もう一体の吸血鬼
「リズ。お前に、言うこと、ある」
アウスバーグが作戦のために一度村を離れることになったため、一旦その場は解散となった。
その後ノアと家に戻る途中、アイラがおもむろに声を掛けてきた。
「何よ。夕食にはまだ早いでしょう?」
「違う。あたしのこと」
「アイラのこと?」
あたしが聞き返すと、アイラは小さく頷いた。日は高く、ほのかに暖かさもあるというのに、アイラは厚手のコートを羽織り、フードを目深に被っていた。その陰から覗く表情にはあまり感情というものが感じられなかった。
「……いいわ。何かしら?」
あたしはノアと顔を見合わせた後で先を促した。本音を言えばレミリアとの戦いの傷がまだ癒えておらず、先程アウスバーグともやり合った後なので少し休みたかったけど、アイラが食事以外で自分から声を掛けてきたのはこれが初めてだった。口数の少ない彼女が何を語るのか、多少興味があった。
それに、アウスバーグが戻った後はまた慌ただしくなる。そうなると落ち着いて話を聞けるのは当分先になってしまうだろう。
「……見てもらう、早い」
そう言って、アイラはフードを下ろした。短く切り揃えられた真っ黒な髪が露わになる。一瞬苦虫を噛み潰したような表情を見せた後、おもむろにあたしに顔を近付けてきた。相変わらず感情は見られなかったけど、その目は大きく見開かれていた。
そこで、あたしはアイラが何を言いたいかを理解した。
「……なるほどね。あなたもそうってわけ」
あたしが言うと、アイラは小さく頷いた。その瞳は真っ赤に染まっていた。
「意外。驚かない?」
「驚きはしたけど、意外ではないといったところね。吸血鬼が一体だけとは誰も言ってないわけだし」
あたしは肩を竦める。思えば、ここはレミリアという吸血鬼が治める村だ。条件付きではあるけど、彼女たちにとってある意味腰を落ち着かせられる安全な場所とも言える。
「それで、この際だから聞いておきたいんだけど」
話を聞いていたノアが口を挟んだ。
「この村にいる吸血鬼はレミリアとアイラちゃんだけかい? ボクからするとカーラも怪しく思えてくるけど……」
「他には、もう、いない。カーラ、人間」
ノアの質問に、アイラは端的に答えた。その最中も降り注ぐ日光を眩しそうに顔をしかめ、額に滲んだ汗を拭っていた。
あたしはアイラに歩み寄ると、フードを再び被せてやった。成体のレミリアと違って、幼いアイラはまだ日の光を完全には克服できていないのだろう。アイラはフードを両手で目深に抱えながら、火照った顔で小さく「ありがとう」と言った。
「言葉尻を捉えて申し訳ないんだけど、もういないとは?」
「言葉通り。今は、いない」
「その言い方だと、前はいたように聞こえるけど」
「いた。前は三体。もう一体、いた。出てって、もう、いない」
「ふーん、意外と吸血鬼って多いのね」
あたしは率直な感想を口にした。吸血鬼はその認知度に比べて目撃数が圧倒的に少ない魔物だ。あまりに珍しいため、一時期は伝承上の存在とまで言われていた。それがかつて一つの場所に三体もいたという事実は、少なからずあたしを驚かせた。
「それで、何で出て行っちゃったの? この村、王様がアレなことを除けば結構平和そうだけど」
「うん、平和。だけど、そうじゃない時、あった。盗賊、村、襲った」
あたしは思わず奥歯を噛み締めた。いつだって庶民は危険と隣り合わせで生活している。領民の保護に積極的ではない統治者の場合は特にそうだ。
だけど、賊にとって不運だったのは、この村には自衛の手段があったことだろう。
「敵、十人ぐらい。あたしとあいつで、返り討ち、した。全員、殺した。だけど」
「だけど?」
「あいつ、死体、食べた。レミリア、絶対だめ、言ってた。でも、我慢、できなかった。それで、思い出した」
「ニンゲンの味」
「それから、あいつ、変わった。間もなく、村、出てった。もう、五年、前」
アイラはどこか寂しそうに言った。彼女にとっては同胞であり、姉妹のようなものだったのだろう。
「お前ら、吸血鬼、詳しい。見かけたら、教えて。あいつ、名前、ミリ」
「吸血鬼ミリ……!」
アイラが口にした名前を、ノアは苦々しい顔で受け取った。
「ノア、知ってるの?」
「……まあ、キミは覚えちゃいないだろうし、覚える気もなかっただろうけどさ。前にキミがカノンと戦った、あの吸血鬼の名前だよ」
