先方の条件
暗い部屋の中で目を覚ます。ゆっくり身体を起こし、周囲を見回すと粗末な家の壁が目に入った。呼吸は乱れ、背中にはじんわりと汗が滲んでいた。
どうやら、いつの間にか眠ってしまっていたらしい。僅かに痛む脇腹が、リアルな現実を思い出させる。
久し振りに、昔のことを思い出していた。
何も知らない子供だったあたしに現実を教えてくれた、あの一件のことを。
「……貴族なんて、どこも似たようなものなのね……」
あたしは深く溜め息を吐いた後で、自嘲気味に呟いた。
あれから、城を抜け出したあたしたちは、道中で追手を撒くために二手に分かれた。戦えるあたしは一人になり、テオドールにはベルを守ってもらうことにした。あたしを一人にすることにベルは難色を示していたけど、他に手がないということで押し切った。あたしだって、いつまでも情けない姿を晒すわけにはいかないのだ。
二手に分かれた後は国境付近の関所で落ち合う予定だったのだけど、しばらく待ってもベルたちは現れなかった。やむなくあたしは一人で関所を突破し、国を脱出した。テオドールがいるから滅多なことは起きないと信じているけど、無事に脱出できたことを祈るより他にない。
国を出たあたしは名前を変え、テオドールが持ち出した宝剣一本を頼りに冒険者になった。あたしがガーランドの名前を名乗って有名になれば、いつか二人に会えると信じて。
思索に耽っていたところで、急に家の戸が開いた。薄暗かった室内に光が差し、鮮やかな色が蘇った。
「おっと、起こしちゃったかい?」
戸の先には、ノアが腰に手を当てて立っていた。
「いや、大丈夫よ」
あたしは答えながら、身体を覆っていた毛布を払いのける。
「どのくらい、経ったかしら?」
「大体四時間っていったところかな?」
ノアは懐中時計に目を遣りながら答えた。
「ケガの具合はどうだい? さっきの今でそんなに良くなってるとは思わないけど」
「心配ないわ。まだ少し痛むけど、戦えないほどじゃない。これなら再戦も可能よ」
「そういうことを聞いたわけじゃないんだけどな……」
「それより、あの男はどうなったの?」
呆れるノアに、あたしは疑問をぶつけた。
あの男――グランヴェール王国騎士団長のアウスバーグは交渉のため単身村に乗り込んできた。敵意がないことを見せるため、自身の手を縛った状態で。
レミリアとの戦いもあって疲れていたあたしは、交渉の一切をノアに任せていたのだった。
「ああ、そのことだけどね」
ノアは満足とも苦笑とも取れる表情を浮かべた。
「その前に、お腹空いているだろう? 少し込み入っているから、ご飯でも食べながら話そうじゃないか」
「それは良いのだけど、今から準備するの?」
「いや、アイラがもう用意してくれてるよ。そもそもボクには料理なんてできないからね」
「……まあいいわ。行きましょう」
堂々とした恥ずかしい発言を聞き流しながら、あたしは脇に置いてあった剣を手に取り、立ち上がる。
「まあ、詳しい話はまた後でするんだけど……」
あたしを待ちながら、ノアは少しだけ言いにくそうに言った。
「ちょっとだけ、面倒なことになったかな?」
*
「遅かったね。さあ、さっさと座るね」
ノアに連れられてアイラの家に来たあたしを、レミリアがどっかりと腰を下ろしながら出迎えた。
「……何であなたがここにいるのよ?」
「あーしがどこでメシ食おうとあーしの勝手ね。そもそもアイラは元々あーしの世話係ね。言い換えればあーしのついででお前らもメシにありつけるんだから、むしろあーしに感謝して欲しいくらいね」
「そういうことを言っているんじゃないわよ!」
あたしは叫びながら、腰の剣に手をかけた。
「あたしがあなたを殺そうとしたの、わかってるの!?」
「――それはわかってるね。でも、もう終わった話ね」
あたしとは対照的に、レミリアは何でもないことのように言った。
「お前の事情はよくわからんね。だけど、お互いに力を出し切って、最終的にお前が勝ったね。だから、この話はこれで終いね」
「あんなものっ!」
「――勝ったうちに入らん、とか言って再戦してくるのもやめるね。戦うのだって疲れるね。それに、お前らと同じようにあーしも斬られたらちゃんと痛いね」
「っ! どこまであなたは!」
「――そこまでにするんだ」
頭に血が上った勢いで剣を抜きかけたところで、肩に手が置かれる。
「リズペット。キミの性格はちゃんと理解しているつもりだ。けど、それは今じゃない」
「だけど!」
「ボクはともかく、アイラまでキミのわがままに巻き込むつもりかい?」
あたしははっとなって、今も尚淡々と食事の準備を進めるアイラを見遣った。アイラは室内にも関わらずフードを目深に被り、その表情は窺えなかった。
化け物はすぐにでも退治するべきだけど、狭い室内で、且つノアやアイラがいるこの場所で仕掛けるのは得策じゃない。
今じゃないというのは、奇しくもその通りだった。
「……わかったわよ。レミリア、ごめんなさい」
