82話 観測開始:5年15日目-3 / みすぼらしい子供
「え? うん、そうね」
確かに、アリシアの指さした先には、ルルの文字が。
エデンがそう返すと、アリシアはぽかんとした顔で、エデンを見つめてきた。
「あれ? おねえちゃん、ルルにしないの?」
「うん。クラリスさんが、おすすめを教えてくださったし」
「そ、そう……じゃあ、アリシアも、おなじのにする……」
二人が選び終わったのを見て、クラリスが店員の女性に注文を伝える。
エデンは鞄から銅貨の入った革袋を取り出し、その中から三枚、アリシアに渡した。
「おー、おかねだ……」
「ほら、アリシア。店員さんに渡さないと」
「あ、うん。お、おばちゃん! これ! おかね!」
エデンもお金を支払い、手早く包装してくれた温かい包み焼きを手に店から離れた。
広場の端にあるベンチに並んで腰を下ろし、まだ温かい包み焼きを口に含む。
もちもちとした柔らかい生地の奥で、甘酸っぱい果肉とソースが口いっぱいに溢れ出してくる。
「あまい! おいしい!」
「うん。あったかくて、食べやすい」
「そう? 気に入ってくれたなら、来て良かったかも」
雑談しながら食べていると、アリシアの手が止まり、一点を見つめたまま動かなくなった。
「アリシア? どうしたの?」
「え? あ、ううん。あのね、あの子が」
「あら、なにかしら」
アリシアの視線を追うと、建物の陰に隠れるようにして、数人の子供たちが身を潜めていた。
遠目からでも、着ている服は薄汚れており、あちこちにほつれや破れがあるのが分かる。
その中の一人、年上に見える男の子の目が、獲物を狙う獣のように鋭く光っていた。
「かくれんぼ、してるのかな?」
「うーん……たぶん、違うけれど。でも、ねえ……」
「そうですね。……アリシア。せっかくの包み焼き、冷めちゃうよ?」
「あ! そうだった! たべる!」
あの子たちはきっと、身寄りのない孤児たちなのだろう。
トリト村にはいなかったが、これほど大きな街であれば、そういった境遇の子がいても不思議ではない。
だけどそれは、アリシアとは関係ない話。
アリシアが美味しそうに頬を膨らませているのを見ていると、クラリスと視線が合った。
彼女はどこか怪訝な顔で、エデンのことを見つめている。
「……? クラリスさん、どうかされましたか?」
「あ、ううん。エデンちゃん、どう? 美味しい?」
エデンは頷くと、もう一口、手の中の包み焼きを口に含んだ。
包み焼きを食べ終え、今日はもう宿に戻ってゆっくり過ごそうかと、三人は並んで広場の外へと歩き出した。
「二人とも、明日も依頼を受ける?」
「うん! やくそう、たくさんみつける!」
「はい。少しでも、お金を稼いでおきたいです」
今日の報酬額は、銅貨十五枚。さっき六枚使ったから、差し引き九枚の黒字だ。
宿代などはシエルたちが出してくれているから、実質的な出費は昼食代くらいだが、これでは自立した生活には程遠い。
そんなことを考えながら歩いていると、背後から軽い足音が近づいてきた。
かと思うと、黒い影が飛びかかるようにしてアリシアに迫った。
「へへっ!」
「うわっ!?」
「え?」
「あ、アリシアちゃん!?」
先ほどの広場にいた、あの少年。
彼がすれ違いざまに、突然アリシアの腕を強く引っ張った。
「こいつは、もらっ……あ、あれ、子供? って、取れねえ!」
「あなた! 何のつもりです!」
彼が握っているのは、アリシアが左手首に着けているブレスレット。
それを見て、エデンはたまらず剣を引き抜いた。きらりと輝きを放った刀身を振り上げると、それに気づいた少年が目を見開く。
「お、おい、待てえ!?」
制止するようにエデンへと手を向けてくるが、アリシアに害を成した以上、彼は排除すべき敵だ。
躊躇なく振り上げた剣を、彼のアリシアを未だ掴んで離さない右手へ振り下ろそうと――。
「ちょっと、エデンちゃん。危ないから」
「……む」
ぴたりと動かなくなってしまった剣。
振り返ると、クラリスがエデンの手を痛くない程度の力で握っていた。
「剣は、しまってね」
「し、しかし……この少年は……」
