112話 観測開始:5年20日目 / 一方大人たちは
坑道の深部、地面が無残に陥没して口を開けた巨大な闇。
その穴の中へ、バンダは手に持っていた松明を放り投げた。
遠ざかっていく火が、岩肌を赤々と照らし出しながら通路の底へ落ちる。燃え続ける炎を確認し、バンダは1つ頷いた。
「窒息の心配はいらねえみたいだな」
「だとしても、これじゃ暗くてよく見えないじゃない」
「よし。ちょっと見てくるか」
「ちょおっ!? ま、待て!」
シエルは縁に足をかけると、バンダの制止を聞かず飛び降りた。
軽やかに着地し、かざした掌からまばゆい光球を放つ。
視界に入ったのは終わの見えない長く続く坑道。前も後ろも、静寂がはるか先まで支配していた。
「……どっちに行けばいいのだ?」
「まだどっちにも行かねえんだよ!」
音を立てて隣に着地したバンダが、不機嫌そうに周囲を睨む。
「まずはここに防衛拠点を設置するって作戦だろうが。先走るんじゃねえ」
「分かっているぞ? その先の話だ」
シエルは腕を組み、闇の奥を見通すかのように鋭く目を細める。
そこへ、上から投げ降ろされた縄はしごを伝って、トトとシェリーがゆっくりと下りてきた。
「先走らないでよ。エデンとアリシアが心配なのは分かるけどさ」
「そうよぉ。でもまあ、早く帰りたいのは同感。私も早く、あの可愛い子二人をハグしたい!」
体をクネらせるシェリーから、三人はそっと視線を逸らした。
その時、足元の岩盤から微かな振動が伝わった。
シエルが反射的に剣の柄に手をかける。
「……また来たか」
「まあ、そりゃそうだろ。巣はこの先にあんだしな」
「シェリー。馬鹿やってないで、後ろ見ていてくれ。そっちからも来るかもしれない」
「はいはい。危なくなったら言ってね」
軽口を叩きながら、シェリーは振動から背を背けた。
シエルは無言で剣を抜くと、通路の奥へと一筋の閃光を放つ。
光に照らされ、魔蟻の巨体が不気味なシルエットを浮かび上がらせる。
「……上位種ではないのか」
どこか落胆の混じった声に、トトが苦笑いを浮かべた。
「まあ、こっちの方が坑道は長いらしいし。上位種が出てくるのはまだ先なんじゃないかな」
「はあ。ったく、先が長いぜ」
バンダが愚痴りながら、魔法で生成した人の頭ほどもある巨石を撃ち放った。
殻をぶち抜かれた蟻が吹き飛びながら地べたを転がる。だが、その亡骸を乗り越えて、さらなる群れが押し寄せてきた。
「……やはり、まだまだ帰れそうにないな」
*********
「バルガス様! 廃坑にて、バンダ殿たちが戦闘を開始いたしました!」
仮設テントの中に届けられた報告に、地図を睨んでいたバルガスは「む?」と顔を上げた。
「……まだ、廃坑には入らない予定では?」
「はは、すみません。一人、マイペースな仲間がいるもので」
「そうか……それで、バンダ殿たちは?」
「はっ。すさまじい勢いで魔蟻を蹴散らし、既に奥へと突き進んでおります!」
「ははは……」
ジンは苦笑いしながら、改めて地図に視線を落とした。
現在稼働中の坑道は完全に制圧した。残るは廃坑だが。
「……バルガス様。やはり、拠点は廃坑の中に作りましょう」
「だが、それは危険ではないか? 坑道側であれば、一か所を守るだけで足りる」
バルガスの懸念に、ジンは首を振った。
「守るだけであれば足りるでしょうが、目標は制圧です。廃坑側に足場を作れば、背後の安全を確保しながら探索が可能になります」
「ふむ……エッフェン、どう思う?」
バルガスが問うと、隣で沈黙を守っていた目つきの鋭い騎士が頷いた。
「理にはかなっているかと。廃坑は南北に伸びているおり、南側が封鎖された入口へ続いていると思われます。早急に南側を制圧し、順次北側へ進むのが最も早く片が付きます」
「そうか……。よし、ならば――」
「失礼致します!」
バルガスが指示を出そうとするが、一人の騎士が焦った足取りでテントへと滑り込んできた。
エッフェンが「どうした?」と低い声で尋ねると、騎士は一通の手紙を差し出した。
「オスカー殿より、緊急の早馬です!」
騎士はジンをちらりと一瞥し、エッフェンの耳元で囁いた。
報告を聞いたエッフェンの顔色が、一瞬で変わる。彼はバルガスへ駆け寄ると、その内容を耳打ちした。
「……ジン殿。すまない、少し待ってくれ」
「あ、はい」
ジンが何事かと身を固くする中、バルガスは迷いなく目の前で手紙を広げた。
「バルガス様、部外者の前では……!」
「構わん、時間が惜しい。それにジン殿であれば、つまらぬ口外などすまい」
バルガスの眼が文字を追うにつれ、その瞳が鋭くなっていく。
まとう空気がピリピリとした殺気に震え、読み終えた手紙は、彼の腕の中で無残に握りつぶされた。
「……くそっ」
「バルガス様、オスカー殿はなんと?」
「ダリヤが攫われかけた」
その一言に、テント内の騎士たちが一斉にざわめき立つ。
バルガスはそれを手で制し、深く息を吐いた。
「一度は敵の手に落ちたそうだが……幸い、怪我もなく無事に戻ったらしい。偶然居合わせた者に助けられたようだが、詳細は戻ってから報告するとある」
「……いったい、どこの愚物がお嬢様を!」
