第12話 「 戦場に咲く花 」
視界は、まだ霞んでいる。
だけど──不思議と、さっきまでの息苦しさは幾分か和らいでいた。
「 久遠さん、動けるようになったら前線へ! 」
背中越しに、誰かの声が飛ぶ。たぶん、安都だ。
それを聞いて、俺は思い切って霧の中へ踏み出した。前方にうっすら見えるのは──苑里と碧。すでに前線を張って、あの“ 毒 ”の竜と交戦している。
( .....助けないと )
思考の片隅に残っていた不快感や眩暈も、今は忘れていた。踏み出すたび、靴が土を押し返す。
その後ろでは、別の動きがあった。
「 ....あれ、今、武器...? 」
紬が手をかざし、何もなかった空間に弓のようなものが現れるのが見えた。.....魔力の具現化? でも、詳しいことはわからない。俺が見たのは初めてだった。
「 安都さん、なるべく動かないで。今度は私が、守ります 」
弦を引く音。紬は、穏やかな顔でそう言った。
──背中を、預けられる。
だから、俺は前に行ける。
「 ....ようやく来たか 」
俺が駆けつけた時、苑里は毒の竜を睨みつけたまま言った。息が少し荒い。やっぱり毒の影響は、完全には消えてない。
その横で碧もまた、崩れかけた盾を持ち直していた。
「 盾、大丈夫か? 」
「 まぁな。...いや、どうだろ。ちょっと補強はしたけど....まあ何とかって感じ 」
( 補強....?どうやって? )
よく見ると、碧の盾にはどこか淡く光るような紋が浮かんでいる。さっきまではなかったはずだ。これも、彼女の力なのか。
( 今の、能力?でも、回復スキルだって....。もしかして、無機物にも...! )
だが、今はそれに関して後回しだ。
目の前には、“ 竜 ”がいる。
燻──あの女の笛から生み出された毒の具現。今もその姿は、霧の中にぼんやりと浮かび上がっている。
「 フフ....。なかなかやるじゃない 」
霧の奥、女の声が響いた。表情は見えない。でも、どこか“楽しんでいる”ようにも聞こえた。
「 だけど、これは遊びじゃないわ。実習なの。ほら、もっと力を見せて? 」
その言葉と同時に、竜の尾が地をえぐるように振り下ろされた。
「 来るぞ! 」
俺は叫んだ。瞬間、苑里が前に出る。
そして碧が、それを横からカバーした。盾が破壊される寸前、何かが走った──光? またさっきと同じように、盾の表面がふっと再生する。
( やはり、そうなのか )
確信はできない。だが、可能性は十分に高い。
背後から、風を切る音。弓の矢だ。紬の攻撃が、燻の周囲を撹乱する。
「 いい連携……。だけど、まだまだ甘いわよ 」
燻の笛がもう一度鳴る。
それと同時に、霧の中からもう一体──より濃い紫の毒竜が姿を現す。
「 今度は...二体!? 」
体が反応するより早く、苑里が一歩引いた。碧も防御を固める。
「 このままじゃ、押し切られる....! 」
気づけば、呼吸がまた少しずつ苦しくなってきていた。酸素が、また減ってる?
( くっそ、また振り出しか.... )
その瞬間──
背後で、風が反転するような感覚。誰かが何かを使った──たぶん、安都だ。
あの時も、急に空気が変わった。これは、恐らく....。
( ....何をしてるのかはわからない。けど、こっちは、動きやすくなった )
「 久遠。次、いけるか 」
「 ああ! 」
拳を握る。感覚は戻ってきている。
前を張る二人の背中が、強くて、頼もしく見えた。
だから、俺は──もう一度前へ出る。
毒霧がうねる。
その中心に浮かぶ女の輪郭が、ようやく鮮明になってきた。
長く揺れる髪に、無機質な笛を手にした姿。
毒竜を二体も従えているというのに、顔には気の抜けた様子は全くない。むしろ、焦っているようにも見える。
「 ふふ.....いいわね。やっぱり、このくらいじゃないと 」
そう呟くと、燻は小さく笛を吹いた。
ピィィ──という高い音と同時に、毒竜の一体が地を蹴って突撃してくる。
それはもはや獣ではなく、毒そのものが意思を持って動いているようだった。
「 行くよっ! 」
碧が一歩前へ出て、盾を掲げる。
毒の爪が振り下ろされ、衝撃が地を走った。
「 っぐ....! 」
盾がきしむ音と共に、碧の足が後ろへ滑る。踏みとどまったものの、重たい圧が全身を襲っているのがわかった。
「 .....本気で来たわね、お姉さん 」
額に浮かんだ汗をぬぐい、碧が口角を上げる。
「 随分と自信ありそうじゃん。その割には、ずっと霧の中から笛吹いてるだけで 」
それは挑発だった。
燻が僅かに眉を動かす。
「 .....そうね。たまには、こちらから行ってあげようかしら 」
笛が構えられる。
「 苑里、下がれ! 」
「 いや...今こそ前に出る 」
苑里がそう言った瞬間、燻が霧の中へと溶けた。
「 左! 」
俺が叫んだときにはもう遅く、燻の姿が苑里の背後に現れていた。
その手に持つ笛が、まるで杖のように振りかざされる。
──が、その攻撃は空を切った。
「 空気、読めてないよなぁ 」
後ろにいたはずの碧が、いつの間にか燻の間合いに入っていた。
