113話 観測開始:5年21日目-1 / きっとうまくいく!
不満そうな青い瞳が、白い眼帯をじっと見つめている。
鏡の中の彼女が袖を捲ると、今だ淡く輝き続ける断面が顔を出した。
肘付近までしかなかった左腕は、二の腕の中間付近まで再生が進んでいる。
だが、完治にはほど遠い事実に、エデンは不満そうに袖を戻した。
「おねえちゃーん。リリカさん来たよー!」
アリシアの呼ぶ声に、エデンは寝室の化粧台の椅子から立ち上がった。
「うん。それじゃあ、先に行ってるからね」
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ネストの街北西に広がる、のどかな農業地帯。
しばらく放置されていたであろうその場所で、ルークは生え散らかす雑草を前に息を吐いた。
「……広すぎるだろ、これ」
「ルーク、弱音を吐かない! 手を動かして!」
「……おう」
モニカに叱られ、ルークは再び腰をかがめて雑草を引っこ抜いた。
べつに、サボっていたわけでは無い。
ただ、目の前の光景があまりに非現実的で、少しだけ呆然としてしまっただけだ。
「なあ、モニカ」
「ん? なあに?」
「本当に俺たち、あそこに住んでいいのか?」
畑の端に建てられている、小さな物置小屋。
そこでは大人たちが忙しなく動き回り、次々と資材を運び込んでいる。
その中心で、小さな体で声を張り上げている銀髪の幼女が。
「……エデンちゃんは、いいって言ってたけど」
「まあ、な。分かってんだけどよ、でもなんて言うか……夢見てるみたいで怖ぇんだ」
「……私も。だって、こんなことって」
モニカが立ち上がり、眩しそうに目を細めて小屋を見つめる。
一昨日、エデンたちは準備があるとかで、そのまま帰ってしまった。
実は嘘で、そのまま迎えはこないんじゃないかと疑ってしまったのに。
昨日届けられた温かい食事。
そして今朝、当然のように迎えに来てくれた。
モニカがぼーっとエデンを見つめていると、傍らで作業していた一人が悲鳴を上げた。
「うわっ、む、虫! 虫がいる!」
「えー。虫くらいなんだよ! 踏みつぶせ!」
「あーっ! かわいそうだろ!」
「こ、こら! 遊んでないで、お仕事しないと!」
「お前らな、早く引っこ抜け! 虫なんかに構うんじゃねえ!」
子供たちの喧騒が、開け放たれた窓から小屋の中へと流れ込む。
陽光が差し込む室内では、エデンが使用人の抱えた箱を覗き込み、並んだ空き瓶を見て棚を指差した。
「その空き瓶は、割れないように棚の一番下へ。あと、調薬の道具はテーブルの上にお願いします」
「承知いたしました、エデンさん。丁寧に取り扱いますのでご安心を」
使用人は微笑むと、言葉通り丁寧な手つきで箱を片付けていく。
エデンはありがたさと、どこか釈然としない気持ちに首を傾げながら外へ出ると、待機していたダリヤに声をかけられた。
「これで、あらかた終わったわね。……どうしたの?」
「あ、いえ。使用人の皆さんが、とても良くしてくださるので」
「そう?」
ダリヤが傍で作業していた使用人に目を向けると、ちょうど目線が合い、丁寧にお辞儀をしてくれた。
「……いつもと変わらないじゃない」
「それは、ダリヤだからでは?」
「お嬢様、エデン様。戻りましたぞ」
振り返ると、オスカーがキーシュを連れてこちらへ歩いて来るところだった。
キーシュの肩を落とした様子に、エデンの眉も自然と下がる。
「……結果は、芳しくありませんでしたか?」
「んー、駄目だった。やっぱり種なんて置いてない。癒し草なんて、森に入ればいくらでも生えてるからって。高い物でもないし」
「そう、ですか」
「あ、でも月見草の方はあったよ! オスカーさんが交渉してくれてね、少し安く買えた!」
キーシュが嬉しそうに、種の詰まった小袋を掲げる。
「そうですか。片方だけでも入手できたのは朗報です。ありがとうございました」
「二人とも、ありがとう。少し休んだら?」
「え? あり……?」
キーシュは一瞬ポカンと口を開け、次の瞬間、耳まで真っ赤に染まった。
「っ、ううん。いい! ぼ、僕もほら、皆と畑やってきます!」
叫ぶように言い残し、彼は袋をオスカーに預けると、子供たちの輪へと走っていってしまう。