エデンより、随分年上に見える。十歳ほどだろうか。
雑に切られたような茶髪の下には、琥珀色の瞳が輝いている。
今も手を離そうとしない彼に、エデンは顔をしかめた。
「あなた! いつまで、アリシアの腕を掴んでいるのです! その手を離しなさい!」
「……え? お、おわ、やべっ!」
少年は手を離すと、背中を向けて逃げ出そうとした。
するとエデンの頭上をクラリスの手がさっと伸び、少年の首根っこを鷲掴みにした。
「こら、女の子に乱暴なことして、なに逃げようとしてるの」
「おおっ!? 離せ、離せよババア!」
「ま、まだ私は十九歳よ! 全然若いんだから!」
「アリシア、怪我しなかった?」
「あ、うん。ぜーんぜん!」
エデンは安心して一息吐くと、今もクラリスの手の中で暴れる少年へと冷ややかな視線を移した。
「あなた、一体なんのつもりです。急にアリシアを引っぱって」
「いやー、悪い。ガキだと思わなかった」
「……そんなわけ、無いでしょう」
どう見たって、アリシアの背丈は子供そのものだ。
その時、路地裏から二人の子供が飛び出してきた。
少年と同じくらいの背丈の、ボサボサの青い髪の少女。そして頭1つ低く見える、小柄でそばかすの男の子。
すると青髪の少女が、走ってきた勢いのまま、地面に滑り込むように頭を下げてきた。
「ごめんなさい! 謝罪しますので、どうか許してください!」
「る、ルーク! 駄目だって言ったのに!」
「……わり、ちとミスった」
突然の乱入者たちに、エデンたちは顔を見合わせた。
剣を抜いてしまったこともあるが、少女が地面に額をこすりつけているため、行き交う人たちの視線が集まってしまっている。
未だルークを捕まえたまま、困ったような表情を浮かべているクラリスに近づき、その袖を引っ張った。
「クラリスさん、どうしたらいいでしょうか?」
「そうねえ。本当なら、衛兵に引き渡すんだけど……」
「げっ、ちょ、それは待ってくれ! すまんかった!」
「ルーク! もっと、ちゃんと謝って!」
「や、やめろ、モニカ!」
ルークが片手を上げて軽く謝るのを見て、モニカと呼ばれた少女が慌てて頭を下げさせようと、彼の頭を掴んだ。
もう一人の男の子も、顔を真っ青にして落ち着きを失くしている。
「……二人とも、許してあげる? この子たちも、謝ってくれているみたいだけど」
「ん? あやまってくれたなら、アリシアはいいよ!」
「……なら、私もかまいません」
正直、衛兵に引き渡そうが、どちらでもいい。
この子たちが糧を得るためには、これからも盗みを繰り返さなければならないのだろうし、そんな境遇の子供は他にもいるのだろうから。
クラリスがぱっと手を離すと、解放されたルークが驚いたように振り返り、ニカッと笑みを浮かべた。
「いやあ、助かった! ありがとな!」
「……いえ、別に……それより、どうしてアリシアを狙ったのです?」
今後同じような被害に遭わないためにも、知っておきたい。
すると、そばかすの男の子が口を開いた。
「それはね、僕のもがっ」
「ストーップ! キーシュ、余計なこと喋んな!」
キーシュと呼ばれた子の口を、ルークの手が塞いでしまう。
そんな二人の背中を押しながら、モニカが何度も頭を下げながら器用に遠ざかっていく。
「ご、ごめんなさい! 許してくれて、本当にありがとう!」
「あ、ちょっと……」
呼び止めようとしたが、彼らは細い路地へと姿を消そうとしている。
その直前、ルークだけが振り返り、こちらにひらひらと手を振って来た。
「すまーん! 見逃してくれて恩に着るぜ! あばよ!」
「バイバーイ!」
「……いったい、なんだったのです」
「んー。どうしたもの、かしらねえ」
突然やってきて、あっという間に去ってしまった。
横を見れば、アリシアが笑いながら手を振り返していた。
*********
それは、珍しいことではない。
ある日突然、人が死ぬことなど。
ただ今回、その死者が無二の親友だった。たった、それだけのことだ。
動揺し、泣き叫び、膝を折るには十分すぎる理由だったが……そうならずに済んだのは、彼女が遺した二人の娘のおかげだろう。
