106話 観測開始:5年18日目-6 / おなかペコペコ!
「いいえ。これはダリヤの厚意に、お世話になっているのです」
「へー。……あっそ」
ルークは、これ以上の会話を拒絶するように鼻を鳴らすと、再び視線を大通りの雑踏へと向けた。
「いいから、どっか行けよ。俺たちゃ忙しいんだ」
「ご、ごめんなさい! ルークはちょっと口が悪くて、その、馬鹿なだけなんです! だから、気にしないでくださいっ!」
「いえ、私は気にしてませんが」
モニカが必死に頭を下げる。
背後では、無礼な少年をどう扱うべきか、護衛たちが困惑と不快の混ざった表情で顔を見合わせていた。
「ルーク……くん? たちもおしごとなの? ダリヤもね、さっきままでお仕事してたんだよ! いっしょだね」
「……へー、あっそ。えぐっ!?」
「ルークってば! 捕まったら、帰れなくなっちゃうんだからね!」
モニカの細い腕が、ルークの襟首を力いっぱい引っ張った。
咽せながら振り返ったルークの瞳が、エデンの肩越しに立つダリヤを捉え静止する。
「ご令嬢様が、俺たちの仕事を見学すんのか?」
「……盗みは、犯罪になるわよ?」
ダリヤが視線を逸らしながら、絞り出したような声で応じる。
その正論を聞いて、ルークは唇を歪めて嘲笑った。
「まだ、なんもしてねえよ。それとも、俺たちが手を出すまでそこで待っててくれんのか?」
「……いいえ。ただ言っただけ、よ」
「ふーん……ねえねえ、モニカちゃんは何がほしいの?」
「え? あ、ううん、何も欲しい物なんてないの」
「そうなの?」
「そ、そう! 何もないの。わ、私たち、そろそろ――」
モニカが早口にまくし立てて逃げようとした時。
彼女の薄いお腹から、大きな音が鳴り響いた。
すぐ傍でその音をキャッチしたアリシアが、ぱあっと顔を綻ばせた。
「わかった! モニカちゃん、おなかぺこぺこ! ごはんがほしいんだ!」
「ち、違う! 違うから!」
顔を赤らめながら必死に否定するが、さすがに今の音は全員が聞こえている。
先ほどまでルークが見つめていた露店を見ると、そこには大きな果実が並んでいた。
「なるほど、あれが欲しかったのですか。アリシア」
「ん? なあに?」
「あ、お、おいっ!」
エデンはアリシアの手を引くと、無言のまま大通りへと引き返した。
通りを横切りながら、思考の中でぐるぐるとよく分からない衝動が渦巻いている。
何故こんなことをしているのかと思いながらも、露店の店主の前に立ち声をかけた。
「すみません。そちらの果物を、3ついただけますか」
提示された代金を、アリシアに頼んでポーチから出してもらう。
支払いを済ませながらも、エデンは「んー」と、自分の行動に首を傾げ続けていた。
すると、背後から追いかけてきたルークに肩を掴まれた。
「お、おい。なんのつもりだ?」
「ええと……なんのつもり、なのでしょう?」
「……はあ?」
質問を質問で返され、ルークが呆れたように眉を下げた。
「なんだよ、哀れな孤児への施しのつもりか?」
「いえ。施すつもりはないのですが。……おそらく、先日のお礼? でしょうか」
「……なんでお前が分かってないんだ」
「おねえちゃん! おじさんカゴもくれた!」
振り返れば、アリシアが嬉しそうに果実の詰まったカゴを両手で抱えていた。
それをルークへと差し出したが、彼はしばらくじっと見つめると、受け取ろうとはせずに顔を背けた。
「……足りねえ」
「え?」
「七個。……本当は、七個必要なんだ。……待ってるやつも、いるから……」
「そうですか」
追加でもう一つカゴに入った果実を購入し、ルークがそれを受け取り脇道へと戻る。
モニカの戸惑いに満ちた視線に対し、エデンは「先日のお礼です」とだけ、事務的に告げた。
「あ、ありがとう……」
「礼なら、遠慮せずもらっておくぜ! サンキュ!」
ルークがアリシアの手からカゴを受け取ろうとするが、エデンは身体を滑り込ませた。
「いえ、私も一緒に行きますので。アリシア、カゴを貰ってもいい?」
「え? なら、アリシア持ってくよ? おもくないもん!」
「ちょ、ちょっと待ちなさい! エデン、あなた貧民街に行くつもり!?」
