第11話「 毒と霧の旋律 」
敵の仮面が地に落ちる音が、やけに耳に残った。
銀の金属が地面を転がる音が、終わりを告げる合図のようにも聞こえた。
「 ....終わったか 」
俺はゆっくりと息を吐いた。
長かった。いや、まだ数分しか経っていないのかもしれないが、異様に神経をすり減らす戦いだった。
横を見ると、苑里が小さく頷きながら敵の消えた方角を睨んでいる。
碧は肩で息をしながら、割れかけた盾を見つめていた。その手のひらに、薄く光る修復の魔力。
紬はと言えば、腰を落として膝に手をつき、小さく「 ふう 」と息を漏らしていた。
その傍らでは、安都が静かに立ち上がり、周囲に視線を配っている。
誰かがしゃべるでもなく、でも、誰かが立ち上がるでもなく、俺たちはほんの少しの静寂に身を委ねていた。
戦いの余韻と、それでも生き残った安堵と。そんな感情が交差する時間だった。
....だが、それも長くは続かなかった。
──ヒィィ.....ヒュル...ヒュルルル......
空気が震えた。
風が変わる。
...あの音だ。
笛の音。だが、今までよりもずっと静かに、ずっと深く心に染み入る音だった。
俺たちは顔を見合わせた。苑里が、何かを察したようにゆっくりと立ち上がる。
「 ....また、か」
誰の口からともなく漏れたその声に、誰も返す言葉を持っていなかった。
気づけば足が勝手に動いていた。
俺たちは音に誘われるように、森を抜ける。
そして──その先に、あった。
山頂にぽつりと現れた、小さな池。
静かな水面。そよぐ風。どこにでもあるような、ただの景色。
だが、一つだけ違ったのは、池の中央に突き出た岩の上に、笛を吹く影がいたということ。
風に揺れる緑と青の羽織。
そのシルエットが、ゆっくりとこちらへ顔を向けた。
「 ──来たのね 」
女の声が、笛の合間からこぼれた。
────────
岩の上に立っていたのは、一人の女だった。
青と緑の羽織が、風に揺れている。笛を唇に添えた姿は、妙に幻想的で....同時に、ぞくりとするほど不気味だった。
その姿を、俺は見たことがある。
副隊長戦の直前、あの音に惑わされた時──あの時の“ 影 ”だ。
ゆっくりと笛を離し、彼女は静かにこちらを見下ろして言った。
「 ....ようこそ。ここまで来られたのは、本当にすごいことだと思う 」
静かで、穏やかで.....なのに、何故か全身に警戒が走る声だった。
「 あなたは...誰....? 」
紬が一歩、前に出ながら問いかける。
すると、女は微笑みを浮かべたまま、まっすぐに俺たちを見据えた。
「 私は第什部隊隊長──黒羽 燻。この笛で、少しだけ毒を操る能力を持っているだけよ 」
静かな、けれど確かな“ 宣戦布告 ”だった。
「 ....あんたが、子供たちをここに呼び寄せたのね 」
安都が低く呟く。声には怒りがにじんでいる。
燻はその言葉に、あくまでも他人事のように肩をすくめた。
「 私は何もしていないわ。ただ、笛を吹いただけ。来たのは....あの子たち」
「 ふざけるな! 」
碧が怒鳴り、盾を構える。その背で、俺も拳を握った。
「 音に毒を混ぜる……それがお前の能力か? 」
「ええ。“ トキシック・ホイッスル ”。音が届けば、それだけで“ 心に ”毒が刺さる。.....ふふ、でも安心して。すぐに“ 身体 ”にも効くほうを、お見せするから」
そう言った瞬間、彼女の足元に淡く白い霧が広がっていく。
「 ....来る! 」
誰かの声と同時に、彼女の姿は霧へと溶けた。
冷たい毒の風が吹く。
戦いの幕が、音もなく──だが、確実に上がった。
────────
......何も、見えない。
燻が口元に笛を添えた、その瞬間だった。
音が響く。高く、柔らかく、それでいて嫌なほど耳に残る。
そして、音と同時に──白い霧が辺り一面を覆っていく。
「 ....っ、息が.... 」
胸が焼けた。喉の奥が痛む。ただ深く息を吸っただけで、肺がきしんだ。
これはただの霧じゃない。明らかに、毒が混じってる。
「 やるしかねぇな....! 」
ポケットから、小型ナイフを引き抜く。
同時に、俺のスキルを発動──ユーティリティスキル" ペネトレイション "。
「 突っ込むぞ....! 」
前へ。
濃霧の中を駆ける。ここにいる誰よりも速く、誰よりも鋭く──
狙うはただ一人、黒羽 燻。
だが──その瞬間だった。
笛の音が、再び響く。
それに呼応するように、霧がうねる。
そして現れたのは──紫に透けた、竜のような“ 何か ”。
「 なっ...! 」
目の前に突如、現れたそれ。
胴体は細く長く、爬虫類とも煙ともつかぬ輪郭を曖昧にした生物。
.....いや、生物じゃない。毒だ。
「 ....くそっ....! 」
踏み込んだ足を、俺は無理やり引き戻した。
本能が言っている──あれに触れれば、終わる。
笛の音。それに混じった毒が霧を伝って、形を成す。
これが" トキシック・ホイッスル "。音に乗せた毒が、空気ごと俺たちを蝕んでくる。
