73話 観測開始:5年14日目-2 / 冗談か?
冒険者ギルドの三階、他よりも重厚な造りの扉を、ジンは軽く叩いた。
「アダルマン、ジンだ。入ってもいいかな?」
「ああ。構わん、入れ」
中から返ってきた、低く威厳のある声。
ジンが扉を開けると、そこは広々として執務室だった。
大きな執務机に置かれた書類の山の向こう側には、白髪の交じった壮年の男が腰を下ろしている。
アダルマンはジンを一瞥するも、すぐに視線を手元の書類へと戻してしまう。
相変わらずな様子にジンは苦笑いを浮かべながら、客用のソファへと腰を下ろした。
「……トリト村の件は、バンダから聞いた」
「ああ……ディーンと、レイラが死んだ」
短い会話の後は、アダルマンの筆が走る音だけが執務室に響いた。
この男は仕事に一区切りつけるまで、こちらを向くことはない。
棚に置かれたティーセットに目が留まり、ジンはおもむろに立ち上がった。
勝手に茶の準備を始めていると、背後からアダルマンの声がかけられた。
「知らなかったぞ。ディーンとレイラが、ここにいたなどということは」
「知っていたのは、ごく一部の人だけだからね」
ジンはそう返しつつ、シンクに必要な物を並べていく。ポットに、カップを2つ。ポットの蓋を開けると、中は綺麗に磨かれている。
「辺境の、更に僻地にある小さな村。隠れて子育てするには、うってつけだった」
ジンはポットへ水を注ぐと、蓋に着いたスイッチを入れる。
すると、すぐにこぽこぽと心地よい水の沸く音が聞こえてきた。
さすがギルドマスター。便利な物を持っている。
「……子育て?」
「あれ、バンダに聞かなかった? 子供がいるんだよ。いやあ、レイラにそっくりでね」
「聞いておらん。まったく、あのクソガキめ。肝心なことを」
アダルマンが忌々しそうに吐き捨てるのを聞き流し、ジンの腕が棚にある引き出しを開け閉めする。茶葉はどこだ。
「右から二番目だ」
言われた場所にあった茶葉を確認していると、アダルマンが重く息を吐いた。
「……そうか、ディーンが死んだのか。……あの、くそ貴族め!」
「はは。ディーン、あなたに感謝していたよ。申し訳なくも思っていたみたいだけどね。大人しくしていれば、王都の方で出世できただろうに」
「ふんっ。私は、自分の決断を恥じたりはしていない。あいつは間違いなく、英雄だった」
仕事に一区切りついたのか、アダルマンは立ち上がると、ジンが座っていたソファの向かい側へ腰を下ろした。
スラリとした細身の長身。もう何年も前に一線を退いたはずなのに、眼鏡の奥のするどい眼光は変わっていない。
ジンは湯気の立つカップを1つ、アダルマンの前にそっと置いた。
「すまんな」
ぶっきらぼうに言う彼は、微塵もすまないとは思っていなさそうだ。
ジンも再びソファに腰を下ろすと、本題を切り出した。
「『腕』は見たかい? バンダが持ってきたと思うんだけど」
「ああ、預からせてもらっている。だが……あのような腕は、見たことが無い」
「……ふーん」
この男でも知らないことがある。
当てが外れたかなと思い、ジンはカップに口を付けた。
適当に入れたにしては、なかなか美味い。良い茶葉だったのか。
「恐らくだが……あれは魔族の腕だ。……恐らく、だがな」
「……魔族?」
全く想定していなかった答えに、思わずカップを傾ける手が止まる。
遥か昔に猛威を振るった、そんな名前の種族が存在することは当然知っている。
だが今となっては、どれだけの個体が残っているのか、何処にいるのか、まるで分かっていない。
「……なぜ、魔族だと?」
「私が知る限り、あのような白い肌を持つ人種は存在しない。……ただ、私が単に知らないだけ、という可能性も否定できんが」