「はあ!? ついてくるのかよ!?」
ダリヤの制止とルークの罵声が重なるが、エデンは気にした風もなく、アリシアが持つカゴの取っ手を右手でしっかり掴んだ。
「アリシアは駄目。危ない場所だから」
「そうなの? でもおねえちゃん、今まほう使えないじゃん」
「そ、そうだけど……でも、気になるから」
「じゃあアリシアも行く! いっしょに行こ!」
「ちょ、ちょっと待ちなさい! 二人だけで、行かせられるわけないでしょう!?」
ダリヤが悲鳴に近い声を上げると、自分を無視して進んでいく会話に、ルークも声を荒らげた。
「何勝手に決めてんだ! ついてくんなよ!」
「駄目でしょうか? 私たちが購入した果物なのですが」
「そ、それはそうだけどよ……!」
「だめっていわれても、こっそりついてく! えへへ」
「アリシア。それは少し、はしたないかも」
「えー」
「……ああ、もう! 勝手にしろよ! そんないい所じゃねえぞ!」
ルークは吐き捨てるように叫ぶと、鋭い視線をダリヤへと向けた。
「お前たちはついてくんなよ!」
「な、どうしてよ!?」
「貴族なんて信じられるか! そこの護衛、テメエのだろ!?」
泥に汚れた指が、ダリヤの護衛たちを指す。
護衛たちが困り顔になる中、静観していたリリカが、アリシアの手からカゴを取り上げた。
「貧民街まで少し距離がありますし、このカゴは私が持ちましょう。お供は私だけで。それなら良ろしいでしょうか?」
「……知るか! ついてきたいなんて、頭イカれてんじゃねえか!?」
「あっ、る、ルーク! ま、待って!」
不機嫌を撒き散らしながら歩き出したルークを、モニカが慌てて追っていく。
それを見て、リリカと護衛たちが無言でサインを送り合った。
何を伝えているのかは分からないが、それよりも。
「アリシア、ダリヤ。危ないかもしれません。私だけで行きます」
本当にただ、自分の目で確認したいだけなのだ。目的なんて、無いに等しい。
すると二人は――こともあろうにアリシアですら、呆れ顔で見つめてきた。
「……今のおねえちゃん、よわいじゃん」
「あなた、左腕も無いでしょう?」
「そ、そう、だけど。でも、ダリヤ。あなたこそ、本当に行って良いのですか?」
行く気満々といった様子のダリヤの傍に、リリカは当然のような顔で控えている。
本来、貴族の令嬢が足を踏み入れる場所ではないだろう。
それなのに、ダリヤは路地の奥へと進み始めた。
「まあ、街の視察の一環よ。貧民街の様子は、いつか確かめたいと思っていたの。前はそれどころじゃなかったから……改めて、ね」
「安全は確保いたします。エデンさんもご安心ください」
いつの間にか、護衛たちの姿が消えている。
エデンが行動の早さに驚くと、アリシアがエデンの袖を引っ張った。
「ルークくんと、モニカちゃん。アリシアたち、おともだちになれるかな?」
「それは……どうだろう?」
彼らから向けられた視線には、どこか拒絶の色があった。
エデンがあまり良いとは言えなかった反応を懸念していると、アリシアはもう声を上げながら駆け出していた。
「モニカちゃーん、まってー!」
前を行く二人に追いつくと、モニカと並んで話始めてしまう。
エデンはダリヤと並んで歩き、追いつくころにはアリシアが笑いながら口を動かしていた。
「ねえ、モニカちゃんはどうぶつさん、何がすき?」
「え、えっとね。……ネコちゃん、かなあ。ふわふわしてるし」
「ネコちゃん? アリシアはね、クマさんがすき! あと鳥さんも!」
他愛のない会話が続くのを後ろから眺めていると、隣を歩くダリヤが小声で話しかけてきた。
「……驚いたわ。アリシアって、あんなに話す子なのね」
「そうですね。……私も……知りませんでした」
「え? でも、あなたの妹でしょう?」
「はい。ですが、アリシアは家で過ごすことが多かったので。村の子供と遊んだことは、ほとんどありません。私に至っては、一度も無いので」
前から流れてくるアリシアの笑い声とは対照に、足元の石畳は泥に汚れ、鼻を突く生活の澱みが少しずつ濃くなっていく。
「それって、私より箱入りじゃない。何か理由でも?」
