情で映っている。
固まってしまったアリシアに、エデンは顔を寄せた。
「アリシア? ねえ、大丈夫? いったい――」
「う、あぁ。そこのお嬢ちゃんたち……」
会話を遮ったしわがれた声。
エデンが顔を向けると、薄暗い脇道で薄汚れた老人が地べたに座り込んでいる。
「すまんがね……ちょっと、手を貸してくれんか?」
老人は困った顔で足をさすっている。
だが、今はアリシアがどうしたのか、そちらの方が重要だ。
「申し訳ありませんが、今は――」
「そ、そう言わずに! 手を、貸してほしいんだ!」
「……お、おねえちゃん。なにか、こまってるの?」
アリシアが我に返ると、まくし立てる老人へと視線を送った。
何の用か分からないが、これでは落ち着いて話もできない。
「……いったい、どうされたのです?」
「そ、それがな、あれを……」
老人が指さしたのは、脇道の奥に落ちている木の枝。
アリシアが小走りで拾い上げると、それは歩行用の杖だった。
「あー。おじいちゃん、これじゃ、つかえないね」
杖は真ん中でぽっきりと2つに折れている。
辛うじて木の革一枚で繋がっているだけで、先端がベロンと力なく揺れていた。
「新しい物を買う必要があるでしょうか。おじいさん、この近くで杖を売っている場所、ご存知ですか?」
エデンが声をかけると、老人は返事もせずに視線をさ迷わせていた。
「……おじいさん?」
「お、おい。何処にいる? ……言う通りにしたぞ! か、金をくれ!」
老人が狂ったように声を張り上げ、そしてしっかりとした足取りで立ち上がった。
「え? おじいちゃん、たてるの?」
「あ、あなた、いったい――」
「なるほど。確かに、将来美人になりそうだ」
いつの間にそこにいたのか。
いきなり頭上から降って来た冷たい声。
エデンが振り返ると、一人の男が大通りへの出口を塞ぐように立っていた。
襟の高いマントで身を包んでおり、顔の下半分が見えない。
だからだろうか、得体の知れない不穏な気配が、その体から発せられている。
「お、おお、お前か。か、金を寄越せ!」
「寄るな」
男は無造作に足を蹴り上げ、老人の鳩尾へとつま先を叩き込んだ。
くぐもった空気が漏れる音がし、老人は白目をむいて、そのままどさりと地面へ倒れ込んだ。
「あ、おじいちゃん!?」
「……私たちに、何か用ですか?」
アリシアが老人に駆け寄ろうとするが、その手を掴んで引き留めると、エデンは男を睨みつけた。
「お前たちが、エデンとアリシアだな?」
「なぜ、私たちのことを、知っているのです?」
エデンは腰の剣を抜き、男へと切っ先を向けた。
誰かは分からないが、決して好意的な相手ではないことだけは確かだ。
「剣? ……そうか。たしか、冒険者だったな」
「誰か分かりませんが、そこを退いてください」
男のすぐ後ろには大通りがあり、今も活気ある喧騒が聞こえてくる。
叫べば、誰か気付いてくれるだろうか。
エデンがそう逡巡した時――。
「まあ、寝ていろ」
マントの下から、白い霧が音もなく漂い始めた。
狭い路地に広がり、あっという間にエデンたちを飲み込んでしまう。
「この、霧は……?」
視界が白く濁るが、感じる温度に変化はない。
警戒しながら視線を外さずにいるが、彼は動こうとしない。
何も起きないことに、エデンが不可解そうに目を細めると、背後からアリシアのとろんとした声が聞こえた。
「あれ? お、ねえ、ちゃ……」
「え? あ、アリシア!?」
アリシアの体がふらつき、そのままゆっくりと倒れていく。
慌てて体を支えると、力の抜けた体エデンにもたれかかって来た。
「……寝てる?」
首元に規則正しい吐息を感じる。
すると、その様子を眺めていた男が、怪訝そうに眉を寄せた。
「……お前、俺の毒が効かないのか?」
「毒!?」
その言葉に、急ぎアリシアをそっと地面に寝かせ、顔色を確かめる。
顔色は悪くない。呼吸が乱れている様子も、見受けられない。
「あなた、何のつもりです!」
身体強化を発動しながら、手に持った剣を握り直す。
この男は、敵だ。それも、明確な害意を持った敵。
エデンは一気に間合いを詰めた。体勢を低くし、下から跳ね上げるように、剣を切り上げ――。
「ふん」
「なっ!?」
ガギンッ! という硬質な音が鳴り響き、エデンの剣があっさりと横へと弾かれた。
男の手に、いつの間にか短刀が握られている。
「邪魔だ」
「がっ!?」
がら空きになった胴体を蹴りが襲う。
エデンの体が吹き飛ばされ、建物の壁へと叩きつけられた。
その衝撃で息が詰まる。
「ぐうっ……」
剣を杖代わりにして、なんとか立ち上がる。
顔を上げると、男は眠ったままのアリシアを肩に担ぎ上げていた。
「ま、まちなさい……なぜ私たちを、狙うのです」
「お前は、運が良かったな」
それだけ言い残すと、男は壁の上へと飛び上がり姿を消してしまった。
エデンはたまらず膝をつくと、大きく息を吸い込み、荒れる呼吸を整える。
「ふう……ふう……はあ」
男は、自分たちのことを知っていた。だけど、 スキルまでは知らなかったらしい。
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[REQUEST] アプリケーション『マジックソナー』を起動。
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放出された魔力が男の背中を捉えた。今も屋根を蹴りながら、ものすごい勢いで走り続けている。
彼が一歩踏み出す度に、アリシアの投げ出された手が揺れていた。
「どうしたら……」
冒険者ギルドに、助けを求めにいくべきだろうか。
クラリスなら話を聞いてくれる。
もしかしたら、他にも力を貸してくれる人がいるかもしれない。
だが、ここからギルドまでは、全力で走っても十分はかかる。
その時、男の走る街並みに変化が現れた。
ネストの南東の方角。
整理された街並みが途切れ、荒廃した建物と複雑に入り組んだ路地。
男はその中を迷いなく走り抜け、古ぼけた大きな屋敷の中へと足を踏み入れた。
考えている時間はない。応援を呼んでいる間に、アリシアが取り返しのつかない目に遭わされるかもしれない。
「絶対に、許さない!」
奴は、自分からアリシアを奪った。
手に持った剣を鞘に戻し、エデンはアバター・ボディを解除する。
「必ず……必ず、取り返してやる!」
誰もいなくなった路地裏に、エデンの怒りに震える声だけが残った。




