107話 観測開始:5年18日目-7 / 紅の令嬢と灰塵の孤児
「そうですね。奪われてしまうこともあるのでしょう」
「お嬢様。あの子たちにもう来客は帰ったと、お伝えしてきます」
「ええ。それと、皮も剥いてあげて」
果実はその大きさに反して皮が厚く、子供たちの力では食べるのに苦労している。
リリカが歩み寄りながら小ぶりなナイフを取り出すと、子供たちは怯えた表情で後ずさった。
「安心してください。これは皮を剥くための道具です。それに、不届き者は帰られましたから、もうゆっくり召し上がって大丈夫ですよ」
「はっ!? ど、どうやって?」
「穏便に帰って頂きました。食べやすくしますので、お預かりしても?」
「……お、おう」
リリカの瞳に射すくめられ、ルークは警戒しつつも果実を差し出した。
スルスルと、まるで魔法のように皮が剥かれ、果肉が露出する。
他の子供たちも恐る恐る、手に持った果実をリリカに差し出していった。
「これが、貧民街の日常ですか」
「そうね。持たざる者がさらに下の者から奪う。子供の細い腕で生き抜くには、ここはあまりに、不条理が過ぎるわ」
「ふーん……」
アリシアは床にしゃがみ込み、一心不乱に食べる子供たちを、飽きることなくじーっと見つめていた。
「どうしたの?」
「んー……あの子たちも、パパとママ、いないの?」
「うん。子供だけで生活してるみたい」
「それじゃあ、アリシアたちといっしょだね」
向けられたその言葉に、エデンは首を振った。
「ううん。私たちは冒険者だから、生活する方法がある。それに、シエルさんたちみたいに助けてくれる人もいるから」
「そっかあ。それだけで、こんなにちがうの?」
「その差が……あまりにも大きいのかもね」
生まれも、境遇も、着ている服の清潔さも何もかも、違うように思える。
「やっぱり……わたしたちは、恵まれているのでしょうか」
エデンが自問自答するように呟いた。
その時、奥の部屋からふらりとキーシュが現れた。
「……みんな、何食べてるの? 甘い、匂いがする……」
壁に手をつき、今にも倒れそうな足取り。
ルークが立ち上がると、リリカが剥いたばかりの果実を手に駆け寄った。
「お、おい。起きても大丈夫なのか? お前の分もあるけど、食えるか?」
「……う、うん。……少しなら」
その場に腰を下ろすと、受け取った果実に縋るように口をつける。
すると、モニカがチラチラとこちらを見て立ち上がった。
「あ、あの……」
「モニカちゃん、どうしたの?」
アリシアが笑いかけるが、モニカの耳には届いていないようだった。
彼女はただ一人、ダリヤだけを凝視し、そして床に膝をつくと頭をこすりつけた。
「お、お願い、します。助けてください」
「モニカ! お前なに言ってんだ!」
ルークは慌てて駆け寄ると、モニカの肩を掴んで引き起こそうとした。
「貴族なんかに頼るな! どうせ、なんもしやしねえ!」
「で、でも……もう無理だよ! ルークだって分かってるでしょ!」
モニカが叫び返しながら顔を上げると、その瞳から大粒の涙が溢れ出した。
「ほとんど何も食べられない! みんな元気なくなっちゃって――」
「俺がなんとかするって言ってるだろ!」
「なんとかって!? この前も捕まりそうになってたのに!」
「つ、次はもっとうまくやる! 失敗しなきゃいいだけだろ!?」
「適当なこと言わないで!」
二人の言い争いを前に、リリカはダリヤの耳元へ静かに口を寄せた。
「お嬢様。いかがされますか」
「……なんにせよ、今のまま放置はできないわ。オスカーが戻ったら相談しましょう」
ダリヤの言葉に、モニカが驚いたようにぱっと顔を輝かせた。
「た、助けてくださるのですか?」
「ええ。貧民街をそのままにはしておけないもの。取り壊して再開発するか、抜本的な整備を加えるかは検討が必要だけれど、街にとって――」
領主の娘として、彼女なりに精一杯考えた言葉だったのだろう。
しかし、ルークは引きつった笑いを漏らした。