「私は元々、人の体を持っていませんでした。突然、アリシアそっくりの子供が村に現れれば、私のことが露見してしまいます」
「あー……それもそうね」
ダリヤが納得したように頷きつつ、周囲の不快な臭気に顔をしかめる。
路地の先、いよいよ貧民街へと差し掛かったところで、先を歩いていたルークが、怪訝な表情でエデンへと近づいてきた。
「なあ。アリシアの奴、一昨日とまるで違うんだけどよ。本当に同じ奴か?」
「……いいえ。あの時は……」
ただ黙々とうつむいて歩くアリシアの姿を思い出し、エデンの胸がぐっと苦しくなる。
「……少し、喧嘩をしていたので。もう問題ありません」
「そうなのか? まあ、そろそろ静かにしないとな」
ルークはそれだけ告げると、ダリヤには一度も視線を向けず、モニカたちの元へと戻っていった。
それから数分。
静寂の中、アリシアが口を手で塞ぎながら歩き続け、一軒の廃屋の前でルークが足を止めた。
「ここだよ。今は、ここに隠れ住んでる」
「……これは、崩れているのでは?」
「屋根が傾いてるわね」
「……屋根があるだけマシだ」
建物全体が不自然に斜めになり、腐った木材の臭いが漂う小さな家。
エデンとダリヤが率直な感想を漏らすと、ルークは吐き捨てるように顔を背けた。
「私たちと会ったのはもっと奥でしたよね。てっきりそちらに暮らしているのかと」
「はあ? あんな危険なとこ住めるかよ。最近変な奴らが増えたから、偵察に行ってただけだ」
ルークはそう言いながら、歪んだ扉のノブを掴んだ。ギギギッ、と耳障りな金属音を立てて開いたわずかな隙間に、モニカと共に身体をねじ込むようにして中へと消えていく。
リリカが周囲を警戒し、安全を確認してから、エデンたちも玄関を潜った。
かつてはリビングであったろう部屋に顔を出すと、ルークとモニカが、四人の子供たちと床に座り込んでいた。
彼らもまた、ルーク同様にボロボロの布きれを纏い、顔色は一様に悪い。
アリシアより少し年上、六、七歳ほどだろうか。
そのうちの一人がこちらに気づくと、怯えたようにルークの背中にしがみついた。
「ルーク……。あいつら、だれ?」
「……知らねえ。けど、殴ってきたりはしねえよ。それよりほら、食い物持ってきたからよ、食っちまえ」
その言葉に、子供たちの視線がルークの抱えるカゴに釘付けになる。
ルークが気まずそうにエデンたちを振り返った。
「おい、そっちのもくれるんだろ」
「はい。もちろんです」
リリカが預かっていたカゴを差し出すと、子供たちに瑞々しい果実が分配されていく。
歓喜というよりは、切実な飢えを瞳に宿して果実を受け取る子供たちを見て、ダリヤが唇を噛んだ。
「ひどい生活ね。……あの子たち、みんな痩せてるじゃない」
「食べ物を得るだけで一苦労なのでしょう。先ほどルークたちが盗みを働こうとしていた理由が、よく分かります」
四人が部屋の端で成り行きを見守っていると、ルークとモニカが子供たちを急かし始めた。
「早く食べろ! 急げ!」
「みんな、口に入れるの。ほら、齧って」
その言葉に従うように、子供たちは味わうわけでもなく、一心不乱に皮の上から齧っていく。
「……何故、あんなに急いで食べているのでしょうか?」
「みんな、おなかぺこぺこだから?」
「それもあるだろうけど、でも……何かしら?」
その時、外から鈍い衝撃音と、何かが地面に崩れ落ちる音が響いた。
リリカが「下がってください」と手で制止し、玄関の扉を音もなく開ける。
そこには、二人の男がうつ伏せに転がっており、その傍らには護衛たちが武器を手に立っていた。
「あ、リリカさん。すいません、すぐ片付けますので」
「いえ。その男たちは?」
「ハイエナどもです。子供たちが食い物を持っているのを察知して、押し入ろうと。殺してはいませんよ」
護衛の一人が男の身体を担ぎ上げる。
「少し前から、ずっと嗅ぎまわっていましたからね。ちょっとそこらに、捨ててきます」
リリカの背中越しに聞こえる会話に、エデンは目を細めた。
まったく気づかなかった。魔力センサーが使えないだけで、これほどまでに無防備になってしまう。
「食べ終わってしまえば、奪われることもない。だからあんなに急いでいたのね」