「その魔族が、どうしてこんなところに?」
「そんなこと、私が知るわけがないだろう」
「まあ、そうだよね」
魔族と言われても、情報があまりにも無さすぎる。
ジンが気落ちしたように息を吐くと、アダルマンはカップを静かに持ち上げた。
「……あの腕は、王都に送ろうと考えている」
「ん?」
「恐らく、調査のため聖都から誰かが派遣されてくるだろう。そこで話を聞いてみたらどうだ?」
「あー……となると、王城に出向かないとか」
ジンは悩まし気にカップを置くと、ふうと息を吐きながら俯いた。
「なあ、アダルマン。その魔族……死んだと思うかい?」
「それも分からん。魔族と戦ったことなどないからな。……なぜそんなことを聞く?」
「あ、いや。別に、そいつが生き残っていることを望むわけじゃないんだけど」
あの二人を相手にして、生きているとも思えないが。
「もし、まだ生きている。それか、仲間でもいるんだったら……」
――この手で仇を打つ機会は、まだ残されているってことだ。
「……おい、ここで殺気を放つな」
その声に顔を上げると、彼の額から一筋の汗が流れていた。
ジンはごめんと軽く手を立て、話題を変える。
「ところでさ。冒険者の特例登録、あるでしょう? 実はお願いしたい子がいるんだ」
「おまえがか? 随分と見どころのある子供なのだな」
「まあね。何しろ、ディーンとレイラの子供なんだから」
そう伝えると、アダルマンが驚きの表情で手のひらを向けてきた。
「ま、待て待て。私と別れた時、まだそんな気配は無かったはずだ。その子は今いくつだ?」
「ああ。二週間ほど前に、五歳になったよ」
ジンの言葉に、アダルマンがぽかんと口を開けて固まってしまう。
それよりも、せっかく美味しいお茶があるのだ。何か摘まめる物でもないだろうか。
「……なんだ、冗談か?」
「いや? 全然本気だけど……」
部屋を見回すが、あいにく食べられそうな物は何も見当たらない。
ジンは残念そうに眉を下げると、もう一度カップを取った。
「あ、それと一人じゃなくて二人ね。可愛い姉妹だから」
「……冗談か?」
「いや? 全然本気」
*********
「シエルさん、お待たせしました!」
「久しいなクラリス。変わりないか?」
「はい。私は相変わらずです。シエルさんもお元気そうで」
シエルは、慣れた様子でカウンターに片肘を置きながら、軽く手を上げて挨拶を返す。
「今日は頼みがあってな。なかなか頼れる者がいない」
「え? シエルさんが、私にですか?」
「ああ。一カ月ほど、どうしてもネストを離れねばならない依頼があってな」
その会話が、カウンターの上で交わされる。
エデンとアリシアが背伸びをしてなんとか顔を出すと、クラリスは十代後半ほどの小柄な女性だった。綺麗に切りそろえられた茶色い前髪が、快活そうな瞳の上で揺れている。
「その間、この子たちを預かってほしい」
「え? そうなのですか?」
「えー!? シエルおねえちゃん、どこかいっちゃうの!?」
「ん? ……そういえば、言ってなかった……な。いや、悪かった」
シエルはそう言って笑うが、エデンとしては胸中穏やかではない。
クラリスに視線を向けると、彼女もまた、突然の話に驚いた様子で二人を見つめていた。
「あ、わ、私が、この子たちをですか?」
「うむ。この街で信頼して預けられるのは、お前しかいないのでな」
「そ、そう言っていただけるのは、嬉しいですけれど……」
クラリスは少し困ったように眉を下げると、カウンターから身を乗り出し、二人に顔を近づける。
そしてアリシアとエデンの顔を見つめると、キョトンとした表情で目を瞬いた。
「あら? あなたたち……もしかして、レイラさんの娘さん?」
「え?」
――娘?