彼の盾が燻の腕を押し返し、距離を取り戻す。
「 なるほど....前と後ろ、連携してるつもりなのね 」
「 “ つもり ”じゃなくて、“ してる ”んだよ。あなたが見えてないだけでさ 」
燻はふっと笑った。
「 いいわ、面白くなってきたじゃない 」
再び、笛の音が響く。
今度は霧の色が僅かに変わった。
薄紫から、やや赤みを帯びた不気味な色へ。
「 この霧.....今までと違う...? 」
感じる違和感は明確だった。
さっきよりも空気が重い。呼吸が浅くなる。
「これはね、さっきまでのとは比べ物にならない強い毒。...そう....さっきまでは準備運動。こっちが本番よ 」
燻の声が、まるで耳の奥に直接響いてくるように感じた。
「 くっそ....! 」
俺は拳を握った。こんな距離でも、ジワジワと体が重くなる。
だけど──それでも。
「 動けるうちは、やれるさ 」
足を踏み出す。
たとえ毒で全身が痺れても、この手を止めるつもりはない。
こいつを倒さないと、先へは進めない。
────────
──霧の密度は、さっきよりもさらに濃くなっていた。
肺の奥にわずかな痛みを感じながら、それでも私は安都さんのすぐ隣で視線を走らせていた。
前衛の三人は、毒の竜に気を取られている。つまり、後衛に届く一撃が来れば、それはもう──間違いなく直撃する。
それでも、安都さんは黙々と能力を維持していた。
彼の背中からは汗が流れ、肩は僅かに揺れている。吐息のリズムが、乱れていた。
──魔力切れの兆候。
私はそっと、彼の肩に手を置いた。
「 ....安都さん、少し、私の魔力を使ってください 」
言いながら、ミスティック・コアを発動する。
掌から流れ出る魔力は微弱だけど、それでも“補う”ことはできるはず。
安都さんが、少しだけ顔を上げた。その表情は、驚きと戸惑いと、そして感謝が混じっていた。
でも──
「 ....紬さん、下がって──っ! 」
その声と同時だった。前衛から逸れた毒の竜が、私たち後衛に向かって、まっすぐ滑るように迫ってきたのだ。
距離はない。狙いは正確。
私は......迷わなかった。
安都さんを庇うように一歩、前に出る。
胸が跳ねた。
脚は震えていた。でも、それでも。
──私は、盾になる。
それが今の自分にできる“ 戦い方 ”だと、そう信じていた。
けれど──次の瞬間。
「 ....っ!? 」
竜の進行方向が、唐突に逸れた。
何かが風を裂いた音とともに、竜の身体が横薙ぎに吹き飛ばされる。
....そこに立っていたのは、苑里さんだった。
前衛にいたはずの彼が、まるで“ 瞬間移動 ”でもしたかのように目の前に現れ、ただ一撃──言葉もなく、迷いもなく──あの竜を吹き飛ばしたのだ。
私の隣に立ち、ほんの一秒そこにいて。
次の瞬間には、また前線へと駆け出していた。何も言わずに、ただ戦場に戻っていく。
私は、呆然とその背中を見送った。
風が揺れる。遠ざかる足音。
言葉のないその行動に、何か温かいものを感じた。
.....ありがとう、苑里さん。
震える指を、私はそっと握り直した。
────────
──あの毒の竜が、ようやく一匹消えた。
燻が眉をひそめ、唇を噛むのがわかった。目立たない仕草だけど、戦場ではその一瞬が“ 兆し ”になる。
「 .....一匹、消えたわね 」
呟いた声は低い。それに、オレは応えるようにわざとらしく肩をすくめてみせた。
「 さっきの竜。なんか思ったよりも柔らかそうだったよ?もしかして、雑に作ってない? 」
視線を合わせながら、わざと軽口を叩く。
その瞬間だった。
──チッ。
舌打ち。小さく、鋭く、苛立ちを隠せない音。
( 煽りに、弱い……? )
久遠が隣でそう呟いた。本人にしか聞こえないくらいの小さな声。でも、確信に近い響きがあった。
オレは目を細め、改めて燻の姿を見つめる。
その瞳が、明らかに怒りで濁っている。
──来る。
直感よりも速く、オレは盾を構えた。
笛の音が、鋭く空を切る。
霧の中、燻の足元から紫がかった風が広がる。
毒の竜ではない。風に乗って、何かが“咲いた”。
「 毒の開花── 」
彼女が、呪文のようにその言葉を吐く。
次の瞬間、オレたちを取り囲むようにして霧が蠢いた。
──違う。これは、ただの霧じゃない。
それはまるで毒の花が一斉に咲き誇るかのように、円を描いて全方向に毒が広がる現象だった。
「 っ....! 全方位、来る! 」
私は盾を構えながら叫んだ。咄嗟に体を低くし、周囲の地形を確認する。
逃げ道は、ない。
それでも、諦めるつもりはなかった。
だって──オレは“ 壁 ”だ。
後ろにいるみんなの命を、この手で守る。
手の中の盾が、小さく軋む音を立てた。
毒の風が、咲き乱れる。
戦いの終わりを告げる鐘かのように──
ここまでお読みいただきありがとうございます。
毒というシンプルながら凶悪な能力が、連携と精神をじわじわと蝕んでいく展開になりました。
仲間たちの繋がりが少しずつ見えてくる中、敵はまだ本気を出していない──そのギャップが今回の鍵でした。
では、また次の話でお会いしましょう。──広瀬




