第15話 「 ただ見ていた者 」
ひんやりとした空気が、足元から忍び寄ってくる。
ここは、都市の下に隠された──今は誰にも知られてはならない場所。
湿った石壁に囲まれたこの空間の中央には、古びた長机と、それを囲む四つの椅子が据えられていた。
私はそのひとつに腰掛け、頬杖をつきながら、机に広げられた地図と睨み合っていた。
「 .....一度、全体の進行を見直した方がいいと思うの 」
静かに、けれど揺るぎない調子で、私はそう口を開いた。
「 お前、まさかここにきて“ 様子見 ”か? 」
正面から返ってきたのは、やや棘のある声だった。
声の主──リューゲ。
神蝶のリーダーにして、この作戦の最高権限を握る男。
「 様子見じゃないわ。現地の情報を整理した上で、次の手を落ち着いて選ぶべきってだけ 」
「 ....甘いな 」
リューゲは静かに切り捨てた。
「 進行中の計画をいきなり止める方が危険だ。整えてきた駒は既に動いている。途中で止めるなら、対価は覚悟しろ 」
「 でも、燻の件は想定外だった。彼女があんなにもあっさり── 」
私は言葉を止めた。
すぐ隣、机の上に体を預けて眠っているクーラに視線が流れる。
争いなど存在しないかのように、安らかに、微かに寝息を立てている。
( .....こんな場所でよく寝られるなぁ )
私は目を伏せ、再び地図に視線を戻す。
「 燻はただの兵じゃなかった。現地の戦力は思った以上に優れてるわ。......特に、“ あの子 ”がいるなら 」
私の脳裏に浮かんだのは、紬の顔。
「それでも進める」
リューゲは断言するように言った。
「 ここで止まれば、次は我々の番だ。計画は続行する。それが最も犠牲の少ない道だ 」
私は小さく息を吐く。
「 ....あんたはいつもそう。上から正論ばっか押しつけて 」
「 正論が嫌なら、反論してみせろ。力でも構わん 」
空気がぴんと張りつめた。
その沈黙を破ったのは、これまで微動だにしなかった男だった。
「 ──ふふ、ようやく我の出番か 」
ゆっくりと背凭れから体を起こし、あの男──ギャレンが動き出す。
目を閉じたまま、静かに頭の後ろで組んでいた手をほどくと、優雅な仕草で椅子から立ち上がる。
「 退屈で仕方なかったぞ、ここまで。だが...まあ、良い機会だ 」
彼はゆるりと笑みを浮かべる。
「 この状況、我がひっくり返してやろうではないか 」
リューゲは一切の言葉を返さず、その背を見送るだけだった。
ギャレンの足音が、石の床に吸い込まれていく。
その残響が消えるまで、誰も口を開かなかった。
私は机の端で眠るクーラの髪にそっと触れ、胸の奥に小さな不安を押し込める。
( .....紬。次に会う時、あなたはどんな顔をしているのかな )
────────
神蝶の本拠点。
僕は、ただの暇潰しに屋敷の廊下を歩いていた。そこは誰の気配もなく、静寂だけが支配していたが──ふと、目の前に一人の姿が現れる。
ギャレンだった。
あの方が設置した転移ポータルの一つ。どうやらあそこから来たらしい。
「 ツラ、メ゛ビハミヱヅ 」
僕が軽く声をかけると、ギャレンはわずかに肩をすくめて、ため息をついた。
「 .....お前、まだその言葉なのか。我はもう飽きたぞ 」
いつも通りの言い方だったはずなのに、やけに突き刺さるような返しだった。
そしてギャレンはゆっくりと首を上げ、真っ直ぐこちらを見据える。
「 今まではただのこれから会議だ。結果として我も向かうが──お前も、そう遠くないうちに“ 仕事 ”が回ってくる。準備しておけ」
その目は冗談ではない。
彼の中で、何かが動き始めている。僕にも、それが伝わってきた。
────────
空気がほんの少し緩んだのは、束の間の静けさの中だった。
「 さーて、じゃあ新しい異変も片付けちゃいますかー! 」
碧が軽い調子で宣言しながら、机にあったパソコンをぱかっと開いた。
その瞬間、家中にインターホンの音が響いた。
──ピンポーン
俺たちは一斉に顔を見合わせる。
「 ......アサギたち、戻ってきたか? 」
俺がそう呟くと、碧が
「 出迎えしてやるか 」
と先に立って玄関へと歩き出す。だけど、ドアを開けた直後。
「 わ、わっ....! 」
碧が思わず声を上げ、体をのけぞらせた。
玄関先に、誰かが崩れるように倒れ込んできたのだ。
「 え、誰ですかこの人....? 」
安都が戸惑いながら身を乗り出す。
俺はその顔を一目見て、すぐに理解した。
長い黒髪に、戦場に似合わないほど綺麗な白い服。傷だらけで、意識はない。
「 こいつは澪。リデンプターのリーダーだ 」
俺がそう言うと、紬が目を見開いたまま叫んだ。
「 そ、それより澪さん、大丈夫なんですか!? 」
すぐに駆け寄ろうとする紬を、久遠がすっと引き留める。
「 ...いや、倒れてるし、大丈夫じゃないだろ 」
その言葉に、室内の空気が一気に引き締まる。
倒れた澪の身体を、紬と久遠で支えながら、俺はそっと玄関の外へと視線を向けた。
