105話 観測開始:5年18日目-5 / キューちゃん専用奉納窓口
視界の明度が急激に落ちたかと思うと、上空から一筋のスポットライトが降り注いだ。
目の前の空間に出現したのは、まばゆい光を反射する巨大な立方体。
カラフルな装飾が施されたその箱の上には、ガラス細工のように透き通った二羽の小鳥が羽根を広げ、中央の銀プレートには『キューちゃん専用奉納窓口』と刻まれていた。
その物体は物理法則を無視し、エデンの目の高さでふわふわと浮いている。
「ちょっ……!?」
「おーっ!? なにこれ、おねえちゃん! 何かでてきた!」
アリシアの歓喜の声をかき消す勢いで、箱からオーケストラ調の壮大なBGMが鳴り響く。
あまりの騒音に、エデンはキューレへと叫んだ。
(こんな人込みの中で、一体何を始めているのですか!?)
(ん? ああ、心配無用だ。これは貴様たち二人にしか見えていないからな!)
(……そ、そうなのですか?)
通行人たちは、誰も騒音を気にする様子もなく通り過ぎていく。
ただ笑顔で手を叩き、音に合わせて体を揺らすアリシアの姿を、微笑ましく思えばいいか困っているような目で見つめる視線だけは、確実に存在していた。
(……つまり、周りから私たちは、突然はしゃぎ出した子供に見えているのですか?)
(その通り! 理解が遅いな!)
「あ、アリシア。こっち来て!」
キューレへ悪態をつきながら、アリシアの手を引いて建物の隙間へと逃げ込んだ。
狭い路地裏に入っても、その悪趣味な箱は当然のように音楽を奏でながら追尾してくる。
(なんて、悪趣味な……)
(さあ、それではメインイベントだ! 我が至福の時を刻む奉納箱……オ~~~~~ップン!!!)
箱の前面が仰々しく観音開きになり、奥から溢れ出した眩い青光に、エデンとアリシアは思わず腕で顔を覆った。
「まぶしーっ!?」
(キューレ! あなた、絶対に許しません!)
(ふはははっ! 刮目せよ! これが我の領域へ通ずるゲートよ!)
(眩しくて見えないのです!)
ようやく光が収まり、幾度も瞬きをして焦点を合わせると、そこには青い魔力の渦がゆったりと回転していた。
どこか神秘的に見える光景に、アリシアが顔をほころばせる。
「すごーい! きれいだね!」
確かにきれいなのだが、感心している場合ではない。
「あの、アリシア。朝、『インベントリ』をもらったって話をしたの覚えてる?」
「ん? うん。した!」
「その相手が……えっと、この先にいるんだけど……お腹を空かせているから、食べ物が欲しいんだって」
自分で説明していて、なんとも現実味のない話に眉が下がる。
だけど、アリシアは「そうなの!?」と驚きに目を見開き、コクコクとうなずいた。
「じゃあ、一個あげる! えっと……この中にいるの、だあれ?」
「そ、それは……」
この奥にいるのは、管理者と名乗る、謎のふざけた奴だ。
そんな者を、アリシアに認知させるのは――。
「……よ、妖精、さんよ……」
目を逸らしながらつぶやくと、アリシアの瞳がきらっと光った。
「ようせいさん!」
「そ、そう。だから、一つだけあげましょう」
(ふはは! 妖精か! その幻想的なラベリング、不本意ではあるが受け入れて――)
(黙ってください)
アリシアからルルを1つ受け取ると、彼女が興味津々といった様子で問いかけてきた。
「ようせいさん、なんてお名前なの?」
「名前?」
(キューレ様だ! いや、アリシアには特別に、キューちゃんと呼ぶことを許して――)
「妖精さん、お名前ないみたいなの」
エデンがにっこりと笑顔で答えると、アリシアは「そうなんだぁ」と納得したように頷いた。
エデンは覚悟を決め、奉納箱の正面に立つ。この不気味な渦に手を突っ込むのは抵抗があるが、アリシアにさせるわけにはいかない。
ルルを持つ手をそっと伸ばし――。
(はっはっは! 美味そうな方を頼むぞ!)