あたしは剣から手を離し、レミリアに頭を下げた。
「……気にするなね。お前が折り合い付けたのなら、あーしはそれで良いね」
レミリアは少しだけ目を丸くした後、ふっと笑いながら言った。そうして余裕の姿勢でいられるのは、強者故なのか、それとも長年の経験故なのか。
あたしは奥歯を噛み締めながら居間に上がり、かまどの左側に座るレミリアの対角線上になるように着席した。続けて、ノアがあたしの隣に座る。
目の前には刻んだ芋、人参、玉葱といった食材が混ぜられた鍋が、かまどの火でぐつぐつと音を立てていた。僅かに香ばしい匂いがすることから、香辛料も入っているのかもしれない。
アイラは終始無言のまま鍋の中身を木のお椀によそうと、順にあたしたちの前に置いていった。最後に自身の分を取り分けたところで、アイラはようやく空いたレミリアの横に腰を下ろした。
準備ができたとわかるや否や、レミリアは併せて用意された木のスプーンをお椀に突っ込み、おもむろに食べ始めた。「あっついね!」と文句を言いながらも、スープをたっぷり吸って熱くなった芋を躊躇いなく口の中に放り込んでいく。やはり熱かったのか、はふはふと言いながら口の中を激しく動かしていた。
「……キミは、もう少し行儀良く食べられないのかい?」
その光景を見て、ノアは呆れた声を上げるものの、レミリアは食べるのに夢中で耳には入っていない様子だった。
ノアの発言には同意するけど、行儀の悪さで言えば普段の彼女もそう大差ないと思った。
苦笑しつつ、あたしもスープに口を付ける。少しだけぴりっとする食感の後、温かさが全身を駆け巡るような感覚を覚えた。素朴ながら味付けもしっかりされており、非常に味わい深い一品に仕上がっていた。
「おいしい?」
感心していると、向かいに座るアイラがあたしの顔を覗き込んでいた。フードの奥の黒い瞳が、かまどの火で赤く照らされていた。
「……ありがとう。おいしいわ」
あたしは素直な感想を口にした。先程あたしのわがままで場を荒らしてしまったことを内心で侘びつつ。アイラは特に表情は変えずに「そう。よかった」とだけ呟いた。
「それはそうと、ノア、あのめんどくさい男はどうなったね?」
レミリアはあっという間にお椀を空にして、アイラにお代わりを要求しつつ、思い出したかのように言った。
「ちゃんと、あーしが下手人だってこと、信じさせたね?」
「ああ、それなんだけど……」
ノアは食事の手を止めて、少し苦い顔をした。
「結論を言うと、レミリアの言うことを信じさせることはできなかったよ。村長は誰かを庇っている、かの婦人が犯人だというのなら証拠を出せ、の一点張りさ。やはり、レミリアの正体を明かさずに信じさせるのは難しいんじゃないかな?」
「ふむ。やっぱりめんどくさい男ね……」
レミリアは難しい顔をした後、アイラから中身を盛られたお椀を受け取り、再び中を掻き込み始めた。
レミリアも、自身が犠牲になるのは厭わないけど、自身のせいで村に危害が及ぶことは避けようとしている。
レミリアが吸血鬼であることが知れれば、犯人としての信用は得られるかもしれないけど、代わりにこの村が「吸血鬼を匿っていた村」と呼ばれることは避けられない。
それは、レミリアとしても本意ではないだろう。
「……まあ、それはある程度予想していたね。それで、その後はどうしたね? まさかあーしみたいに押し問答だけして終わったってことはないね?」
「それはないけど……ふむ、どこから話したものかな」
「どうしたね。勿体ぶらずに教えるね」
「まあそう急かしなさんなって。そうだね、結論だけ言うと、アウスバーグ卿はこっちの条件次第ではこの村の潔白を王に具申してあげても良いと言っている」
「嘘ね」
あたしは思わず口を挟んだ。挟まずにはいられなかった。
「連中が、辺境の民のことになんて気を遣うはずない。きっと、あたしたちを罠に嵌めるつもりよ」
「……キミが貴族連中にやたら厳しいのはともかく、素直に信用できないのは否定しないよ。でも、ボクらはそれにすがるしかない。何故なら、下手人を差し出せない以上、このままだとこの村は滅ぶしかないわけだからね」
ノアはさらりと、最悪の未来を口にする。その瞬間、さすがのレミリアも食事の手を止めた。
ノアの言いたいことはわかる。元々この村は王太子殺しの罪で焼き払われようとしているのだ。そこに、アウスバーグが「下手人の命と引き換え」で村を助命しようとしている。だけど、そのアウスバーグに下手人――つまりレミリアの存在を認めさせられなかった場合、村は元々の行く先である滅びに向かうしかない。
「それで、奴の言う条件って何なの? まさか、誰か人質を出せって言うんじゃないでしょうね?」
「うーん、人質ではないけど、でも良い線いってるかな?」
ノアは意味深に言いながら、あたしを見た。
「先方が求めているのは、リズペット・ガーランド、つまりキミとの会談だよ」