「 クソ...肺が....! 」
吐き出す息が熱い。足がもつれる。
霧の毒と、異形の竜による威圧で、体の芯まで痺れ始めていた。
──視界が、ぐにゃりと歪む。
「 .....っ! 」
意識が、落ちる──その時だった。
「 久遠!! 」
声が聞こえた。すぐ近く。
地面へと崩れ落ちる俺の体を、誰かが支えた。
「 ....碧、か 」
「 喋んな、馬鹿 」
息を乱す俺の胸に、碧の右手が当てられた。
じんわりと──温かさが、流れ込んでくる。
「 これが.... 」
「 " フェーンリヒト "。回復スキル。軽いダメージ限定だけど……毒、多少は和らげるはず」
息が、戻る。
肺の痛みが、さっきより少しだけマシになった。
「 ....助かった」
「 当たり前だろ。盾役は、仲間の前に立って守るもんだからな 」
その言葉に、思わず小さく笑みがこぼれた。
──助かった。
ここで倒れていたら、確実に終わっていた。
「 ありがとう、碧。今度は.....攻める番だ 」
そう告げて、俺はもう一度、立ち上がる。
冷たい風が流れる中で、碧が鋭く声を上げた。
「 オレと苑里が前張る! 久遠、お前は後ろで作戦立てろ!紬と安都も! 」
目を合わせたその瞬間、俺はすぐに理解した。
これ以上バラバラで動いても、燻には敵わない。なら、前線と後衛を明確に分けるしかない。
「 ──了解! 」
後ろに跳ねて距離を取ると、紬と安都の隣に立つ。
前を見ると、既に苑里が前へ一歩踏み出していた。軽く肩を回し、毒霧の中でも動じない。
「 来い、毒女──俺たちが、受け止める 」
低く呟く苑里の横に、碧が構えた盾をかざして並ぶ。
戦線は、今ここに築かれた。
一方で、俺たち後衛はすぐに小声で言葉を交わす。
「 .....燻の動きはほとんど読めない。でも霧の中で笛を吹いて、そのタイミングで何かが出てくる。竜とか.... 」
安都が静かに頷いた。
「 つまり、あの笛が起点。音と同時に“ 毒 ”が広がるってことよ。今は近づけないけど、どこかで音を止めれば── 」
「 止めれば、攻撃の手段をひとつ封じられる 」
俺が続けると、紬もすぐに理解を示すように、小さくうなずいた。
だが──その時だった。
前線のほうから、苑里の低い唸り声が聞こえた。
「 っ...クソ、身体が重い..... 」
俺たちが作戦を練っているあいだに、前線のふたりがすでに毒に蝕まれていた。
霧は今も少しずつ、でも確実に広がっている。目に見える濃さじゃない。だが、喉の奥が痛い。鼻の奥が痺れる。
「 ....おい、ヤバいかもな 」
碧の声がかすれる。
盾を握る手が、わずかに震えていた。
毒は目立たず、静かに、確実に、俺たちの中に侵食していく。
特に前線のふたり──ずっと霧の中にいる苑里と碧は、明らかに様子がおかしい。
「 うっ..... 」
苑里が一歩、膝をついた。
....このままじゃ、前線が潰れる。
俺たち後衛が、ただ作戦を練っているだけじゃ済まされない。時間が足りない。耐えてくれ……!
────────
.....何かが、おかしい。
前線にいる苑里の肩が、さらに大きく沈むのが見えた。
息を荒げ、碧の影に隠れるように後退していく。
その手が、ポケットに伸びる。
「 ...っ、ライター? 」
苑里はライターを取り出し、親指で火を点けた。
だが──
「 ....消えた? 」
瞬間的に立ち上がった小さな炎は、ほんの一瞬でかき消された。
風が吹いたわけでも、燻の竜が襲ったわけでもない。
それでも、火は──生きられなかった。
「 ....え? 」
一瞬の違和感。
俺は、直感的に背筋を冷やした。だが、その一歩先にいたのは安都だった。
「 ....酸素よ 」
低く、でもはっきりとした声で、安都が言う。
「 毒じゃない。いや、毒でもあるけど、それだけじゃない...。この霧、“ 酸素 ”を食ってるわ。つまり──前線の酸素濃度が、急激に下がってる! 」
言われてみれば、苑里も碧も呼吸が浅く、喉を押さえるような仕草をしていた。
「 まずい...っ! 」
俺が動こうとしたとき──安都の瞳が鋭く光った。
「 ──レギュレーション、発動 」
空気が、震えた。
安都の周囲を中心に、目に見えない“ 圧 ”が広がっていく。
空気そのものを制御する、安都の能力。
その直後──
前線に流れていた霧が、わずかに揺れたように見えた。
揺れ、そして──拡散した。
完全にではない。だが、それだけでも苑里の肩がほんの少し持ち上がる。碧の息も、幾分か整った。
「 ....助かる 」
苑里が低く呟き、再び前を向く。
──安都の力が、届いたんだ。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
今回の戦いは、静かに忍び寄る毒霧の恐怖と、それに抗う仲間たちの絆が際立つ緊迫した瞬間でした。攻防の狭間で見えたわずかな希望に、きっと心が震えたことでしょう。
では、また次の話でお会いしましょう。──広瀬