「……どうしたのでしょう?」
「ほっほ。お礼を言われたのが、純粋に嬉しかったのでしょうな。誰かの役に立って感謝されるという経験は、なかったのかもしれません」
「そう、ね。キーシュ、どうだった?」
「まだ落ち着かない様子ですが、流石に店に入るのは慣れてきましたな」
「それは……まあ、焦らずにいきましょう」
ダリヤの視線の先で、キーシュが子供たちに迎え入れられる。
「ふふ、楽しそうじゃない」
「はい。ですが、まだ何も成していません」
今はまだ、場所を整えているだけ。
エデンが真剣な眼差しで子供たちを眺めていると、美味しそうな香りが漂ってきた。
背後では、クラリスとリリカ、そして数人の使用人が昼食の準備を進めている。
「……クラリスさん。すみません、お手を煩わせるようなことを」
「え? あ、ううん。いいのよ! あの、ギルドがね、気を使ってくれて、えっと、よ、よろしくって!」
「よろしく?」
エデンが首を傾げると、隣でお皿を並べていたリリカが同情するように目を細めた。
「……クラリスさん。あなたに、腹芸は無理です」
「そ、そうですか? ……私も、そう思います」
「ん、どういうことですか?」
「いえ。お気になさらず。それより、アリシアさんが来ましたよ」
リリカの視線を追ってエデンが振り向くと、黒剣を背中に背負ったアリシアが、護衛を三人引き連れて上機嫌に歩いてくる。
いつものように駆け寄ってくることなく、のっしのっしと。
「……アリシア?」
アリシアはエデンの前でピタリと止まると、太陽を背に黒剣を抜き放ち、眩い空へと掲げた。
「おねえちゃん! アリシアたち、でんせつの薬草さがしに、たびに出るから!」
背後の護衛たちから、示し合わせたような歓声が上がる。
「……癒し草ね」
「うん! でんせつのいやし草さがしに、たびに出るから!」
「……夕方までには、帰ってきてね」
「うん!」
周りの大人たちが微笑ましく拍手を送ると、アリシアの鼻が大きく広がった。
大丈夫だろうか?
どこか興奮した様子で、頬がいつもより赤らんでいるように見える。
「あ、アリシア? あのね、一度落ち着いて?」
「うん! おちついた!」
「そ、そう? 護衛についてくださった皆さんの言う事をちゃんと聞いて、危ないことはしないでね?」
「うん!」
元気よく頷く様子は、とても活発で落ち着き等感じられない。
「と、とりあえず、マップの使い方覚えてる?」
「うん! さいしゅモードでしょ?」
「そう。採取モードにしたら、探知範囲内にある素材の場所が分かるから。今回は癒し草と種、あと月見草も欲しいから、素材指定に登録して――」
エデンの必死な背中を見て、クラリスがため息を吐いた。
「クラリスさん? どうされました?」
「いえ……あんな小さな子が、両親の残したお金を出しているのに……私ときたら」
「……言わないでください。私もです……」
リリカが手を止めて、額を抑えた。
「エデンさんが食費などを計算されて、かなりギリギリだと」
「そうなんですか?」
「はい。調薬に使う魔道具、良い値段しますね。まあ、致し方ないことですが」
「そう、ですか……」
クラリスが子供たちの方をじっと見つめる。
畑にしゃがんで作業しており、小さな背中が動いている。
「……お風呂につれていくくらいなら、なんとか……」
「そう、ですね。あとは……古着でも、見繕ってきましょうか」
二人並んで、少し遠い目をしてしまう。
「私……恥ずかしいのですが、蓄えがそんなに無くて……」
「言わないでください、私もですので。……ですが、クラリスさんが来てくださって助かっています」
「……そうですか?」
回りを見れば、それなりの人数の使用人が動いている。
「はい。毎日今日のようにはいきません。なので、クラリスさんがいて下さるのは心強いです」
「ふふ。ご飯を作ってあげることくらいしか、できませんが」
クラリスが鍋の中をかき混ぜていると、そこへ少し不満気なダリヤが割って入った。
「あなた達はいいじゃない。私なんて、黙って見てるだけよ」
「お嬢様。それは、お立場というものです」
「そう、ですね……ダリヤ様が畑仕事や調理をするわけにもいきませんし……」
「……私だって、雑草の一本や二本抜けるわよ」
