79話 観測開始:5年14日目-8 / ネストの不穏
月明かりだけが頼りの人気のない道を、男が荒れた足取りで歩いている。
崩れかけた建物の前を、いくつも通り過ぎる。
崩落した壁、割れた窓ガラス、そして辺りに漂う腐臭が、ギズーの顔をしかめっ面にさせた。
大股で歩き続けると、道脇の段差の上に、やせ細り薄汚れた男が座り込んでいた。
浮浪者と思しき男をギズーが一瞥すると、何のためらいもなく思い切り踏み潰した。
「ぎゃっ!? が、ああ……」
足の下で、男の掠れたうめき声が、助けを求めるようにか細く続いている。
ギズーは踏みつけた足に、さらにグリグリと体重をかけた。
うめき声が次第に小さくなり、やがて力なく途切れたのに満足し、ギズーは歩みを再開する。
打ち捨てられた街並みを通り過ぎ、そして古ぼけた大きな屋敷の前で立ち止まった。
かつては立派だったであろうその屋敷は、全ての窓が木の板で塞がれ、訪れる者を拒絶するかのような圧迫感を醸し出している。
ギズーが扉を叩き、待つこと数秒。
扉がほんの少しだけ開き、奥から暗く澱んだ瞳が覗き込んだ。
「……誰だ?」
「俺だ。ギズーだ」
「……なんだ、お前か」
つまらなそうに呟き、扉がゆっくりと開かれていく。
ギズーは体をねじ込むようにして、屋敷へと足を踏み入れた。
「何しにきたんだ?」
「……頼みたいことが、あってな」
「き、聞いたぜ? ギルドで、ガキに良いようにされたんだってな?」
「……うるせえ」
思い出したくもない屈辱。
良いようにあしらわれただけじゃない。
全く何もさせてもらえず、ただ一方的に命乞いをした。
それもあんな、生まれて間もないようなクソガキに――。
「んで、その、頼みってのは、なんだ?」
「……いつものやつだ。ロウ、新人つぶし手伝ってくれ」
今でこそD級冒険者だが、努力だけで成り上がったわけではない。
貧民街のどん底から這い上がってきた自分たちに、まともな仕事などありはしない。ただ食うために、仕方なく冒険者になった。それだけだ。
始めは努力した。
武器の使い方を必死で覚え、戦い方を日夜考えた。
だが、すぐに才能という壁にぶつかった。
失敗続きの依頼、いつまで経っても上がらない等級。
その傍らで、自分らよりも遥かに若く、才能に溢れた奴らが軽々と追い抜いていく。
彼らにかけられる賞賛の声。自信に満ちた誇らしげな顔。
それが、妬ましくて、羨ましくて、そして何よりも憎らしくて――。
だから、奪ってきた。
見込みのある新人に親切な先輩の振りをして近づき、油断したところで、その戦果を全て奪い取った。
報酬も全て手に入るし、等級だって上がっていく。
世間知らずの馬鹿どもは、この世で一番信用できないのが人間だと知らないらしい。
都合の良いことに、冒険者なんて、いつどこで死んでもおかしくない。いつの間にか姿を消した新人など、誰も気にしたりはしなかった。
だが、今回は少し違う。ただ、ただ気に食わない。
あの、クソガキどもが。
俺のことを足蹴にし、あの圧倒的なまでの才能の差を、まざまざと実感させられた。
ふざけやがって。ふざけるな! ふざけ――。
「はあ。お前な、本気で言ってるのか? それとも、あのガキ共を連れてる奴、誰か知らないのか?」
ロウの呆れ返った声に、暗く沈んでいたギズーの思考が、現実に引き戻される。
「あ? なんだ、一緒にいた女か?」
「まあそいつも含めてだが。黒髪の男がいただろ? あいつ、『黒雷』だぞ」
「……はあ?」
そのあまりに予想外の名に、ギズーの口から驚きの声が漏れた。
確かに、いた。黒髪の、いけ好かないすました野郎が。
「あの男が、『黒雷』だと?」
「な? だから手を出すのはやめとけ。長生きしたいならな」
その言葉に、ギズーは拳をわなわなと震わせた。
先に喧嘩を売ったのは自分だったが、苛立ちが収まるわけがない。
「……まあ、『黒雷』は、鉱山の方に行くらしいけどな」
「あ? ああ、魔蟻の大量発生、だったか?」
「そうだ。だからしばらくは街から離れるんだろうが……。まあ、そうだな……」
ロウが腕を組み、何か思いついたかのように黙り込んでしまう。
「……なんだよ」
「いや、な。そのガキ共、見た目がいいんだろ?」
「……まあガキにしちゃあ、上等なタマだったんじゃねえの?」
輝くような銀色の髪。
人形のように、整った顔立ち。
成長すれば、間違いなく男どもを狂わせる極上の女になるだろう。……認めたくはないが。