その声に、エデンの手がピタリと止まった。
手の中のルルを回し見ると、艶やかでよく熟れ、仄かに甘い匂いが鼻腔を刺激する。
対してアリシアが持つ方、表面にほんの小さな傷が付いているのが見えた。
「……アリシア。交換しましょ。はい、こっち」
「え? あ、うん。……なんで?」
「妖精さん、こっちが欲しいんだって」
ルルを右手に握りしめ、エデンは腕を魔力の渦へと突き通した。
肘のあたりまで差し込むと、視覚上では腕が消失しているが、痛みや熱さは感じない。
すると、握っていたルルがサッと奪われた。
(ふはは! ご苦労! これで、これでやっと紅茶以外の物が口にできる! ふははははっ!)
歓喜の声を聞き流しながら腕を引き抜くと、何も変化はない。
エデンが小さく息を吐くと、アリシアが期待した目で尋ねてきた。
「ようせいさん、よろこんでた!?」
「うん、そうね。……すっごく、うれしそう」
エデンが疲れた様子で視線を落とすと、足元に落ちていた石ころが目に入った。
無言でそれを拾い上げ、再度渦へと手を突っ込む。
そして、ぱっと手を離した。
――レロッ。
「うひいいいぃぃぃっ!?」
指先に突然感じた生ぬるい感覚。
悲鳴を上げながら腕を引き抜くと、奉納箱の光が明滅し、受け取りを拒むように石ころがポイッと放り出さた。
(……ッ、あ、あ、あなた! 舐めましたね!? わたしの指を!)
(つまらんことをするからだ! ふーはっはっはっは!)
「あ、アリシアぁ。お、お水、お水出して!」
魔法の水を生成してもらい、半狂乱で右手を洗い流す。
最後に、満足げなキューレの声が遠ざかっていった。
(また次回も期待しているぞ! さらばだ!)
その言葉と共にうるさい音楽も、悪趣味な箱も、すべてが霧散した。
「おー。消えちゃった」
「……はあ……疲れた」
アリシアに手伝ってもらいながら手を拭っていると、背後からリリカの声がかけられた。
「お二人とも、こんなところにいらっしゃったのですね。探しましたよ」
*********
「ふーん……美味しそうね」
「お嬢様。仕入れを吟味されるのは、お嬢様の職務ではありませんよ?」
「分かっているわよ。でもこれだけ山盛りに積まれていると、食卓とは印象が違うじゃない」
露店に並ぶ瑞々しい葉野菜の山。
ダリヤはその緑を愛おしそうに見つめてから、ふっと視線を逸らした。
「商売の邪魔をしてごめんなさいね。美味しそうな野菜だわ」
領主の娘として微笑むダリヤに、店員の女性は感激した様子で頭を下げた。
上機嫌で次の露店へと足を向けるダリヤの背中を見つめ、アリシアがコテンと首を傾げた。
「ダリヤさっきまで、ぷんぷんしてたのに」
「そうね。悪いの、私たちだけど」
馬車に戻ると、護衛に囲まれたダリヤが、不機嫌そうに腕を組んで待っていた。
今はダリヤの希望で、こうして市場を視察して回っている。
ダリヤの燃えるような赤髪に、人々は彼女がエルネスト家の令嬢であるとすぐに察したらしい。
波が引くように道を譲り、子供は親に手を引かれ端へ寄っている。
武装した護衛に囲まれて歩むダリヤの姿は、この街の権威を表しているようだった。
そして傍を歩く小綺麗な装いのエデンたちにも、興味の視線が注がれていた。
「ダリヤは、随分と慕われているのですね」
向けられる視線の中に、敬愛の色が多い。
するとダリヤは、少しだけ苦笑いを浮かべて振り返った。
「違うわ。皆が慕っているのは私じゃない。ダリヤ・エルネストよ」
「ん? それって、ダリヤでしょ?」
「ネストを守り治めるエルネスト家。その権威と武威が保証する安全な生活を、皆は受け入れているのよ。私はまだ何もしていないわ」
改めて周囲を見渡すと、遠巻きに足を止め、笑顔で手を振ってくる者もいる。
それが家名への敬意なのか、それとも彼女自身の魅力なのか。
その判別は分からないが、エデンは何気なくダリヤの背中へと告げた。
「……それでも、いずれはダリヤが、この人々を守ることになるのですね」
その言葉に、背後で控えていたリリカが誇らしげに頷いた。
「はい。その通りです。必ずそうなるでしょう」
「ちょ、ちょっと。跡を継ぐのはお兄様でしょう? 私は将来、嫁いで家を出ることになるかもしれないんだから」
「ダリヤ、けっこんするの!?」
「それは、おめでとうございます」