声を荒らげるエッフェンに同調するように、周囲の騎士たちからも怒気が溢れ出す。
「調査中だ。だがオスカーのことだ。既に突き止めているかもしれんが……」
バルガスは腕を組み、数秒間、苦悶するように目を閉じた。
「私がいま、ここに釘付けになっていることも、狙われた理由の1つかもしれん。……エッフェン、何人か連れてネストに戻れ。私が帰還するまで、一瞬たりともダリヤから離れるな」
「む、しかしバルガス様。こちらも手薄にするわけには」
「なんとかなるだろう。何しろ人類最強の一角、その助力を得ているわけだからな」
バルガスの瞳に射貫かれ、ジンは居心地悪そうに身じろぎした。
「買いかぶりすぎですよ」
「そうか? 私はそうは思わんがな」
「……まあ、依頼については安心してください。数が多いので時間はかかりますが、必ず達成しますので」
ジンはそう言って立ち上がると、もう一度地図へと視線を送った。
ここから先は、地形の分からない中での戦いになる。
「俺も廃坑に入ります。なるべく早く終わらせて、ネストに戻りましょう」
「そうだな。よし、エッフェン、指揮系統を再編する! 遅くても明日には発て! 他の者たちは拠点を作るぞ! 物資も運び込め! 一刻も早く、我々もネストへ帰還する!」
「「「はっ!」」」
活気に沸き立つテントを後にし、岩肌を歩きながらジンは小さく独り言を漏らした。
「貴族の令嬢を誘拐しようとするなんて、ね」
バルガスに取り乱した気配は見えなかったが、娘が攫われかけたとあれば、今すぐにでも戻りたいだろう。
ふと、自分が預かっている友人の娘たちの顔が浮かび、ジンは腕を組んだ。
「……んー。あの子たちは、元気にやってるかなあ」
*********
冒険者ギルドの執務室。
テーブルの上に、アダルマンの感心した声が響いた。
「ほう。回復薬を」
「はい。今日はその準備で、街中を駆けまわっていますよ」
クラリスが湯気の立つカップを4つ並べると、ガランが早速その1つに手を伸ばした。
「あの嬢ちゃんたち、そんな特技あったのか。……お、この茶うめえな」
「でも子供だけで作るんでしょ? そんな上手くいく?」
フリオが首を傾げたが、クラリスはソファに座ると、どこか微妙な表情でお腹をさすった。
「それが、準備にはエルネスト家の使用人も協力してくださってまして。資金は出せないけど、人と物は多少出せるということで」
「はー。そういえば、ダリヤ様と仲良さそうにしてたもんね」
フリオも感心したように頷くが、クラリスはため息を吐いた。
「私はもう、胃が痛いですよ……。あの子たち、ご両親が残したお金、ほとんど全部使っちゃったんですよ?」
「ふーん。いくらくらい?」
「……金貨四枚近く」
「ぶふっ!?」
その金額に、ガランが派手にお茶を吹き出した。
「へー。それを、見ず知らずの孤児にねえ」
「見ず知らず、でもなくてですね……」
初対面はひったくり未遂。それが貧民街からの脱出で再会し、今は何故かこんなことに。
クラリスが憂鬱そうにお茶を啜ると、アダルマンが背もたれから身体を起こした。
「だが、問題は質の良い回復薬を作ることが出来るかだろう。そこに勝算はあるのか?」
結局、どれだけお金をかけて準備しようと、使える物が出来ないと意味はないのだ。
その問いに、クラリスは「あー……」と困惑したように視線を泳がせた。
「……それがあの子たち、回復薬どころか上級回復薬も作ることが出来るみたいで」
「はあっ!? おいおい、流石にそんなわけないだろ」
「……もしそれが本当なら、当然回復薬は作れるね」
「そうか……上級、か」
アダルマンが重々しく呟くと、膝の上で指を組んだ。
「……回復薬は、我々ギルドとしても喫緊の課題だ。今の状況を思うとな」
「あ、はい。エデンちゃんは、だからこそ勝機があると」
「……あの子、五歳じゃないの?」
「は、はい。す、すごいですよね。あはは……」
フリオが目を細めてクラリスを見つめるが、クラリスは曖昧に笑うことしか出来ない。
そんな中、アダルマンが一度頷いた。
「よし。うちも一枚噛むぞ」
「あ? 回復薬作りにか?」
「ああ。作れるという前提があるなら、最初から貸しを作っておいた方がいい」
「あー、確かにね。どうせどこも欲しがってるだろうし」
「後になれば商業ギルドを通す必要が出てくる。それは面倒だ」
鬱陶しそうにアダルマンは言うが、フリオはそれを聞いて首を傾げた。
「でも、勝手にやるとなんか言ってこない?」
「そうだ。だから恩を着せておくだけだ」
アダルマンは言い放つと、呑気にお茶を飲んでいたクラリスを見据えた。
「クラリス。お前は明日から休暇だ。子供たちの生活を助けてやるといい」
「え? ……え、ええっ!?」
「……なんだ。子供は嫌いか?」
「い、いえ、そうではないですけどっ」
「それからガラン、フリオ。貴様らも時々顔を出せ。なんなら子供たちの遊び相手にでもなってやるといい」
「あ? まあ、暇つぶしにはなりそうだがよ」
「んー、確かに子供だけだと困ることもあるか」
当然のように納得し始めた二人を見て、クラリスは呆然と呟いた。
「……え? ……本当に?」