「ハハッ……てめえ、なんも分かってねえよ」
「……何が?」
「この先貧民街がどうなろうと、そんなもん、俺たちの知ったこっちゃねえんだよ!」
彼は吐き捨てるように絶叫すると、足元に落ちていた果実の皮を拾い上げ、汚れた掌でぐちゃりと握り潰した。
皮の間から、甘く瑞々しい果汁が溢れ出す。
それは、ルークの指にこびりついた泥と混ざり合い、どす黒く濁った粘液となって、床へとボタボタと落ちていった。
「俺たちがほしいのはな……! 明日食える飯なんだよ! それだけなんだ!」
ルークはその汚れた手を、ダリヤの鼻先に突きつけた。
ダリヤは思わずのけぞり、リリカが彼女の姿を隠すように前に出るが、ルークの口は止まらない。
「次にほしいのは、明後日に食える飯だ! 他の奴らのことなんか、どうでもいいんだよ! 貴族のご高説ならよそでやりやがれ!!」
「や、やめてルーク!」
モニカが必死にルークの足にしがみつき、彼を止めようとする。
ルークの剥き出しの怒りに当てられ、ダリヤは瞳を揺らしながら、何一つ言葉を返せずに立ち尽くしていた。
「……うるさいよ。……もう、帰ってもらったら?」
キーシュの弱々しい声が響いた。
彼の傍では、他の子たちも不安そうに声を押し殺している。
エデンは一度、彼ら全員の姿を記録領域に焼き付けると、「分かりました」と頷いた。
「帰りましょう。お礼は、届けることが出来ましたので」
「え、でも……」
「お嬢様。今は、帰られるほうがよろしいかと」
リリカに促され、ダリヤは唇を噛みながら背を向ける。
エデンも後に続こうとしたが、アリシアだけはまだ、寄り添い合う子供たちを見つめていた。
「アリシア? 帰りましょう」
「ん、うん。……ねえ、おねえちゃん」
埃の漂うリビングから外へと踏み出していく。
隣を歩きながら、アリシアは首を傾げると、エデンの袖を握りしめた。
「あの子たち、たすけてあげられないの?」
「そうね……」
子供たちの置かれた状況。そして、自分たちにできること。
エデンはそっと、後ろを振り返った。
ルークの濁った瞳が、玄関から出ようとするダリヤの背中を、怨嗟の色を込めて追っている。
その暗い眼差しにギズーの幻影を重ねながら、エデンは小さく首を振った。
「私とアリシアで助けてあげるのは、難しいね」
*********
夕食を終え、もふもふとした寝間着に着替えたアリシアは、ソファの上で唸り声を上げながら足をぶらつかせた。
「うむむ……」
ちらりと隣へ視線を向ける。
そこでは、急ぎの作業中であるエデンが、寝間着姿のまま微動だにせず座っていた。
屋敷に戻ってからというもの、周囲にはどこか重苦しい空気が漂っている。
ダリヤも「調べたいことがある」と言って、リリカとどこかへ消えてしまった。
エデンの表情はいつも通り見えるけれど、アリシアには分かる。
「うーん……やっぱり、ちょっとつめたい?」
寝間着の上から、自分の胸をぽんぽんと叩く。
ここ数日は、少しだけど温もりが伝わってきていたのに。
エデンのコアは、雰囲気に引かれるようにどこか冷めている。
アリシアはお行儀悪くソファの上に立ち上がると、物言わぬ姉を見下ろし、フンスと鼻を鳴らした。
「いまこそきっと、アリシアのでばん! ……たぶん!」
難しいお話は分からない。
けれど、お姉ちゃんを元気づけることなら、自分でも出来ると思えた。
「たあっ!」
ソファから飛び降り、エデンの正面に回り込む。
ふにふにと柔らかな頬を指で突き、反応がないことを確認。ついでにその感触を堪能する。柔らかくて気持ちいい。
満足したアリシアは、迅速に行動を開始する。いつ起きてしまうか分からないのだ。
「んー……おねえちゃんが、元気になるもの……」
真っ先に思い浮かんだのは、大好きだったパパとママの顔。
けれど、それを思い出すと自分まで寂しくなってしまう。目に浮かびかけた涙を、アリシアは手の甲でゴシゴシと拭った。
「んんんっ! ちがう、べつの!」