「いずれの話よ!? まだ相手すら決まってないんだから!」
顔を林檎のように染め、ダリヤが背中を向けてしまった。
エデンが不思議そうにリリカを見上げると、彼女はただ温かな眼差しでダリヤの背中を見つめている。
そうして露店を見て回っていると、突然アリシアが「あ!」と声を上げ、前方にある細い脇道を指差した。
「おねえちゃん、あの子たちいるよ! えっと……だれだっけ?」
「ルークとモニカね。キーシュは、いないみたいだけど」
「え? どこ?」
ダリヤの視線が、アリシアの指の先を追っていく。
大通りの賑わいから外れた建物の陰。
ルークとモニカが、地面に這いつくばるようにして身を隠し、鋭い視線で露店を伺っていた。
獲物を探すルークの服の裾を、不安げな表情のモニカが握りしめている。
「彼らは……」
「……この街には、まだやらなければならないことがたくさんあるわ」
「孤児、ですか」
「貧民街もね。もう、ずっと長いこと手をつけられずにいるの」
苦々しく目を細めるダリヤの傍らで、エデンはリリカのスカートをそっと掴んだ。
「あの子たちもいずれ……ギズーのような大人になってしまうのでしょうか」
「それは分かりません。きっと、誰にも断言はできないでしょう。……お嬢様を、貧民街から連れ出してくださった子たちですか」
分からない。エデンにも、何も分からない。
「……ですが、そうなってしまうのは、なんとなく……嫌ですね」
「そうね。……確かに、不平等なのかもしれないわね」
「はい。彼らが持っている選択肢は、あまりに少ないのでしょう」
「おねえちゃん、あの子のこと気になるの?」
二人の沈んだ空気を察したのか、アリシアが不思議そうに首を傾げた。
「うん。ちょっとだけ、ね」
「それじゃあ、おはなし聞いてみたら? ダリヤも!」
「え? ちょっと、アリシア!?」
止める間もなく、アリシアはエデンとダリヤの手を掴むと、物陰に潜む二人へとズンズンと突き進んでいく。
ダリヤと二人で踏みとどまろうとしても、アリシアの力が強く引きずられてしまう。
ルークたちに歩み寄ると、アリシアが口を開いた。
「こんにちは! なにしてるの!?」
「おわあっ!?」
「あ、アリシア!」
アリシアの元気すぎる挨拶に、ルークが飛び上がった。
「な、なんだ!? って、お前らかよ」
「こ、こんにちは? ど、ど、どうしたの?」
「いえ。偶然、お見かけしただけで」
「二人ともお買い物? ねえ、いっしょにいこ!」
「おわっ、テメエ! 大きな声出すんじゃね――」
アリシアの脳天気な提案に、ルークが慌ててその口を塞ごうと手を伸ばす。
その瞬間。
無言で横から鋭い切っ先が伸び、ルークの指先数センチのところで止まった。
「坊主、離れろ」
ダリヤの護衛が、警戒した目でルークを威圧する。
するとルークの瞳が、反抗心でギラリと光った。
「……あんだよ、てめえ」
「ちょ、ちょっとルーク!」
護衛を睨みつけるルークの服を、モニカが泣きそうな顔で引っ張る。
エデンは咄嗟に、護衛の腕を掴んだ。
「ま、待ってください! この子たちは、私の知り合いです」
「む。しかし、ですな」
「いいから、剣を下ろしなさい。必要ないわ」
ダリヤの落ち着いた声に、護衛は剣を引くと一歩下がった。
だがその目は依然としてルークを射抜き、ルークもまた、負けじと敵意を込めて睨み返した。
空気が冷える中、アリシアは何も起きていないかのように明るい声を響かせる。
「ねえねえ、モニカちゃんたちはお買い物にきたの?」
「え? あ、ううん。違うけど……」
「あのな! 俺たちが物買えるような金、持ってるように見えるか?」
「そうなの? じゃあ、なにしてるの?」
「アリシア。ちょっと待って」
ルークの眉が吊り上がるのを見て、エデンはアリシアを背後に引いた。
「偶然見かけたので、声をかけたのです。先日は助かりました。ありがとうございます」
「お? いや、気にすんな。……それより、お前ら――」
ルークの瞳が、エデンとアリシアの身体を、頭から爪先までなぞるように移動する。
汚れのない小奇麗なワンピース。手入れの行き届いた髪。一昨日の汚れにまみれた姿とはまるで違う。
ルークは、吐き捨てるような苦笑いを浮かべ、顔を背けた。
「……なんか、けっこう良い生活してるみてえだな。……おめでとよ、良かったじゃんか」




