第17話「 神逐総長ヴィオ 」
鈍い痛みが、頬の奥でまだ燻っていた。
目を開けると、見慣れない天井が視界に映る。.....いや、ここはアサギの家の客間だ。
俺は短く息を吐き、上半身をゆっくり起こした。
「 ....っ 」
身体のあちこちに、まだ重さが残っている。
ノアの拳──あれが直撃したのか。思い出した瞬間、背中に冷たい汗が伝った。
「 よぉ、起きたか。早かったな 」
不意に声がして、視線を向けると、部屋の隅で本を閉じる苑里がいた。
彼は立ち上がり、軽く伸びをしてから、こちらに顔を向ける。
「 なら、さっさと広間行くぞ 」
それだけ言って、苑里はさっさと部屋を出ていった。
...相変わらずだな、と思いながら、俺もベッドを降りる。
足取りはまだ重いが、ついて行くしかない。
階段を下り、一階の広間へ向かうと──
「お、久遠! もう大丈夫なのか?」
碧が振り返り、笑顔で声を掛けてきた。
俺は片手を軽く上げ、適当に相槌を返す。そのまま空いていた席に腰を下ろした。
広間には、碧のほか、紬や安都、それに苑里がいた。ただ、ノアの姿はない。そして、空気はどこか重い。
会議の前触れのような、そんな緊張感が漂っていた。
「 ──じゃあ、ノアはいないけど始めようか 」
澪が立ち上がり、静かに言った。
その声に、全員の視線が彼女に集まる。澪は、何も言わずに玄関の方へ歩き出した。
その背中から、低い声が零れる。
「 .....行こうか。天響界へ 」
────────
澪さんの宣告から数時間。私たちはバスと徒歩を乗り継ぎ、千葉のとある山奥に辿り着いていた。
「 こんなところに天響界へのゲートがあるのか? 」
碧さんがそう尋ねると、澪さんは曖昧に頷くだけで、足を止めることなく進み続ける。
その後ろを、私たちは無言でついていった。
そして──視界の奥、少し開けた場所に1人の人影が見えた。
ノアさんだ。
「 おーい、澪!それとお前ら。これがゲート 」
ノアさんが指し示した先には、“ ゲート ”というにはあまりにも現実味のない、時空がねじれたような不自然な空間が存在していた。まるで空気がひび割れているみたいでもあった。
「 ノア、先に行くなら置き手紙じゃなくて口頭にしてよ..... 」
澪さんが呆れ気味に言うと、ノアさんは笑って肩をすすくめた。
「 ゲートが消えたりしたら面倒だからね 」
そんなやり取りを見て、私はなんとなく察した。
──この先に、“ 神蝶 ”がいるんだ、と。
「 というか、私たちは天響界で何をするんですか? 」
私の隣で安都さんがそう尋ねた瞬間だった。
「 じゃ、行こっか 」
「 ええ 」
澪さんとノアさんが顔を見合わせ、ためらいなく時空の歪みの中へと飛び込んでいった。
私たちは、ぽつんとその場に取り残されていた。
「 俺たちも行くか 」
そう語り苑里さんも躊躇なく飛び込む。
またもや取り残された私たちは各々躊躇しつつも3人に続いて飛び込んでいった。
────────
ゲートを潜った瞬間、目の前に広がった景色に、思わず足が止まった。
空の色も、吹き抜ける風の匂いも、さっきまでいた世界とほとんど変わらない。
なのに──胸の奥が、じわりとざわめく。ここは確かに“別の世界”だ。
「 .....ここが天響界か 」
自分でも気づかぬうちに、その言葉が口をついていた。そして、久遠が隣で呟く。
「 というか、こう見ると日本と天響界って瓜二つだな 」
その声に促されるように、俺は視線を巡らせた。
鬱蒼とした山の稜線の向こうに、まるで模型のように整った街並みが広がっている。
ガラス張りの高層ビルが立ち並び、舗装された道路を車が規則正しく流れていた。
「 じゃあお前ら、行くぞ 」
前を歩いていたノアが、振り返りもせずに声を放つ。
「行くって……どこに?」
ノアは無造作に足元を指差した。
「 この山の最深部。神逐の本拠地だ 」
その声音には、不思議な重みがあった。
空気が一瞬にして冷たく張り詰め、誰も軽口を挟もうとはしない。
俺たちは互いに小さく頷き合い、山の奥へと足を踏み入れた。
────────
神逐本拠地の入口は、山肌と完全に同化していた。
目の前にあっても、それが施設だと確信することは難しい。
慎重に辺りを見回す安都が
「 本当にここなのですか? 」
と言うと、険しい目つきのノアが
「 あぁそうだ、黙って付いてこい 」
と少し怒った口調で返した。
ノアが背を丸めず真っ直ぐ歩き出すと、俺たちはその後を追った。
岩肌が迫る細い通路を抜けた瞬間、空気がひやりと変わる。
足音が金属質に反響し、湿った冷気が頬を撫でた。
無表情で周囲を観察する久遠が
「 .....思ったより近代的だな 」
と呟く。
確かに、壁には白い光のラインが走り、黒い柱が等間隔に立ち並んでいる。
