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72話 観測開始:5年14日目-1 / ネスト

 まだ朝露が落ちきっていない森の中、木々がまばらになり、明るい空が広がっているのが見えた。


「やっと着いたね。アリシア、疲れてないかい?」


「うん! ぜんぜん!」


 アリシアは頷くと、姉の手を引いて森の先へと駆け出した。

 

「おねえちゃん、いこう!」


「え? あ、アリシア、待って!」


 光の中へと飛び込むように、木々の間から躍り出る。

 なだらかな丘をアリシアに引かれながら駆け上がり、眼下に広がるネストの街を見下ろした。


「うわあ……おっきーい」


 広大な平野を、それ自体が一つの大地であるかのように塗りつぶし、高く分厚い城壁に四方を囲まれた巨大な街。


「うん……トリト村、いくつ入るんだろう」


 遠目からでも、街に立ち並ぶ建造物が、石や煉瓦で作られているのが見て取れる。

 街を縦横に走る細い線は、きっと人々が行き交う大通りなのだろう。

 街の一番奥にはひときわ大きな建物が、霞んで微かに認識できた。

 城壁の外には、街から出ていく人々や馬車などが、地平線へと消えていく道をゆっくりと進んでいる。


「はは、驚いたかい?」


「ネストは、この辺境で唯一の都市だからな。王国全体で見ても、かなり大きな街だ」


 全然、違う。

 今まで生きてきたトリト村とは、何もかも違うんだ。

 これから始まる生活への期待感が、アリシアの胸の奥からこみ上げてくる。


「あれが、ネストの街」


 そう、そうだ。あれが、ネストの街なんだ。すごい遠かったけど、やっとついたんだ!


 湧き上がる実感に、アリシアはエデンの首へと勢いよく抱き着いてきた。


「おねえちゃん! アリシアたち、はじめて、ほかのまちにきたんだよ!」


「あぅっ!?」


 お話の中でしか知らなかった、村の外の広い世界。

 シエルはエデンが倒れないように背中を支えながら、城壁の一角を指した。


「ほら、あそこに門があるだろう? あそこから、ネストに入るぞ」


「その後は、まず冒険者ギルドに行こうか。ね、アリシア」


「ぼうけんしゃ!?」


 ジンの言葉に反応したアリシアの腕に、ぎゅっと力が入った。


「あ、アリシア……く、苦しい……」


「おっ! ご、ごめんね!」


 アリシアがエデンから離れると、皆でゆっくりと丘を下っていく。

 その時、エデンの耳に何か聞こえたような気がした。


「――? アリシア、何か言った?」


「え? ううん、なにもー」


「……そう」


 ログには、何も残っていない。風の音か。


 街道に出ると、行き交う人々とすれ違いながら城門へと歩く。

 たどり着く頃には、頭上にある門の頂きに、アリシアが真上を見上げるようになってしまっていた。

 門をくぐったすぐ脇にある、城壁に比べれば小さな建物。その前に短い列が出来ている。

 当然のようにその最後尾に並び、少しずつ前へと進んでいく中。アリシアは落ち着きなく、キョロキョロとひっきりなしに首を回していた。


「おねえちゃん、みて! またおうまさんが、おうちひいてる!」


「はは。あれは家じゃないぞ」


「そうですね。あれは、馬車って言うの」


「……ばしゃ?」


「うん。後ろのお家、扉ついてるでしょう? 中に人が入ることができて――」

 

 興奮して騒ぐアリシアに、エデンとシエルが1つずつ答えていると、とうとう四人の番が来た。

 厳つい顔をした男が、ジンの腰の剣に目を向けた。


「冒険者か?」


「ああ。はい、これが俺の冒険者証」


「私のもな。ほれ」


「ああ。確認させてもらう」


 ジンとシエルが差し出した冒険者証を受け取ると、衛兵は少し驚いた様子で二人を見返した。


「ほう、B級とは……」


「ああ。それで、問題ないかい?」


「む、失礼した。いや、問題ない。……それで」

 

 衛兵は冒険者証を二人へと返しながら、その後ろで行き交う人々に向けて指を指しているアリシアたちを見つめた。


「そちらの子供たちは?」


「まあ、預かっている子たちでな。身分証は……まだ、無いな」

 