ぶんぶんと首を振り、記憶の中を確認する。
ルルはさっき食べてしまった。他に姉が笑っていた瞬間といえば……。
思い出そうと頑張るが、思い出すのはやはり両親と共にいる時。それと、自分が抱き着いた時も、時々笑っているかも。
「えへへ。おねえちゃん、アリシアのこと好き?」
無意識にエデンへ抱き着き、その体をもふもふと堪能し――。
「ほおっ!? だめだめ!」
違う、そんなことしてる場合ではない。
結局、思いつかなかったアリシアは、一つの仮説にたどり着いた。
「うん。きっと、ぬいぐるみさんが好き! たぶん!」
エデンは頻繁に、魔法の練習と称して氷の動物を作っている。
きっとそうだ。好きって聞いた事はないけど、そういうことにしよう。
そうと決まれば、やることは一つ。
アリシアはエデンの手を引いて屈み込むと、倒れかかるように預けられた姉の体を、その小さな背中にしっかりと乗せた。
身体強化を発動させて立ち上がると、何も背負っていないかのようにものすごく軽い。
「よし! ダリヤーッ!」
扉を勢いよく開け、隣の部屋へと急行する。
ドンドンとノックを連打するが、返事はない。
アリシアは迷わず扉を開けて中に入った。
「ダリヤ? いないのー?」
リビングを横切り、奥へとつながる扉を次々に開けていく。
しかし、どこにもダリヤの姿はない。
すると、背負っていたエデンの体がずるりとバランスを崩した。
「おっと! お、おちちゃう! ダリヤーッ、どこー!?」
大声で叫びながら最後の扉を蹴るように開けると、そこには天蓋付きの大きなベッドが鎮座していた。
ダリヤはいなかったが、アリシアの目はベッドの上に釘付けになった。そこには、ダリヤが大切にしている猫や兎のぬいぐるみが、行儀よく並べられている。
急ぎベッドに駆け寄ると、エデンの体ごとダイブするように柔らかい寝具へと倒れ込んだ。
「せ、セーフ? ……うん、きっとセーフ」
エデンの顔面がベッドに沈みこんでいるが、きっと大丈夫。
ゴロンと仰向けに直し、その腕の中に大きな猫のぬいぐるみを無理やり抱かせてあげる。
これで起きたら、きっと喜んでくれること間違いなし。
「うん! うん。……うーん?」
数歩下がって眺めてみたが、サイズのベッドに対して、エデンと数個のぬいぐるみはあまりにも寂しく見えた。
そういえば、さっきいろんな物が置かれている部屋があったはずだ。
アリシアは寝室を飛び出し、先ほど見つけた収納部屋へと足を踏み入れた。
「ダリヤー!? ぬいぐるみさんどこー!?」
ドレスの波をかき分け、クローゼットを次々に開放していく。
そしてとうとう、一つの扉を開いた瞬間、雪崩のようにぬいぐるみが溢れ出した。
「お、おーっ!!」
アリシアの瞳が歓喜に輝く。
大きな犬から手のひらサイズのリスまで。
アリシアは掴めるだけのぬいぐるみを抱え込み、バタバタと引きずりながら寝室へ往復した。途中ドレスがひっかかったり、何かぶつけたかもしれないけど。
ぽいぽいっとエデンの周囲に投げ込み続けること数回。
ついにエデンの体は、モフモフとした毛皮の山に埋もれて見えなくなった。
「ふいー、がんばった!」
満足げにかいてもいない汗をぬぐうと、アリシアもボフボフとベッドによじ登った。
意識のないエデンの青い瞳が、虚空を見つめたまま淡く輝いている。
アリシアはその顔に、仕上げとばかりに兎のぬいぐるみをギュゥッと押し付けた。
続いて彼女の体に密着するように隙間を埋めていくが、途中で手がピタリと止まった。
「んー。……ここはアリシアの場所!」
並べたぬいぐるみを足蹴にして退け、エデンの左側のスペースを確保する。
そこにゴロンと横たわり、相変わらず無反応な姉の首に腕を回した。
「えへへぇ」
起きたらどんな顔をするだろう。驚いて、それからアリシアを見て笑ってくれるだろうか。
そんな幸福な想像に耽り、うひひとニヤついていると。
部屋の入口から、ダリヤの悲鳴が響き渡った。