考えなくてはならないことが山積みだった現実は、皮肉にもシエルの心を悲しみから遠ざけてくれた。
あの子たちとの出会いは、驚きの連続だった。
驚くほど可愛らしく、そして恐ろしく強かった。
到底、子供の域を逸脱している。
レイラとディーンに鍛えられたと聞くが、呆れと共に納得してしまった。
あれだけの才能、磨かずにはいられないだろう。
焚き火から発せられる熱気を感じながら、シエルは揺らめく炎をぼんやりと見つめていた。
「何か考え事かい?」
「……ああ、少しな」
膝を抱え込み、体を丸くしてシエルは小さく答えた。
ジンの穏やかな声に、意識が再び思考の渦へと沈んでいく。
ここ数日は、本当に賑やかだった。
悲しみに蓋をして、子供たちに打ち解けてもらえるよう、自分なりに必死に振る舞った。
アリシアは感情豊かで、よく笑い、そしてよく泣く。子供らしく見るもの全てに興味を持ち、突然走りだし、突拍子のない行動で周りを慌てさせる。
「あの子たちのことが心配かい?」
「……なあ、ジン。お前はアリシアのこと、どう思う?」
「アリシア? ……まあ、いかにも子供って感じだね。でも、思ったより芯が強いのかな? 結局、魔物を殺しても平気になったし。やると決めたらやる、そんな感じがするよ」
「ならば、エデンについてはどうだ?」
親友の幼い頃に、瓜二つの顔が浮かぶ。
とても幼い、お人形のような女の子。
シエルの質問に、ジンは悩むように腕を組んだ。
「んー、彼女は……しっかりしてるね。理解が早くて大人びてる。物怖じもしないし、実力も申し分ない」
「そう……そう、だな」
『知性あるスキル』であるからだろうか。
その理解力は、大人と何ら変わらない。
知識に偏りは見られるが、一度話を聞けば、忘れることなく記憶する。
その結果だろうか、戦闘における実力も申し分ない。
「常に冷静で、礼節をわきまえているね。手がかからない、良い子だよ」
「そうか」
シエルは納得と共に頷いたが、今の言葉に、ほんの小さな違和感を覚えた。
「……いや、違う、か?」
シエルは小さな声で呟くと、ジンへと顔を上げた。
「冷静、だが……常に、ではないだろう?」
「ん? そうだったかな」
「ああ。いや、お前の言っていることが、間違っているわけではないんだが……」
この違和感を、なんと言葉にすればいいか。
自分の頭の中にある霧を晴らすように、シエルは言葉を選びながら、少しずつ口にしていく。
「私が初めて、あの子たちに会った時……エデンは、アリシアと同じようによく笑っていたな。……それにアリシアがふざける度に、怒ったり、焦ったりしていた。そう、そうだ。あの時、エデンは自分のことを、私はお姉ちゃんなのだとそう主張していた」
「へえ。エデンがねえ」
あの時の印象は、冷静なんて言葉は当てはまらない。
少しだけ背伸びをしているような、普通の子供に見えた。
「今日別れ際に……あいつは、自分はアリシアのギフトスキルだからと」
「ん? それが、何かおかしいかい?」
いや、おかしくはない。確かに、それは事実だ。だけど――。
「ジン。 『知性あるスキル』がどんな物か、正確には知りはしないが……姉とスキルではまるで違うだろう」
「……ああ、そうか。確かに、関係性が違うね」
「いかんな。エデンが何を考えて自分をスキルだと言ったのか、まるで分からん」
両親が死んだ影響か? それが何故、姉でなくなる理由になる?
シエルは顔を上げ、ネストの方角を見つめた。
バンダ達が先に行っているとはいえ、これ以上遅れるのは信頼を損なう。
「冒険者登録の試験。あの時、もし私が止めなかったら……ギズーという男を殺していたと思うか?」
「まあ、殺してたでしょ。たぶん、何の躊躇もなく」
「失敗したか? アリシアのことばかり、気にかけていたかもしれん。……エデンの方にこそ、もっと気を配るべきだった」
「そう? エデンならアリシアの面倒も見ながら、上手くやりそうだけどね」
ジンの言う事も、否定できない事実に感じる。
焚火がパチリと火花を散らし、その粉が闇に吸い込まれていく。それを瞳に映しながら、シエルは膝の上に顎を乗せた。
「戻るまで、何事も無ければいいのだが」