「そうか。であれば、悪いが、子供と言えど入市税を払ってもらうぞ」


「ああ。ほら、これで足りるかい?」


 ジンが渡した銅貨を確認すると、「ようこそ、ネストの街へ」とだけ告げ、次の相手へと向き直ってしまった。


「よし、それじゃあ行こうか」


 ジンに促され、一行は街の中へと足を踏み入れた。

 正面には城門から真っ直ぐ、大通りであろう石畳で舗装された広い道がはるか先へと続いている。

 城門の傍だからか人の往来も多く、また大通りに沿って構えられた店からは、威勢の良い客寄せの声が絶え間なく響き渡っている。


「おーっ! おねえちゃん、すごい! すっごい、いっぱい、ひとがいるよ!」


「うん、本当に……凄いね」


「ぼさっとしてると、はぐれてしまうぞ。ほら、手をつないでおくか」


「ここにいると、他の通行の邪魔になるからね。皆、行くよー」


 賑やかな大通りを歩きながら、ジンが声を張り上げて、ネストについて説明してくれる。


「大通りを歩くだけで、大抵の物は買うことが出来るよ! 城門の近くの店は、街を出る商人向けの大きな店や、馬車の整備場、旅の記念になるような土産物を扱ってるところが多いけどね!」


「まあ、私たちにとっては、あまり用事のない店ばかりだな」


 シエルとエデンに手を引かれながらも、アリシアの視線だけは、道の両側に並ぶ店々を必死に追いかけようとする。

 そのせいでどんどん後ろに傾いていく体を、エデンが引っ張った。

 

「ほら、ちゃんと歩かないと」


「あー、でも、おねえちゃん! あれ、あかいの、きになる!」


 ちらりと見えた赤い飾り物に、アリシアの足取りがまた乱れ始める。

 その落ち着きのなさにシエルが笑うと、アリシアの耳元に口を近づけた。

 

「買い物は後でゆっくりと連れて行ってやる。それよりもいいのか? これから行くのは、冒険者ギルドだぞ」


「……いく! シエルおねえちゃん、はやく、いこ!」


 走りだそうとするアリシアを宥め、ただまっすぐに大通りを進む。

 やがて、同じくらいの太さの通りが交わる、ひときわ広々とした広場へと出た。

 その四方には一際大きく立派な建物が並んでおり、人の出入りがひっきりなしに続いている。

 その中の1つ。

 巨大な観音開きの扉が開け放たれ、いかにもといった風貌の者たちが出入りしている建物。

 中からは、歓声とも怒声ともとれる声が、活気となって溢れ出している。


「着いたね。ここが冒険者ギルドだよ」


「ここですか」


「おー……すっごく、でっかい」


 思わず、アリシアは体を反らしながら建物を見上げる。

 冒険者ギルドへと足を踏み入れると、むわりとした人々の活気と熱気、そして微かな酒と汗の匂いが一行を迎え入れた。


 広々とした石造りのホール。

 入口正面には長いカウンターが横に広がり、そこでは揃いの制服に身を包んだギルド職員たちが、列を成す冒険者や、依頼主らしき人々と、何やら忙しそうに言葉を交わしている。