「あー……それなら、話だけでもしてみるか」
「あ? だから、誰にだよ」
「まあお前もこいよ」
ロウはそれだけ言うと、軋む階段を上がりながら声を潜めた。
「実はな。隣領の伯爵家から、腕利きがきてる」
「……だから何だよ」
「そこの貴族様は随分な性癖をお持ちみたいでな。土産に持ち帰っていただいたらどうだ?」
「はあ?」
突然の提案に、ギズーの口から疑問の声が出た。
「そもそも何しに来てやがんだ。その、腕利きとやらはよ」
「ああ。なんでも辺境伯のご令嬢、あの評判の才女様の誘拐だとよ」
そのただ事ではない内容に、ギズーの足がピタリと止まった。
「な、なんでお前がそんなやばい話に、関わってやがんだよ!?」
「おい、声抑えろ! 俺はただの場所提供だよ! なにしろ、金が良くてな」
ロウはそう言って、指で輪を作りながらにやりと笑った。
その背中についていきながら、ギズーの中に焦りの気持ちが湧いてくる。
「お、おいロウ、大丈夫なのか? 貴族にちょっかい出すなんて、バレたらただじゃ済まねえぞ」
「俺たちは何もしねえよ。ただ口を噤んでりゃそれでいい。それで大金が転がり込んでくんだから、悪かねえだろ」
ロウは軽口をたたきながら、1つの扉の前で立ち止まった。
普段気配りなんてしない男が、律儀にノックをして返事を待っている。
中からぶっきらぼうな声が返され、ゆっくりと扉が開かれた。
そこには、今にも壊れそうな小さな丸テーブルの上に、上等な年代物の酒瓶が一本だけ置かれている。
その前では、見るからに羽振りの良さそうな痩せた男が、椅子にふんぞり返りグラスを傾けていた。
反対には明らかに堅気ではない、ならず者のような男。
そいつが部屋に足を踏み入れた二人を、じろりと睨みつけた。
「なんだ、何か用か?」
「ええ。ちょっと、伯爵様にとってっすけどね。土産になるんじゃないかって話が」
ロウは手を揉みながら歩みよると、やせた男の耳元で囁く。
すると、彼は興味深そうに視線を上げた。
「ほー。『黒雷』が保護する女の子、ねえ」
「へえ。それが子供のくせに結構腕が立つんで。見た目もいいらしいっす」
「それはそれは。確かに、ロンメーヌ様も、ご興味を持たれそうだ」
「……なんだ? まさか、荷物を増やすつもりか?」
その話の流れに、ならず者の男が不機嫌そうに表情を歪めた。
それを手で制しながら、痩せた男はギズーの方を見つめてきた。
「おい、そういう訳だ。明後日、ダリヤ嬢を攫った後、そのガキも連れてこい」
「……あ?」
「……それは命令か?」
ギズーがたじろぐと、背後から、氷のように冷たい声が聞こえた。
思わず振り返ると、いつからそこにいたのか。
部屋の闇に溶け込むかのように、一人の黒尽くめの男が立っていた。
その目は虚ろに暗い光を放ち、虚空を見ている。たまらず、ギズーの背中を冷たい汗が流れ落ちた。
「ああ、そうだ。命令だ。ガキについてはそこの屑にでも話を聞け。じゃあ、俺は宿に戻るんでな」
痩せた男は席を立つと、ギズーのことをゴミでも見るような目で一瞥し、すれ違うように部屋から出ていった。
ならず者の男も不機嫌そうに舌打ちし、彼についていく。
三人が残された薄暗い部屋。
背後の男から放たれる異様なまでのプレッシャーに、ギズーが動けずにいると、低い声で話しかけられた。
「……おい」
「お、お、へ、へい!」
違う。この男は、そこらのはぐれ者なんかじゃない。
恐怖に、口から出る言葉がどもってしまう。
男は表情一つ変えることなく、言葉を続けた。
「その子供というのは、どんな外見だ?」
「え、ええ。ぎ、銀髪の、子供で。と、年は、四つか五つ、くらい。たぶん、姉妹で――」
「なに? ……二人、いるのか?」
「そ、その通り、で」
確か大きい方の名前は、アリシアだったか。
ギズーが焦りながら外見を説明していると、男はふうと息を吐いた。
「面倒だな。……まあ、一人でいいか」
「えっ、い、いや。でも、あいつら二人組で……」
どうせなら憎たらしいガキどもを、二人まとめて地獄へ突き落として欲しい。
その歪んだ思いが口から出かけるが、男はそれを遮るように、じろりとギズーを睨みつけた。
「……それは、命令か?」
「へ? ……い、いや、とんでもねえ!」
「なら、黙っていろ」
男はそれだけ呟くように告げると、踵を返して部屋から出ようとする。
その際、男が呟いた小さな声が、ギズーの耳に入った。
「……余計なことを」