風は静かだったが、どこか焦げた匂いが微かに混じっていた。
こんな形で、彼女がここに現れるなんて──嫌な予感が、頭をよぎっていた。
────────
澪を寝室に運び込んだ俺たちは、とりあえず彼女をベッドに寝かせた。
額にはうっすら汗が浮かび、呼吸もやや乱れている。けど、命に別状はなさそうだ。
「 ふぅー.....とりあえず、寝かせとこ 」
そう言って、碧がベッドの傍から離れ、肩をぐるっと回す。
「 ....もしかして澪、単独で神蝶の幹部討伐したんじゃね?てかあの感じ、あり得るくね? 」
冗談半分にそう言うと、安都がベッドの隅から彼女を見下ろしつつ、真面目な顔で呟いた。
「 ...だとしたらこの人、強すぎるでしょ 」
「 確かに。第什部隊で、あれだからね...... 」
紬が静かに続けた。言葉数は少ないが、その声色には確かな驚きが混ざっていた。
と、その瞬間。
「 お前たち....まさか勝ったのか!? 」
バッと音を立てて、澪が勢いよく上半身を起こす。目を大きく見開き、子供のように感情をあらわにして叫んでいた。
「 いや...お前、大丈夫か? 」
思わず俺がそう言うと、澪は肩で息をしながらも、すぐに少し落ち着きを取り戻したようだった。
「 ....まぁ、一応ね 」
額に手を当ててため息をついた後、澪は視線をこちらへ向けて問いかける。
「 それより...あなたたち、勝てたの? 」
「 .....危なかったがな 」
久遠がいつもの調子でそう答え、腕を組んで壁に寄りかかる。
「 次はそっちの話を聞かせてもらおうか 」
寝室の静けさの中、澪は枕元に差し込む灯りをじっと見つめていた。
彼女の呼吸は浅く、肌はまだ青白いままだ。
「 ...神蝶の幹部と、戦った 」
口を開いた瞬間、空気が緊張を帯びた。
澪の声には、疲労と、僅かな震えが混じっていた。
「第捌部隊の奴らとは.....格が違った。あれは....兵器でも怪物でもない。ただ...“ 何もかもが通じなかった ”.... 」
その目には恐怖ではなく、理解の及ばぬものに触れてしまった戸惑いが滲んでいた。
彼女は拳を握り、唇を噛む。
「 能力の正体もまったく見えなかった。...というより、恐らく使ってなかった。なのに.... 」
言いかけて、言葉を飲み込む。
「 ....いや、私にその程度の力もなかった 」
そのとき、不意に彼女の肩が大きく揺れた。
「 っ......! 」
喉の奥から、熱い塊がせり上がる。
澪は堪えるように口元を押さえ──次の瞬間、鮮血が手の隙間から溢れた。床に落ちた音に、紬が息を呑む。
「 澪さん....! 」
苑里が即座に駆け寄ろうとするが、澪は手を振って制した。
「 .....大丈夫。まだ立てる。これでも...命は拾った 」
ゆっくりと背を起こしながら、彼女は重たげな視線を仲間たちに向ける。
「 でも....アイツは、私の全力を前にして、一歩も動かなかった。まるで....“ 見ているだけ ”みたいに」
誰も、言葉を返せなかった。
その沈黙を破るように、澪がかすれた声で呟いた。
「 ....ごめん。手がかりは掴めなかった。何者かも、能力も.....何も分からない。けど...次は、もっと強いのが来る。きっと 」
苑里が、そっと彼女の背を支える。
「 分かった。だが、今は休め。話の続きは、また明日だ 」
その言葉に、澪は力なく笑った。
「 ....うん。任せたわ、リーダー 」
俺はその一言に俺は小さく呟いた。
「 俺は舵を取るタイプじゃない 」
────────
夕暮れに染まりつつある森の中、ひっそりと足音が落ちる。
天響界中心部から少し外れたこの場所は、静かで、どこか物寂しさが漂っていた。
「 ...ふぅ、ようやく..... 」
木々の隙間から差し込む陽の光を背に、黒衣の少女は1人立っていた。
呼吸は浅く、額には汗。何かを探し歩いていたのだろう。
だがその手には、何も握られていない。
「 疲れた.....いや、まぁ...見つかっただけマシか 」
独り言のように呟きながら、こっちはその場に腰を下ろす。
視線の先には、誰もいない。ただ、何かを“ 確認 ”したような、そんな雰囲気だけが残る。
「 .....あれがそうなら、こっちの出番も近いってことかな 」
呟く声に不安はない。けれど、どこか慎重な響きを含んでいた。
こっちはそっと立ち上がり、森の奥を見つめた。
「 ....まあ、焦る必要はないよね。ちゃんと見てから、決める 」
風が枝を揺らす音の中で、こっちは再び歩き出した。
目的も、何を見つけたのかも分からぬまま──その足取りだけが、確かに進んでいった。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
神蝶の会議、澪の帰還、そして謎の存在の登場──それぞれが静かに動き出し、やがて交わる時が近づいている気配を感じさせる回となりました。
では、また次の話でお会いしましょう。──広瀬