呆れ声で言われて、遅ればせながら盗賊のアジトで戦った吸血鬼のことを思います。言われてみればそんな名前だと言っていた気がする。
「ミリ、知ってるか!?」
アイラはこれまでになく目を見開いて、感情を露わにした。
「知ってたら、教えて! あいつ、今、何してる!?」
「彼女は……」
ノアは珍しく言い淀み、あたしに目を遣った。アイラにとって大切な存在だったであろうミリのことをありのまま伝えるべきかどうか、さすがのノアも迷ったのだろう。
あたしは一つ息を吐いた。それは、覚悟を決める時間だった。
「――アイラ。落ち着いて聞いて」
あたしは少し屈んで、アイラに目線を合わせた。そして、その小さな肩に手を置きながら言った。
「あなたの言った吸血鬼ミリは、確かに知っている。でも、あいつはもういないの」
「……いない?」
「そう。あたしが殺したからよ」
あたしはアイラをまっすぐ見た。その事実を口にした瞬間、アイラの目は大きく見開かれ、言葉が出てこないようだった。
「正確にはとどめを刺したのはあたしの仲間なんだけど、あたしが殺したことには変わりないわ。だから、あの子の仇はこのあたしよ」
「リズペット!」
「事実なんだから仕方ないじゃない。こういうのは、はっきりと伝わるように言わないと」
背中越しにノアの言葉に応じながら、アイラの反応を待った。思えば、魔物を倒すことが誰かの仇になるということを意識するのは、今回が初めてかもしれない。
「……そう」
しばらくして、アイラは落ち着いた様子で、短く言った。
「教えて、くれて、ありがとう」
「……あたしを憎まなくていいの?」
「複雑。仲間、いなくなって、寂しい。でも、人間、襲わなくなった、安心。お前も、身を守るため、仕方ない。悲しいけど、仕方ない」
アイラはぽつぽつと、消え入りそうな声で呟いた。同胞の死を単純な気持ちで片付けるには、彼女は人間との生活に馴染み過ぎているのかもしれない。
「悪いけど、レミリアにも、教えてあげて、欲しい。レミリアも、あいつのこと、気にしてた」
「わかった。後で伝えておくわ」
「助かる。それと、今日のご飯、お前ら、自分で、作って、欲しい」
それから、アイラは最後に付け加えるように言った。
「あたし、今日は、家で、寝る」
*
作戦の準備を終えたアウスバーグが村に戻り、レミリアの屋敷に足を踏み入れたのは、その日の夜のことだった。
昼間はあたしと剣を交え、それから休む間もなく辺りを駆け回ってきたはずなのに、少しも疲れた様子を見せないあたり相当タフなのだろうと思った。思えばこの男、昨日は夜中に馬を走らせた後おそらく近辺で野宿をしているのだろうから、単にタフという言葉で済まされないのかもしれない。
アウスバーグはあたしとノア、それにレミリアの姿を認めると、少々怪訝な顔を見せた。
「どうしたね?」
「いや、貴殿らの表情がどこか暗いような気がしてな。何かあったのか?」
「……何もないね。いいからさっさと座るね」
何事もなかったかのようにレミリアが言うと、アウスバーグは少々眉を寄せつつも、素直に腰を下ろした。
「それで、お前の言う作戦とやらを教えるね。準備はもうできたね?」
「こちらの準備は万端だ。だが……」
そこまで言って、アウスバーグはどこか言いにくそうに口淀んだ。
「正直なところ、この作戦を伝えるのは非常に心苦しい。リズペット殿も言った通り、此度の一件は王家と我々貴族の問題だ。そこに被害者である貴殿らを巻き込むのは――」
「今更まどろっこしいことを言うなね」
ぴしゃりと、レミリアは言い放った。
「あーしが死ぬか、あーしが化け物に戻るか。この未来を覆せるなら、あーしは何でもやるね」
「乗りかかった船だから、あたしも手を貸すわ。何でもはやらないけどね」
「そうそう。ボクも忘れないでよね?」
レミリアの言葉にあたしとノアも乗っかると、アウスバーグも覚悟を決めたように頷いた。
「わかった。では作戦を伝える。が、その前にレミリア殿よ。貴殿は死ぬことはあるのか?」
「? まあ、不死身ではないね。昼にも言った通り、心臓をやられたらお仕舞いね」
「つまり、そう簡単には死なないということだな?」
「お前は回りくどいね。何が言いたいかはっきり言うね」
「失礼。では単刀直入に言わせてもらおう」
少々苛立ったように言うレミリアに向かって、アウスバーグはその言葉を告げた。
「レミリア殿よ。一つこの私に殺されてはくれぬか?」