 ホール左には、頑丈そうな木製のテーブルと椅子が並べられ、まだ午前中だというのに、大きなジョッキを呷り陽気に騒いでいる者たちの姿が見える。

 右手には、巨大な掲示板がいくつも連なり、その表面を埋め尽くすように貼り付けられた羊皮紙の依頼書を、冒険者たちが真剣な眼差しで吟味していた。

 掲示板の向こうにも、さらに空間が広がっているようだ。


 その喧騒と活気に満ちた光景の中を、ジンは慣れた様子で進んでいく。

 その後ろに続きながら、アリシアは目に入るものを指さしては声を上げた。


「おねえちゃん! みて! なんかはってある!」


「うん。依頼書、かな?」


「あっち、ごはんたべてる!」


「そうね。食堂になってるんだと思う」


「すごい! おっきな……おっきな……ぴかぴか!」


 そう言ってアリシアが指さした先、すぐ傍で掲示板を眺めていたスキンヘッドの大男。

 アリシアの声でこちらに気付いた彼は、磨き上げられた頭と白い歯を輝かせ、人の好さそうな笑顔で親指をぐっと立ててくれた。

 エデンは慌ててアリシアの手を掴み、振り回さないようにぎゅっと握った。


「アリシア、指をさしたら駄目よ」


「そうだな。冒険者には気性の荒い連中もいるからな。ガラの悪いのに絡まれないよう、注意するんだぞ」


「……もしも絡まれてしまった時は、どうしたらいいのですか?」


 そもそも見知らぬ人と話した経験すら、ほとんどないのだが。

 するとシエルは、とびきり良い笑顔で拳を握ってみせた。


「その時はだな。まず相手の顔面めがけて、拳を打ち抜くと良い。私はそうしている」


「おー! こう!?」


「アリシア。私たちの手じゃ、顔まで届かないんじゃない?」


 アリシアの拳がほにょんと前に押し出されるが、シエルの腰の高さにも届いていない。

 騒ぎながら進み、ちょうど空いた受付カウンターで、ジンが冒険者証を提示しながら話しかけた。


「すいません、B級冒険者のジンです。トリト村の件で、アダルマンと話したいのですが」


「はい、ジン様ですね。確認して参りますので、少々お待ちください」


「ああ、それとクラリスはいるか? 少し、頼みたいことがあってな」


「クラリスでしたら、裏で別の業務に就いております。後程お呼びしますので、それまで、食堂の方でお待ちいただいても?」


「うむ、分かった。そうさせてもらおう」


 職員がカウンターの奥へ消えていくのを見送り、最も近くにあったテーブル席へと腰を下ろした。

 空席はちらほらとあるものの、それでもかなりの数の人々が、思い思いにこの場所で過ごしている。

 大皿の料理を勢いよくかきこむ男、地図を広げ顔を寄せ合いながら真剣な表情で話し込んでいる一団。そして、なぜか大声で腕相撲をして、異様な盛り上がりを見せているグループ。

 秩序を置き忘れてきたような光景を、アリシアは目を輝かせながら、楽しそうに体を揺らして眺めていた。


「ねえ、おねえちゃん。みーんな、ぼうけんしゃなのかな?」


「どうなんだろう。シエルさん、ここにいる方は全員が冒険者なのですか?」


「いや、そうとも限らん。ここの食堂は、一般の者にも開放されているからな」


「依頼を出しに来た人や、何か別の仕事で立ち寄った後、ここで食事していくこともあるからね。ほら、君たちだって、今はまだ冒険者じゃないだろう」


「あ、そうだった!」


 アリシアが目を見開くと、その様子にシエルは笑った。


「だがギルドにいると、時たま面白い話が聞ける事もあるな」


「面白い話、ですか?」


「そうだね。まあ、情報は大切だよ。特に初めて訪れた場所だと、そこに生息する危険な魔物の情報や、その土地特有の危険があるかもしれないしね」


「……なるほど」


 アリシアと並んで、食堂の喧騒へと顔を向ける。

 いくつもの話し声や怒声、時折上がる歓声が混ざり合い、アリシアは顔をしかめた。


「うーん、よく、わかんない」


「まあ、慣れると多少分かるぞ。盗賊の討伐に失敗して、嘆いてる声とかな」


「あと回復薬がどうとかね。それと、受付嬢の誰が可愛いか、なんていう話も――」


 ジンが楽しそうにそう口にすると、シエルがすっと目を細め、低い声と共にジンの襟首を掴んだ。

  

「おい……お前、普段から受付嬢のことをそんな目で見ているのか?」


「い、いやいや、俺じゃないって! ただ、そんな話が聞こえたってこと!」


「……本当だろうな?」


 シエルが疑いの眼差しを向けると、エデンは納得したようにこくりと頷いた。


「先ほどお名前の上がったクラリスさんという方が、このギルドでは一番人気のようですよ」


「む……。エデン、お前も、聞こえたのか?」


 シエルが驚いたように顔を向けてくるが、ジンの襟を掴む手は、今も握りしめられたままだ。

 エデンは声データを確認しつつ、もう一度こくりと頷く。

 

「はい。ちなみに、盗賊の討伐依頼は、対象の相手を見つけることが出来なかったそうです。回復薬はついては、値上がり、もしくは売り切れてしまっていて、多くの冒険者が困っているみたいですね」


「む……。なるほど、ならばいいか」


 シエルの手が解放され、ジンが咳き込んでいると、先ほどの職員が小走りで近づいてきた。


「ああ、ジン様。ギルドマスターですが、時間が空いているとのことです。よろしければ……だ、大丈夫ですか?」


「げほっ……え? あ、はい。問題ありません。それじゃあ、皆。俺は上に行ってくるから、また後でね」


「ん、行ってこい」


「うん!」


「分かりました」


 立ち上がったジンに、アリシアが元気よく両手を振る。

 職員の男はその様子に微笑みながら、「皆さまも」と腰をかがめた。

 

「クラリスがカウンターの方にいますので、そちらへどうぞ」


 職員が手を向けた先。

 カウンターで、柔らかい笑顔を浮かべた女性が小さく手を振っていた。

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