その声が聞こえていたのか、エデンがアリシアを連れて戻ってきた。
「ダリヤ? 何を言っているのです?」
「え? だってほら、私、今も何もしていないし」
「今はそうかもしれませんが」
エデンは一歩前へ出ると、ダリヤの目を真っ直ぐに見つめた。
「これを成功させるには、あなたが必ず必要です」
「え? それって、どういう――」
その言葉を遮るように、畑の方から子供の泣き声が響き渡った。
「……何事ですか?」
「何かあったのかしら」
「特に転んだりといった様子は、見受けられませんでしたが」
視線を向けると、泣いてる子をモニカが宥め、他の子もその場に集まっている。
泣き止まないのに困り顏のモニカと視線が合い、エデンはそちらに駆け寄った。
「モニカさん。どうしました?」
「あ、あの、エデンちゃん。ごめんなさい、あの……」
モニカが申し訳なさそうに視線を伏せる。
鳴き声に釣られ、その場にいたほとんどの人が集まる中、ルークが頭をかきながら変わりに答えた。
「あ、あー……なんだ。貧民街に戻ることになるかもしれないって、話に出てな」
「嫌だって泣き出しちゃって。でも、ずっとここにいれるって、決まったわけじゃないし」
「お、お願い、泣かないで。迷惑になっちゃうから……」
モニカが焦った様子でその子の背中を撫でるが、顔をうずめて首を振っている。
なんとか励ましたいが、しかしそれは事実だ。
回復薬を作ることが出来なかったら、あるいは売れなかったら、結局貧民街に戻るしかない。
その事実にエデンもかける言葉を失い、眉を下げる。
すると、アリシアが黒剣を、ザクッと畑の土に突き刺した。
「だいじょうぶ!」
明るく澄んだ声に、皆の視線が彼女へと集まった。
「きっとうまくいく!」
剣の柄に手を預け、幼いながらに凛と立つアリシア。その姿に、泣いていた子も顔を上げた。
「みんなががんばったら、だいじょうぶ!」
一変の曇りもない自信に満ちた声。暗かった雰囲気が払拭され、子供たちの瞳に希望が宿った。
たまらず、エデンも目を見開いてしまう。
きっと、根拠のない自信。
でもその明るさに、エデンもつられて笑いそうになり――。
「だって、おねえちゃんができるって!」
「……え?」
アリシアの一言で、皆の視線がエデンへと移った。
「おねえちゃん、すっごいんだから!」
「え?」
「すっごくあたまよくて、つよくって、なんでもできちゃうんだから!」
「え?」
「おねえちゃんができるって言ったから、ぜったいだいじょうぶ!」
アリシアの、キラキラと輝く信頼の眼差し。
子供たちも、この中で一番背の低いエデンのことを、期待に満ちた瞳で見つめている。ルークとモニカだけは、苦笑いを浮かべているが。
「……そ」
そんな事言ってない!
なんでもはできないし、魔力が使えない今、たぶんこの中で一番弱い!
だけど、流石にこの流れで事実を言えば、その後どうなるかくらいは分かってしまう。
エデンは震える右手を握り――。
「も、もちろんです! 私の演算では必ず成功します! 皆さんが一生懸命頑張れば、何も心配はいりません!」
「ほんとっ!?」
「わぁっ! やったぁ!」
エデンの断言に、子供たちの歓声が上がる。
振り上げた拳を、下ろしたい。
あと、大人たちの同情するような視線が、とても苦しい。
「ですが、まずはご飯を食べて、その後は畑を使えるようにしなくてはいけません。皆さんが準備してくださったのでお昼にしましょう」
お昼と聞き、子供たちが元気よく駆けていく。
大人たちも苦笑いを浮かべながら、配膳へと戻っていった。
そして、なんともいえない顏で残ってくれたダリヤの肩を、エデンは掴んだ。
「ダリヤァ! ど、ど、どうしましょう!」
「まあ、もうとことんやるしかないわね」
「これで、もし無理でしたなんてことになったら……アリシアに……」
視線の先では、子供たちと一緒にアリシアもお昼を食べている。
ダリヤは笑いながら、エデンの背中を叩いた。
「でも、やることは変わらないわ。ただ、最善を尽くすだけよ」
「……そう、ですね」
そうだ、やることは変わらない。
エデンはもう一度、残された右手をぎゅううっと握り閉めた。
「……こうなったら、絶対に、成功させてみせます!」