「うん! おねえちゃん、ママのこと知ってるの!?」
アリシアが首を傾げると、突然クラリスは甲高い声を上げ、シエルの肩をぱしぱしと叩いてはしゃぎ始めた。
「シ、シエルさん! 見てください、レイラさんそっくり! 可愛らしいお子さんたちですね!」
「うむ。さすがはクラリスだ。よく分かっている」
「あなた達、お名前はなんて言うの? 私はクラリスね」
「アリシアは、アリシア!」
「私はエデンと申します。よろしくお願いします」
「うん。よろしくね」
エデンが丁寧に名前を告げると、クラリスが微笑み返してくれる。
その柔らかい雰囲気に、良い人そうだと少しだけ安堵すると、彼女は不思議そうに辺りを見渡した。
「……でも、私がお預かりするとなると……レイラさんは、どうされたのですか?」
その質問に、場の空気がぴたりと凍りついた。
アリシアの顔から笑顔が消えて、俯いてしまう。
シエルがクラリスにそっと耳打ちをすると、クラリスがはっと息を呑んだ。
「そ、そんな……」
「……まあ、残念だが、事実でな」
アリシアは俯いたまま顔が見えず、エデンもそんなアリシアの背中に手を当てている。
シエルは目を細めながら、二人の頭に優しく手を置いた。
「……まだ二人の死から、十日ほどしか経っていない」
「そう、なんですね」
クラリスも眉を下げ二人を見つめが、かけるべき言葉が見つからない。
その沈黙を振り払うかのように、シエルがわざとらしく顎に指を当てた。
「せっかくだ。二人とも、面白い話をしてやろう」
「面白い話、ですか?」
「ふぇ?」
「ああ。私がクラリスと初めて会ったのは、ある依頼の最中だったんだが……牧場が、魔物に襲われているという知らせが、たまたまギルドにいた時に入ってな」
「ちょ、ちょっと待ってください、シエルさん!」
シエルの楽し気な語り口に、クラリスが頬を赤くして止めようとする。
だがシエルはカウンターと距離を取りながら、話を続けた。
「私たちは牧場へと急いだのだが、そこで予想外の光景を見た」
「……なにをみたの?」
「はは。クラリスがたった一人、農業用のフォークを振り回して魔物と戦っていたんだよ。それも、全身血まみれになってな」
思わずエデンとアリシアの視線が、クラリスへと釘付けになる。
小柄で華奢な彼女からは、到底想像もつかない姿だ。
「それに、てっきり大怪我を負っているのかと思ったら、その血は全て返り血。魔物のものでな。こいつは、なんと無傷だった」
「おーっ! すごい!」
「クラリスさんは、お強い方なのですね」
「や、止めてくださいよーっ! 本当に、恥ずかしいですから!」
顔を赤くしながら、クラリスが頬を両手で押さえて、カウンターの後ろへとそっぽを向いてしまった。
「まあその縁でクラリスは冒険者に興味を持ってな。今はギルドの職員として働いている、というわけだ」
「そうですけど……前半の話、いりましたか!?」
「ああ。その時に、レイラとディーンも、一緒だったからな」
「おー! パパとママも!?」
「冒険者をしていると、そのような出会いもあるのですね」
少しだけ明るさを取り戻した空気の中、クラリスがはにかみながら、胸元にあるギルドの職員章を指でそっと示した。
「確かにそのことがきっかけで。私は今、ギルドの受付嬢をしているの」
「ほえー」
「受付嬢、ですか」
「そうだな。冒険者として活動をする時、何かと世話になることが多い」
長いカウンターの先。そこでは今も、何人もの人々が受付の職員と真剣な顔で話し込んでいる。
これから自分たちも、何かと頼ることになるのだろうか。
そう考えていると、クラリスの手がそっと伸びてきて、エデンとアリシア手を優しく握った。
「……シエルさん。私この子たちのこと、お預かりします」
「お、頼まれてくれるか?」
「はい。ただ、昼間はギルドの仕事がありまして……」
「いや。朝と夜だけ、面倒を見てやって欲しい。あと困ることもあるだろうから、相談に乗ってやってくれ。それだけでいい」
「え? ですが昼間の間、この子たちをほったらかしにするわけには」
「なに、心配いらん。昼間は冒険者として依頼を受けるからな」
「……え?」
まったく、予想だにしていなかった言葉。
クラリスが信じられないといった様子で、ゆっくりと視線をエデンとアリシアへと向ける。
「あ、あなたたちが……冒険者?」
「そうだ。B級冒険者として、特例登録に推薦する」
「シエルさん! 何を言ってるんですか!?」
クラリスの悲鳴にも似た甲高い声に、近くにいた者の視線が一斉に集まった。
「だめだめ、駄目ですよ! 絶対に駄目! 何歳だと思っているんですか!?」
「五歳だな。確認したから間違いない!」
「幼すぎます! なおさら、駄目じゃないですか!」
「なあに、実力さえあれば年齢なんて関係ない。そのための特例だ」
「そ、それは、そうですけど……二人とも、本当に冒険者になりたいの? すっごく危ないこともあるのよ?」
「うん! アリシア、ぼうけんしゃになる!」
「――ああ? ガキが、冒険者だあ?」
突然後ろから、嘲るような低い濁声が聞こえてきた。