その間を淡々と歩く人々の足音だけが、静まり返った空間に響いていた。
鋭い視線を前に向けたままのノアが
「 立ち止まるな 」
と短く言う。
俺たちは無言で歩を進めた。
一歩ごとに、目に見えない境界を越えていく感覚が強くなっていった。
やや大きな扉の前で、案内役のように先を歩いていたノアが突然立ち止まった。
その背筋は僅かに強張っていて、俺にもこの奥にただならぬ存在が待っていることが伝わってきた。
口元に薄い笑みを浮かべたノアが
「 いいか、アイツは男だ。分かったか? 」
と言うと、場違いなほど軽い声音が耳に残った。
それでも、俺たちの心臓は早鐘のように高鳴っていた。
──この奥にいるのは、天響界を統べる神逐トップ。
重厚な扉が、軋むような音を立ててゆっくりと開いていった。
中から漏れ出す冷たい湿気が、肌を撫でる。
視界にまず飛び込んできたのは、人の形を成さない“ 液体の塊 ”だった。
立方体のように空間を満たすそれは、淡い青色に揺らめきながら、まるで意思を持つかのようにこちらを遮っていた。
「 ....総長さんは? 」
困惑したように紬が声を漏らす。
澪は溜息を吐くと、無言で液体を指さした。
そして、すぐにノアが追うように息を吐き──
「 総長。客人です.....そこで能力を使わないで下さい 」
少し呆れた声で呼びかけた。
すると、液体の中から微かな人影が形を成し始める。
やがて姿を現したのは──少女のように華奢で、あまりにも中性的な人物だった。
「 ...ご、ごめん。つい癖で.... 」
彼は小さな声で謝罪した。
長い銀髪が光を受けて揺れ、怯えたような瞳が此方を泳ぐ。
声も仕草も女の子のようだが、ノアの言葉が頭をよぎる。
思わず言葉を失う俺をよそに、ヴィオは胸の前で手を組み、困ったように笑った。
「 は、初めまして....。神逐総長の、ヴィオです... 」
ヴィオが名乗り終えた直後、場に微妙な沈黙が広がった。
澪が口を開きかけたとき、紬が勇気を振り絞るように前に出る。
「 ....私は朝比奈 紬。天響界の── 」
言葉は最後まで続かなかった。
『 敵襲! 敵襲! 』
けたたましい警報音が本拠地全体に響き渡り、床が振動で揺れた。
遅れて轟音が耳を劈き、壁の向こうで爆発が起きたのだと直感する。
ヴィオの瞳が一瞬で鋭さを帯びた。
さっきまで臆病そうに見えた表情は消え、総長のそれへと変わる。
「 全員、配置につけ!一般隊は東側の守りを固めろ!迎撃部隊は北門へ急行! 」
立て続けに指示を飛ばしながら、こちらを振り返る。
「 君たちは私と共に動いてもらう。いいな? 」
言葉は短く、だが命令に近かった。
俺は頷くしかなかった。
俺たちは再び、通ってきた廊下を駆け戻る。
すれ違う神逐の隊員たちは既に武装を整え、誰一人として立ち止まらない。
その緊迫感に胸が圧迫される。
「 ....さっきまでの静けさが嘘みたいだな 」
碧が小さく呟くと、ノアが吐き捨てるように
「 余計なこと言うな。集中しろ 」
と返した。
出口へ近づくにつれ、空気が熱を帯びていく。
外の戦闘が近い。
やがて外へ飛び出すと、視界を覆ったのは崩れかけた木々と、揺れる煙の壁。
焦げ臭い匂いが鼻を刺す。
その中央に──二つの影が立っていた。
どちらも人の形をしている。だが、人ならざる威圧感が皮膚を突き破るように伝わってくる。
一歩、前へ踏み出した片方の影が口を開いた。
「 待ちくたびれたぞ。誰が我の相手をしてくれるんだ? 」
低く響く声。挑発するような笑み。
まるで、俺たちが来るのを待ち構えていたかのように。
剣呑な沈黙の中、誰もが次の一手を読もうとしていた。
────────
神逐本部が騒然となった瞬間、私は遠く離れた森の陰からその様子を見ていた。
鬱蒼とした木々の隙間から、慌ただしく駆け出す神逐隊員たちの影が揺れている。
「 .....彼ら、神逐相手に戦えるかな 」
思わず零れた呟きは、森の静寂に溶けた。
その時、奥の茂みを割って白蓮が軽やかに飛び出してくる。
「 何かあったの? 」
腕に抱き上げると、白蓮は振り返って短く鳴いた。
私はその仕草を見て、森の奥に視線を向ける。
──気配。
足音すらないのに、確かにこちらへ近づく者がいた。
「 久しぶりだな。上手くやってたか? 」
懐かしい声が耳を打つ。
「 あ....お久しぶりです!何とかやってますよ 」
ほんの短いやり取りだけを交わし、その人影は闇に紛れて去っていった。
きっと、そちらの任務も終えたのだろう。
なら、ここから先は──
「 神蝶の独壇場ね 」
ここまでお読みいただきありがとうございます。
今回から遂に神逐総長ヴィオが登場しました。臆病でありながら、どこか人間らしい弱さを持つ彼の存在は、物語の大きな鍵となるでしょう。
では、また次の話でお会いしましょう。──広瀬




